四国山地/横倉山(表参道コース) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

横倉山(800m) 高知県

 

日程:2023年11月25日

天気:晴れ

行程:第二駐車場13:15→13:30杉原神社13:40→13:44行在所跡→13:50横倉宮・馬鹿だめし(山頂)14:10→14:20畝傍山展望所(終着点)14:35→14:15墓陵参考地→15:10第二駐車場

■駐車場:(第二駐車場)約20台

■トイレ:あり

■登山ポスト:なし

■行動時間:2時間10分

 

《畝傍山から馬鹿だめしを見返す》

 

ひつぞうです。横倉山自然の森博物館を見学したあと、横倉山(よこぐらやま)に登りました。古くから栄えた修験の道で、長い稜線に向けて幾つもの道が錯綜しています。本格的な登山であれば、第一駐車場からしっかり歩く“四国の道”がお薦めですが、今回は飽くまで自然と歴史探訪。午後の入山ということもあり、第二駐車場から畝傍山展望所までの往復に留めました。以下(いちおう)山行記です。

 

★ ★ ★

 

【横倉山(表参道ピストン)】

水平距離=往復3.4km、累積標高=320m

 

越知中心部から望む横倉山(標高800m)は、低山ながら切り立つピークがひと際眼を惹く貫禄ある山だった。

 

 

早速、博物館から第二駐車場まで移動。車一台がやっとの林道が頻繁にカーブを繰り返しながら続いている。思いのほか距離もあり、結果6.5㌔の道程だった。本音を言えば第一駐車場からガッツリ登ってやろうという下心もあったが(5台程度と狭いこともあり)既に満車。あっさり当初の計画に逆戻り。

 

 

第二駐車場は広かった。多くの客が第一、もしくは第三に止めているのだろう。僕らが到着した際は一台もなかった。一の鳥居から出発だ。

 

「結構寒いにゃ」サル

 

因みに11月下旬にしては数日暖かい日が続いていたので、山中の肌寒さに今更驚く始末だ。

 

 

横倉山の三角点は尾根の途中に設置されているため、横倉宮が立つ馬鹿だめしを山頂としている。

 

 

出発してすぐに夫婦杉を通過。

 

 

そして、杉原神社の清めの水として使われていた御手洗跡でT字交差。ここを右へ。

 

 

出発して15分ほどで立派な社殿が現れる。杉原神社だった。

 

 

横倉山修験の中ノ宮・金峯山三所蔵王権現として建立されたのが始まり。明治4(1871)年に杉原神社に改称されたそうだ。そして、更に数百㍍進むと避難小屋が現れる。

 

 

ここから300㍍ほど北側に下ったところに安徳水という湧水があるそうだ(時間に不安があるので割愛した)。残念ながらその儘では飲めない。

 

 

避難小屋内部。隅々まで清掃されている。

 

 

安徳天皇の在所だったという伝説の場所に20㍍ほど寄り道。

 


こんな場所に暮らしたのか。飽くまで伝説なのだろうが。

 

《安徳天皇画像》泉涌寺蔵(京都)

 

悲劇の幼帝、安徳天皇は平清盛の娘・徳子高倉天皇の間に生まれた。平家の栄華を繋ぐ最大の後継者となるはずだった。しかし、源平の合戦が始まると、幼い安徳天皇は一門とともに戦乱に巻き込まれていく。

 

《安徳天皇縁起絵図》赤間神社蔵(山口)

 

そして、最後は壇ノ浦の戦いに敗れて瀬戸内の海に入水。八歳で崩御したと一般通史では語られる。ところが、それは飽くまで表向きの話であって、亡くなったのは身代わりで、実の幼帝は横倉山に落ち延び、妻帯したうえで生き長らえたと語られている。実はこの手の伝説は西日本各地に残っていて、宮内庁管理の墓陵参考地まで存在するというから厄介だ。

 

「そーだったのね」サル 別に困らない

 

 

先に進むと田口社の小さな祠があった。そこを右へ。緩くカーブすると横倉宮は近い。

 

 

立派な二の鳥居が現れた。

 

 

山頂周辺からハイカーの会話が漏れてきた。もうそこだ。

 

 

横倉宮に到着。社殿はかなり立派。縁起によれば正治2(1200)年に平知盛玉室大神を祀ったのが始まりとか。馬鹿だめしはこの裏手、左側から少し登った場所だ。その前に確認すべきものがあった。社殿右手に回ってみる。

 

 

これだ。牧野富太郎が死ぬ前にもう一度見たいと願ったヨコグラノキの古樹。牧野自身が発見した。

 

(参考資料)

※ネットから拝借いたしました

 

開花期には小さな黄色の花序をつける。クロウメモドキ科らしいが、樹木はちょっと苦手。

 

「おサルも」サル

 

では馬鹿だめしに行ってみよう。

 

 

「結構高度感あるにゃー」サル

 

一体は石灰岩でできている。なので雨の日は怖い。僕だけ先端まで降りてみた。

 

 

登山ウェアを持参しなかったので、ジョギングウェアに軍手。素人感丸出しだ。

 

 

着いた。先端まで残り1㍍だが、手前までで留めた。滑落でもしようものなら、馬鹿だめしどころか馬鹿丸出しである。

 

「ゴハン食べられなくなるから絶対困ゆ」サル

 

そっちかよあせ

 

ということで一旦くだって畝傍山展望所に向かった。

 

 

展望所からは馬鹿だめしが断崖の先端だということがよく判る。確かにあんな処に立つヤツは馬鹿かもしれない。

 

「やっぱり馬鹿だったか」サル 怪しいとは常々思ってたけど

 

 

買ってきたオニギリで遅めのランチにした。途中20人ほどと離合したが、時間が遅いのでもう誰もいない。

 

 

室戸岬の先端まで見えるよ。

 

「来てよかった」サル

 

15分ほど休憩して、帰りに安徳天皇墓陵参考地に寄った。

 

 

立派な階段の上に参考地が整備されていた。

 

 

明治時代までは飽くまで“伝説地”だったらしい。

 

 

この日の山行はここまで。一目散に下山することにした。

 

 

お疲れさん。久々の山歩きだったが、荷物も殆どないし、足腰だけは鍛えているので楽勝だったね。

 

「おサルは結構太ももが怠い」サル

 

まじか…。←あんまり大事にとらえてない

 

この日は車中泊。さすがは高知。道の駅で酔鯨純米吟醸生酒が普通に売っていた。肴は佐川町のスーパーで調達。ウツボトビウオと、本州ならば百貨店の鮮魚コーナーでしか見ることのできない刺身が、やはり普通に売っていた。こんな環境で成長すればグルメにもなるだろう。サルパパとおサルの嗜好のルーツ発見した気がした。

 

「関係ないと思うにゃ」サル

 

(四日目につづく)

 

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