奈良県立橿原考古学研究所附属博物館
℡)0744‐24‐1185
往訪日:2022年10月8日
所在地:奈良県橿原市畝傍町50‐2
開館時間:9時~17時(月曜定休)
料金:
通常期間)一般400円
特別展開催期間)一般800円
アクセス:近鉄橿原線・畝傍御陵前駅から徒歩5分
駐車場:約40台
《現代の彫金師にも負けない超絶技法》
ひつぞうです。連休を利用して奈良方面に遊びました。最初に訪ねたのは橿原考古学研究所附属博物館です。ここにはあの藤ノ木古墳の出土品が展示されているのです。1988年の金銅製装身具の発見は大きなニュースになりました。今では一部の考古学ファンが記憶に留めるくらいかもしれません。ですが、僕にとっては《生きている間に行くべき場所》のひとつでした。以下、往訪記です。
★ ★ ★
高松塚古墳に始まり、キトラ古墳に至るまで、大和路の小規模古墳は、驚異のタイムカプセルとして僕らを驚かせてきた。藤ノ木古墳も話題を攫ったひとつである。直径48㍍で古墳時代後期の造営と推定されている。この一見地味な古墳から未盗掘ゆえの古代装飾品が見つかった。1985年の一次調査で、石棺外部にて金銅製の馬具一式が発見され、続く1988年の二次調査で石棺内から金銅製の冠や履が見つかり、その精巧な技術と西域由来の意匠、そして、二体の被葬者が斯界の論争を巻き起こしたのは記憶に新しい。
果たして被葬者は誰か。暗殺された古代の有力者数名が挙げられたが、いまだ答えは出ていない。しかし、政争史に興味のない僕にはそんなことはどうでもよく、ただ工芸品としての出土品を観ることを渇望した。この日は連休初日。しかも秋の特別展示も始まっている。多少なりの混雑を予想して朝一番に往訪した。
この博物館の特異な点は、研究所の成果が、即、展示に繋がっていることだ。なので最新の研究成果が展示に反映されている。
朝のうちは前日の降水帯が東に移動して、偶然にも青空が覗いた。名古屋時代は幾度も遊んだ大和路。十年以上の無沙汰だった。
通常展示は一般料金400円。これが地方の公立美術・博物館の好いところ。安いし、混雑しない。この日は秋季特別展《宮廷苑池の誕生》が開催されていた。開場は特別展示室、第一、第二、第三展示室に別れる。
入口には昭和24年(1949年)に焼損した法隆寺金堂壁画のレプリカが飾られている。
そして今回の特別展に関係するのがこれ。
「なにこれ?昔のバスタブ?」
かつての都、飛鳥京の苑池跡から発掘された石槽だそうだ。
発掘開始から23年。庭(ニワ)は宮廷の施設から、貴族や豪族が政事の延長として催した騎射や宴の“装置”として機能するようになったことが判ってきた。現代で云えば、とある御殿の庭で、1000万円の錦鯉に餌をやりながら、有力政治家たちが密談が取り交わしたような。
「特定の人物をイメージしてない?」
いやいや。歴史はこうして繰り返して来たんだよ。きっと。千利休の茶室だって、秀吉との腹の探り合いの場として使われたでしょ。
ジオラマもお金がかかっているね。
これは八世紀頃に平城宮の北方に造営された苑池のひとつ《松林苑》の跡から発掘された鬼瓦。大宰府のそれとかなり様式が違うね。
これは面白い。平城宮の近傍にあった悲劇の皇子、長屋王の屋敷跡から発見された土器片。裏面には動物が落書きされている。
サルっすね。八世紀の絵描きも旨いひとがいたようだ。これらのことから当時は馬、鶴、牛、そして猿が飼われていたと推測されている。うちにも一匹いるけど、むしろ養われているところが口惜しい。
『続日本紀』によれば苑池ではときおり伎楽が舞われたらしい。これは東洋美術の大コレクター、原三渓(富太郎)の所有だった迦楼羅の面。絹貿易で財を成し、のちに横浜銀行頭取も務めた財界人でもある。僕ら横浜市民には三渓園の設立者として馴染み深い。
とまあ、せっかくの企画展であるが、歳も歳だし、限られた時間に好きなものだけを観ることにしてあとは割愛。
=第一展示室=
旧石器時代、縄文時代、弥生時代が紹介される。
