企画展「交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー」
℡)050-5541-8600
往訪日:2023年2月4日
会場:東京都港区白金台5-21-9
場所:東京都庭園美術館
会期:2022年12月17日~2023年3月5日
開場時間:10時~18時(月曜定休)
料金:一般1400円
アクセス:JR目黒駅から徒歩約10分
■設計:宮内省内匠寮(権藤要吉)
■竣工:1933年
■施工:戸田組(現:戸田建設)
■国指定重要文化財(2015年)
《数奇な運命を辿った旧朝香宮邸…現在の庭園美術館》
(※一部ネットより写真をお借りしました。お許しください)
ひつぞうです。先週の土曜日に白金台の東京都庭園美術館を訪ねました。建物は朝香宮鳩彦王(あさかのみややすひこおう)夫妻の旧邸として知られています。その後、数奇な運命をたどり、現在は東京都管理の美術館として一般開放されています。以下、往訪記です。
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今回備忘録を纏めるにあたって少し頭を悩ませたことがある。一番の目的は旧朝香宮邸の見学。しかし、建物だけの見学コースはなく、あくまで内部は美術館だった。「美術鑑賞」なのか「建築散歩」なのか、これでは焦点が定まらない。結局、企画展示と建築そのものを同時に見学するという、簡単なようで骨の折れる作業を自らに課すことにした。
「まー、キミらしい悩みだのう」サルなんも考えてなーい
開館は10時と比較的遅め。そのうえ企画展そのものが玄人好みなので混雑の心配はない。ちなみに庭園(日本庭園・西洋庭園の二箇所)だけの利用もできる。わずか200円で四季折々の草花を鑑賞できるし、建物外観も見放題である。暇なときに重宝しそうだ。
朝香宮鳩彦王は昭和天皇の皇后・香淳皇后良子(しげこ)妃の叔父にあたる久邇宮家の第八王子だ。明治天皇の皇女・允子(のぶこ)内親王と婚姻を結び、新居をここ白金台に建設。昭和8年(1933年)5月に竣功した。それが今の美術館の前身だ。
「ふむふむ。皇族のかたは名前の読み方が難しいにゃ」覚えらんにゃい
皇族軍人だった鳩彦王は結婚後まもなく、軍事研究のためパリに遊学するが、自動車事故で大怪我を負ってしまう。結果的に、看病に向かった妃ともどもフランスに二年半滞在。ちょうど一世風靡していたアール・デコの薫陶を得て、アンリ・ラパンやルネ・ラリックなど第一級の意匠デザイナーを新居の設計に起用。しかし、允子妃は完成後まもなく急性腎炎に倒れ、同年11月に甍去。わずか半年しか暮らせなかった。これが悲運の歴史の幕開けとなった。
アール・デコと関係の深いル・コルビジェ風の直線処理が印象的な本館正面。車寄せにはイスラーム・モスク風の東洋的デザインも認められる。1933年当時といえば二・二六事件(1936年)の跫忍び寄る不穏な時代。国粋主義的風潮にあって、このデザインは斬新かつ画期的だ。
「玄関の狛犬に子供がいるにゃ」
ほんとだ。
正面玄関に入るとガラスレリーフが。一目でそれと判るラリック作品。
ここで庭園入口で購入したチケットを見せる。ロッカーは向かって右の廊下脇にある。
ロッカー前の旧客室用化粧室。西洋人の来朝を考慮してだろう。建付け位置が高い。
アール・デコだね。ということで写真撮影はここまで。この先の広間から“展示室”という扱いなので。
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戦後まもなく、GHQによって公職追放された鳩彦王は皇籍を離脱。子供とともに邸宅を去った。その後、大臣公邸として一時利用されたあと、西武鉄道に払い下げられ、1974年まで迎賓館として利用されたが、オーナーはあの堤康次郎である。チャンスは活かすとばかりに、ホテル建設計画を立ち上げる。さすがに良識ある都民の猛反対で頓挫。その後、都に買い上げられて美術館として再出発した。1983年のことである。
「そんな大昔のことじゃないんだにゃ」
バブル前夜だったからね。
以下、アート備忘録。
いきなり大広間に出る。壁材は胡桃。重厚かつ暖かみのある質感を与えている。内装設計はアンリ・ラパン。今回の企画では旧朝香宮邸のデザインに直接関わったデザイナーを中心に、20世紀初頭(1910年代から1930年代)に欧州を席捲した室内装飾運動に視点をあてる。そのスタートはウィーン世紀末芸術と20世紀モダニズムと結ぶウィーン工房にあると云われるね。
ところでおサル。ウィーン工房と浅からぬ関係にある芸術家って誰だったっけ。
「ウィーンといえばクリムトなんじゃね」それくらい判るばい
一度ウィーン・ミュージアムの企画展を観たしね。もう四年前だけど。
建築家ヨーゼフ・ホフマンとデザイナー、コロマン・ローザーが発起人となって1903年に設立された。ホフマンはウィーン分離派(1897~1905)に属していたから、その親分のクリムトとは昵懇の関係だった。
一階大客室。内装デザインはやはりアンリ・ラパン。《ブカレスト》と名づけられた照明はラリックの制作。この大客室と第一応接室を繋ぐ次室(つぎのま)(写真の中央奥)には香水塔ある。国立セーブル製陶所製の、イオニア式柱頭部を模した塔からは実際に水が流れ、照明から香水が漂うように設計された。允子妃お気に入りの部屋だったそうだ。
