天然記念物 三春滝桜
℡)0247‐62‐3690
往訪日:2022年4月18日
所在地:福島県田村郡三春町大字滝字桜久保
見学時間:6時~21時
見学料:300円
トイレ:あり
駐車場:300台(無料)
※例年4月初旬~中旬の数日間が見頃です
※シーズン中は21時までライトアップされます
≪朝5時半から1時間以上粘った甲斐があった…かも≫
ひつぞうです。この日曜日、数年来懸案だった《三春滝桜》を鑑賞してきました。《根尾谷淡墨桜》(岐阜県)、《山高神代桜》(山梨県)と並び日本三大桜として夙に有名です。しかし、毎年満開のタイミングが変わるうえに、春の嵐が訪れれば数日で散ってしまう。また、週末と重ならないと天気と開花のタイミングが合っても往訪は適いません。毎日のように三春まちづくり公社の専用サイト「Find!三春」を監視し続けたものの散り始めの日曜がどうやら最後のチャンス。ベストタイミングとはいえません。迷いもありましたが行くことにしました。
「また来年にしたら?」
そうもいかんのよ。今年は天然記念物指定100周年のメモリアルイヤーなんだよ。
「だから?」
そこで観ることに意義があるんだよ。
「判らないにゃー。そのこだわり」
国の天然記念物指定は大正11年(1922年)10月。享和三年(1803年)長岡藩密使が記した日記『陸奥之編笠』からも、既にその存在が知られていたことが判る。それは登山家・田部井淳子さんが郷土の誇りとして常々口にされていた名木だった。その田部井さんも亡くなられて六年近い歳月が過ぎた。時が過ぎゆくのは思いのほか早い。
★ ★ ★
滝桜の周囲に幅1㍍ほどの歩廊が整備されているが、午前6時まで入場できない。逆にいえば、邪魔な人影なしの写真が撮れる。そのためカメラマニアは早朝から三脚を立ててスタンバイするそうだ。また徒歩5分ほどの場所に300台収容の駐車場とトイレブースも完備されていて、そこで車中泊する強者もいるとか。
午前5時に現地に着いた。駐車場は既に四割ほど埋まっている。のどかな丘陵地の斜面にポツンと立つ桜の姿があった。すでに場所取りを終えたおっさんや兄やんが首を縮めて朝日の訪れを待っている。まだあたりは薄暗く、若葉が目立ち始めた桜の花は薄墨色といっても良かった。ふと、宇野のお千代さんが愛した根尾谷の“本家”を思い出した。
「あのときも天気が悪いって怒っていたよ」
不満はいつも多い。損な性格である。
五時半になった。
光が当たり始めた。樹齢推定1000年以上。正確には判っていない。エドヒガンを始祖とするベニシダレザクラと云われている。観光客の映り込みがないのは美しいが、スケール感がいまひとつ。大正時代は幹の回りの簡素な石柵囲いだけだったので、それが災いしたか、昭和40年代以降は樹勢の衰えが顕著になったそうだ。
「こんだけ人がくればにゃ」
自分たちもそのひとりだけどね。
午前6時。スタッフによる入場開始のアナウンスが流れると、待ちに待ったとばかりに観光客がどっと押し寄せる。それでもまだ時間的に少ないほうなのだろう。
散り始めも悪くない。そもそも桜の花が日本人の心と捉えてきたのは、今が盛りの繚乱ぶりではなく、その儚げに散りゆく散華の美にあった。いたずらに軍国主義に利用されたために“散りぬる色”を讃える美意識がタブー視されるに至ったのに過ぎない。ナチスの蛮行がワグナーの音楽を全否定に向かわせたように。それと同じことが《ロシア》という記号の周縁で今起きている。
「なにを訳のわかならないことを云っているのち?」
おサルは何を思っているの?
「桜餅♪」
いいねえ♪
(さくら餅は生憎なかった。だから柏餅を喰った)
花より団子である。
酒も好きだがアンコには一生勝てない。
反時計回りに周回する。逆光も悪くない。観る角度によっては、美しい友禅の振袖のようにも、襲いくる怪物にもみえる。
この朝は放射冷却だったのだろう。霜が降りて足許が滑って危ないのなんのって。
一周した。
この数年、大雪や颱風の影響で枝折れが頻発している。そのため平成31年(2019年)1月に大規模な枯枝剪定が施されたそうだ。
引いて観た方が大きさがよく判る。
ナバナとのコントラスト。よく映える。
堪能した。やはり来てよかった。
立ち去り際に田部井さんのことを想い出した。癌を患った晩年の田部井さんのドキュメント番組だった。手術を終えてベッドに戻った田部井さんは、見守る旦那さんと娘さんに向かって「やっぱり痛てーな」と顔を歪めてぼそっと言った。男っぽい口調に、先鋭的登山を乗り越えてきた“男らしさ”を感じた。「そりゃそうだよ。手術したんだもん」。娘さんが苦笑しながら田部井さんを介助する。美しい娘さんだった。
社会人山岳会に所属し、厳冬期の谷川岳一ノ倉沢やヒマラヤを攻める若き日の田部井さんは元より、晩年の優しい山好きな“おばさん”登山家の田部井さんも、少しづつ忘れ去られようとしている。しかし、人の世とはそういうものだ。いずれはあなたも僕も、皆、いたのか、いなかったのか、それすら判らない存在になる。しかし、桜は次の春の訪れとともに還ってくる。生きている間は時々、些細であってもいい、喜びに満ちた記憶がその折々に脳裏をよぎってくれれば。そう思った。
「昨日観たセンチな映画の影響受け過ぎなんじゃね」
最近涙腺が緩くて緩くて。
この後、更なる目的地を目指して移動した。いずこも桜の花が満開だった。
(つづく)
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