ほったらかし温泉より甲斐百山を歩く(棚山~帯那山~水ヶ森)② | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

≪跫たてずに忍びよる冬の日の夕暮れ≫

 

こんばんは。ひつぞうです。全国で地震が頻発してますね。阪神大震災をまともに経験している身としては不安で仕方ありません。ブログは棚山~水ヶ森縦走の後篇です。

 

★ ★ ★

 

関東ではお馴染みの山梨百名山。挑戦されている方もいることだろう。しかし甲斐百山は最近耳にするようになった気がする。それもそのはず。2019年に日本山岳会山梨県支部発行の同名書籍で選ばれた山だからだ。そのためだろう。登山道のない藪山も含まれていて、本格派にはたまらないセレクションになっている。偶然だが棚山水ヶ森もその一座だった。

 

かつて牧場だったという茅場に別れを告げて三角点を目指した。

 

 

10分とかけずにそれらしい場所に到達した。

 

 

複数の標柱がたっていて、その一つには「奥帯那山」と記されている。どこの世界にも偏屈者妥協嫌いな人物はいるものと見えて、わざわざ「奥」の字をスプレーで乱雑に消していた。風致のために本来のピークを「奥」にしまいこむ行為は疑問だが、これはまた別の問題。なんでも暴力で解決するのはよくない。

 

「語るね。今夜も」サル

 

まあね。

 

「それよりさ。いつも棒立ちで写ってるよにゃ」サル

 

これはこれで僕らしいでしょ。

 

「おサルだけ頑張ってポーズ変えてバカみたいじゃんね」サル

 

おサルよ。人には得手不得手があるのだよ。

 

★ ★ ★

 

ここから先は『山と高原地図』に情報がない。ところが踏み跡はかなり明瞭だった。

 

 

カラマツ林の中を歩いていく。これって登山道だよね。

 

 

浅い笹原は南ア深南部や東丹沢の核心部を思わせる。

 

 

最初の1415㍍屈曲点までは緩い登り。

 

 

最高点に到達するとガラリと様相が変わった。忽然と立派な防火帯が出現。

 

 

地理院地図には破線がついている。登山道として機能してきたのではないだろうか。

 

 

なのになぜ『山と高原地図』には未記載なのか。なんとなく想像はつくけど。

 

 

帯那山三角点を過ぎたあたりから遮るものもなく、冷たい風をまともに受けるようになった。

 

 

次なる1430㍍屈曲点に近づくと、尾根はほぼ水平になり、時計をみれば帯那山から1時間足らずしか要していない。ルートが歩きやすくて時短できたらしい。あと1時間でゴールと宣言してもいいだろう。

 

「えっ!マジ?やる気でてきた!」サル

 

説明して正解だった。少しポテポテ歩きになっていたんだよね。

 

 

ここをくだれば最後の登りを残すだけだよ。

 

「判った!あとちょっとで宴会だにゃ!なんか出し物考えてきた?」サル

 

え!裸踊りくらいしか…。

 

「この季節に裸踊りはつらいにゃ!」サル

 

ゴキゲンである。

 

寒さに耐えられずに途中でハードシェルを羽織ることにした。風邪をひいては元も子もない。

 

 

分岐のような場所に出た。西に降れば昇仙峡まで70分。弓張峠までコブがひとつ残っている。それを嫌って車道に出ることにした。下山するまで気づかなかったが、実はここが新しい(と言っても相対的なもので設置は遥か昔だろう)弓張峠だった。

 

 

車道側は風が抜けない。だから着込んだだけ猛烈に暑い。ちょっとの我慢。

 

 

キョロキョロするものの峠を示す標識はなかった。仕方ない。ピンテを頼りに攀じ登ることにした。

 

 

強引に這いあがる。やはり目印の類はない。ちょうどそのあたりで防火帯は途切れて、水ヶ森山頂に至る踏み跡だけが続いていた。マークはしっかりしている。1時間も掛からない登りだ。訳ないだろうと高を括ったのは失敗で、胸突き八丁の激急登に変わった。後続への落石に要注意。加えて途中の左斜面に獣道と思しき巻き道が分岐していた。直登が正解。

 

「むっちゃきつい!」サル

 

みるみるうちに距離が開いていく。それでも小さなおサルは頑張って附いてきた。

 

 

帯那山三角点から約二時間で宿願の水ヶ森についた。時刻は午後三時前。冬場の山行としては理想的だった。誰もいないなか、強まる風に耐えながらふたりでテントを立ち上げた。

 

 

広そうに見えながら、平坦かつ障害物のない場所は少ない。早速二人きりの忘年会を始めた。この日は水餃子。薄張りのテントなので、中で調理して暖を取ることにした。火が点れば温かい。まずはハイボールをマイブレンドで作る。渇いた喉を炭酸が刺激した。

 

「うみゃ~い!」サル

 

モチモチの水餃子は幾らでも喰えた。後先考えずに餅を大量投入したのは我ながら大失敗だったが。満腹になった僕らは、日没を待たずして繋いだシュラフに潜り込んだ。記憶しているのは午後5時半まで。その後、喉の渇きで時折眼が覚めたが、寒さも感じず快適な夜だった。吹き荒ぶ風の唸りは相変わらずだったが、午後10時を回る頃にはおとなしくなった。そして、鹿の気配もなく、ただ、漆黒の闇の底に甲府の夜景が音もなく浮かびあがっていた。