さて。細かくメモできないので、二階の展示会場へ。この大広間は宮内省匠寮の設計でタッチの鮮やかなラフコートになっている。展示されているのはペーター・ベーレンスによる《第一回ドイツ工作連盟ケルン展ポスター》(1914年)。ドイツ工作連盟(1903年設立)とは、云わばモダンデザイン集団のドイツ版。建築家ムテジウスを筆頭に、日本とも縁の深いB・タウト、のちにバウハウス立ち上げの中心となるグロピウスに(分離派会館の設計でも知られる)オルブリッヒなど、錚々たるメンバーが集まった。
とにかくモダニズムの中心は建築と椅子。ここで一般に混同されがちな《モダニズム》と《モダニティ》の違いをおさらいしよう。
「またおサルに訊くのち?」やめて欲しいにゃ、サルをパンピーの代表にするの
おサルも僕も一緒に観たでしょ。だからおさらい。
「むー。どう考えても同じじゃん」いーよ。サルはどっちでも。生活に困らんし
似ているけど対立概念なんだよ。モダニズムはモダン主義。彼らは工芸や建築の機能にそなわる美を務めて見出そうとした。つまり「機能>装飾」。大量生産品から無駄な装飾を排除した。一方、モダニティはモダン性、モダンっぽさってニュアンスだよね。装飾に焦点をあてた美意識だ。つまり「機能<装飾」。
「だからいーって」難しすぎゆ
ジャンヌ・ランヴァン《ローブ・ド・スティル》(1926年~1927年) 京都服飾文化研究財団
ファッション・ブランド《LANVIN》の創設者であるジャンヌ・ランヴァンは、まさに“狂乱の時代”のパリでその名を広めたデザイナーだね。この時代はまだオートクチュール中心。贅沢な宝石が鏤められたAラインかつハイウェストの意匠は当時斬新だった。だが“女性のコルセットからの解放”と、その機能美を体現したのは、のちに現れるG・シャネルだ。プレタポルテを一般に広めた功績も大きい。まさに機能美の世界だ。
「こーゆーのは好き」
ピエール・シャロー《フロアスタンド・修道女》(1923年) 東京国立近代美術館
シャローの家具は朝香宮邸のアール・デコの世界に彩を添えている。
かなりすっ飛ばした。展示数がすごいのでChapterごとに記す余裕がない。このまま新館へ。
新館では、主にバウハウスと第二次世界大戦後のモダニズムの展示。
新館は2013年竣功。江ノ浦測候所の設計で有名な杉本博司先生が監修に携わっている。
壁面の加工ガラスが水玉のような影を映し出している。ここは晴れた日に訪れた方がいいんだよ。
最後にバウハウスについて。(最初に記したように)グロピウスが1919年に興した機能主義を教える美術工芸学校なんだ。バウハウスってドイツ語で「建築の家」って意味だけど、どうしても“犬小屋”をイメージしちゃう。僕だけ?
「バウワウ」確かに犬だ
最初は織物や陶器が対象だったそうだね。しかし、時期が悪かったよ。第一次世界大戦で敗戦国になったドイツは経済が低迷。男性は兵隊に取られてしまったし。こうした時代背景が皮肉にも(テキスタイルなどの分野で)女性デザイナー躍進の契機になった。結局、ナチスが擡頭して1933年に閉鎖に追い込まれたが、戦後もバウハウスの思想は多くの芸術家に継承されていった。
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室内は撮影禁止なので、建築散歩の紹介はあまりできないけれど、アール・デコ様式が流行当時に採用された国内唯一の例だけに一見の価値はある。建築散歩が好きな方にはお薦めだ。
せっかくなので庭園を歩いてみる。残念ながら花の季節は五月前後。
「今はちょっと季節外れ」
側面から二階ベランダを見る。これが戦前の建物だからね。
奥が新館。
これはこれで素晴らしい。
茶室「光華」は武者小路千家の中川砂村の設計。大工は大阪の平田雅哉。昭和11年(1936年)の竣工。重要文化財だって。
靴のまま入室可能な立礼席の戦前の例は珍しいそうだ。壁は聚楽塗り。
こんな感じで工程が多いんだよ。次は日本庭園へ。
冬の景色だね(笑)。
でも梅は咲いていた。
池を周遊する。
続く西洋公園。うむ。芝生だけである。
じっくり観たので、もうお昼になってしまった。
庭園レストラン《comodo》でランチすることに。イタリアンみたいね。
「どーしてそー言える?」
イタリア語で「快適」って意味だし。現在90分の時間制。予約なしでも空席があれば入ることができる。
まずはピノノワールのスプマンテ(ボッテーガ)で乾杯。
「やっぱワインでしょ」
前菜 真鯛のカルパッチョ風、水牛マスカルポーネ、牛肉のラグー
パンプキンスープ
マスカルポーネとパンプキンシードのクランブルが浮いている。香ばしい!
メインは一皿づつ。おサルは牛肉のアロスト。
僕は日向鶏のアロスト。あしらいはレンズ豆とブルーチーズのソース。
全般的におとなしい味つけだったね。ごちそうさまでした。
最後にドルチェで。エスプレッソにすると別料金に。
ということでフルボトルで飲みまくっていたら最後の客になっていた…。
「総入替え制だったのきゃ」
失礼しました。 一応滞在時間60分だったけどね。
ということで、アートあり、建築散歩あり、グルメ探訪ありの欲張り街歩きだった。
「こーいうのなら大歓迎すゆ」♪地味でつらい登山はカンベン願いたい
ところがそういう訳にはいかないのであった。
(おわり)
ご訪問ありがとうございます。