あちこちで見てきたのでザッとね。
土偶片。疫病・疾病治癒のために土偶を身代わりにした説はご存知の通り。比較的女性、それも妊婦の姿が目立つのは産褥で体を壊すことが珍しくなかったためではないだろうか。まだ、医学はなかったし。
眼を引いたのはこの石器だ。時代としては石器時代週末期にあたるらしい。原料はサヌカイト。
「黒曜石はよく見るけどね」
サヌカイトというくらいなので最初に発見されたのは讃岐、つまり香川県。非常に硬い安山岩質。ここと金剛山系の北端、二上山が一大産出地になっている。造山運動によって形成された大和周辺にあって、この小さな信仰の山が古い火山だった御蔭で古代人は猟ができた。10年以上前の積雪期に二上山から金剛山までトレランしたことが懐かしい。
弥生時代は同時に青銅器の時代だ。全国から出土する銅鐸だが、畿内地方のそれは実用性から掛け離れた装飾性がとりわけ眼を惹く。
「ほんとだ。縁に丸い形とかついているにゃ」
製造方法はこんな感じ。鋳物ですな。叩くと甲高い音がするよ。
たぶんこうだったんじゃないきゃ劇場。
「シカがリアルすぎて怖い」
ここのジオラマ、ほんとによくできているよ。
=第二展示室=
古墳時代のコーナー。当館の眼玉はここ。
この巨大な円筒埴輪はすごいね。こんな大きさ、初めて見たよ。
これは黒塚古墳から出土した三角縁神獣鏡。畿内地方の古墳時代の遺跡からたくさん出てくることから、僕が学生の頃には、卑弥呼の邪馬台国畿内説と結び付けられて、ミステリなど、多くの出版物のネタになった。謬見も多くて今では話題にもならないけれど、しっかりこの名前だけは頭に残った。
当時の発掘状況。大きな樋の上に遺骸が安置されたらしい。
1997年の発掘における33面の三角縁神獣鏡の発見は大きな話題を呼んだ。
歴史的発見も他のニュースソースと同じ。時代とともに一部の好事家を除けば忘れてしまう。だからこそ、こうした研修施設や博物館の存在は重要だ。歴史的遺産は個人の所有に委ねるのではなく、しっかりした公的機関が細心の注意を払って保護保管すべきだと思う。
「金持ちには勝てんよ」長イモノニハ巻カレル派
またまた、そんな現実的な。
おサルってもしかして埴輪好き?
「地域で人物の装身具や髪型が違うのが面白いにゃ」
あら!ただの冷やかしかと思えば、きちんと観察しているじゃん。
巨大動物埴輪も多いね。馬に鹿。
クニが豊かになれば争いも起きる。古墳時代中期の馬見古墳群では多くの武具甲冑が発見されている。奈良盆地最大の古墳群なんだよ。
「サイタマみたいな?」
そんな感じ。
しかし、こんなものつけて本当に戦えたんだろうか。
いよいよこのコーナーのトリです。
藤ノ木古墳の展示ブース。
これが石棺外部で発見された金銅製馬具(国宝)。写真OKなんだよ。
こんな風に発見されたんだね。手前に土器類が並んでいる。石室が崩壊したせいで盗掘を免れたんだって。
内部はこんな感じ。これ当時の新聞で見たなあ。一番下に金銅製の履が脱ぎ捨てられたように並んでいるのもよく覚えている。
鞍金具前輪
鞍金具後輪(しずわ)
是非接眼鏡を持参してほしい。鳳凰、象、飛竜など、精緻、絢爛な細工に唸らざるを得ない。
棘葉形杏葉
これも馬具の一部。
古墳時代前期とは異なる意匠は、朝鮮半島で実権を握った百済や新羅の影響によるそうだ。
再現された敷布。
ビーズアクセサリー(複製)
ということで、残念ながら、一番見たかった金銅製履は中華人民共和国に貸与中だった…。
「間が悪いのう」Mr.bad timingダカラニャ
ということで、飛鳥・奈良~平安・室町時代の第三展示室は割愛。瓦と壷ばかりだったし。この時代の文物はまた別の機会に飛鳥・斑鳩で見学するということで。
外を見れば予報通りの曇天に。さて、お昼になる前に食事の場所まで移動しよう!
「柿の葉寿司はやめてにゃ」
おサルは押し寿司が大の苦手なのだ。
(つづく)
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