 

=二日目=

 

10時間寝たせいで、さすがに午前三時には眼が覚めたが、放射冷却でシュラフから出たくない。しぶしぶ外に出て朝食の準備にかかる。さいわい霜もおりず、水が氷ることもなかった。ラーメンを平らげて即席のコーヒーを嗅ぎながら、朝のラジオ放送に聞き入った。

 

 

初日の行程から逆算すれば、下山は6時間あれば足りそうだった。だから慌てることはない。日の出に合わせて山頂を発った。

 

 

これから目指す帯那山。確かに山には見えない。

 

 

まだ体が動きに慣れていない。急な尾根を慎重にくだっていく。

 

 

よくのぼったよね。

 

「一心不乱だったにゃ」サル

 

 

コルを通過して前日に嫌ったコブを越えることにした。

 

 

すると十字路のような場所に出た。どうやらここが旧い弓張峠のようだ。

 

 

二つ目のコブを越える。

 

 

復路は帯那山まで車道を歩いてみることにした。支尾根を巻くため延長は逆に長くなる。そのため時間短縮の効果は期待できないだろう。同じ道を歩くより変化を愉しもう。そうすることにした。

 

 

弓張峠(新)で車道におりる。

 

 

水ヶ森を一望できた。水もないのになぜ水ヶ森なのだろうか。思うに「水」は「見ず」の転訛。麓からはなかなか見えない山。だから「見ずが森」。それがいつしか「水ヶ森」。どうだろう。

 

「そういうのほんと好きだね。キミは」サル

 

退屈だからね。てくてく歩いてばかりで。

 

 

この時間だと車の往来もない。

 

 

山頂を出て1時間半で帯那山直下の駐車場についた。5台ほどは停車できそう。

 

「アヤメが咲くのち?」サル

 

らしいね。でも鹿に喰われちゃうんじゃない?櫛形山のアヤメも絶滅しそうだし。

 

 

カヤトの坂を登っていく。

 

 

前日とは逆から到着。廃墟と化した建物は平成5年に公営牧場が開設された際の管理小屋。

 

 

この日は富士五湖周辺には名物の朝霧が広がっていた。

 

 

折角なのでカップ麺を作ることにした。とにかく食材は山のように残っている。

 

「4時半にメシ食ったのにもうお腹ぺこぺこ」サル

 

燃費悪いね…あせ

 

 

二日目は風ひとつない快晴だった。このアカマツがなければ水ヶ森が拝めるのだが。

 

 

神妙に麺作りに励んでいる。好きにさせよう。

 

今回からテント泊用ザックは新しくなった。9年間使ったツギハギだらけのジーニスは前回の袈裟丸山縦走後にファスナーが壊れてしまったからだ。修理できないこともないが、実はあちこちにガタが来ている。モノに執着しても始まらない。お別れすることにした。

 

「ラーメン美味かった!」サル

 

お腹もいっぱいになったので再出発。ここからは一日目の道をトレースする。

 

 

チェーンソーの音がこの日も谺していた。

 

 

石仏さまに加護の礼を返した。

 

 

一気に棚山まで戻ってきた。

 

「またまた激急登きゃあ」サル

 

これで最後だよ。

 

山頂では一組のグループが休憩中だった。

 

 

下山は山の神コースで。

 

 

ところが、こっちはこっちで激急だった。

 

「こっちの方がキビシイよ。ザレザレが」サル

 

 

ホントだね。失敗だったね。

 

 

ま。僕の読みなんてこんなものである。

 

※この季節は枯葉も多いのでスリップには注意しましょう。

 

 

二日目も麓は霞みがかかっていた。

 

 

しつこいくらい激くだり。

 

 

漸く安定したところで山の神が現れる。駄弁で山を穢した僕らは二人して首を垂れた。

 

 

ここまで戻れば安心。笹子の稜線が美しい。まだ笹子雁ヶ腹摺山は未踏である。

 

 

戻ってきた。この日で八年間世話になったフォレスターでの山旅は終わりとなる。雪道、洗堀されたダート、大雨や大風などあらゆる悪条件に耐えてくれた。一方では寝床や食堂でもあった。焼きそばや鍋も作った。二度後部から追突され、時には激しく脱輪し、そして、跳ね石でフロントに罅を入れたのも三度。本当に使いの荒いオーナーのせいで満身創痍のフォレ君だった。その走行距離199,996㌔。20万㌔目前である。

 

「フォレ君、ありがとうにゃ」サル

 

 

次の山はどこになるだろう。

 

=登ってみての感想=

 

稜線沿いに林道が拓かれているため、人の暮らしが近いものと想像したが、静かな山深さエリアは他の奥秩父の領域と変わらなかった。総じて危険箇所もなく、歩きやすいコース。但し、棚山の滑りやすい急斜面は想像以上に厄介、棚山~太良峠間は標識の整備が不十分。進路間違いに注意したい。続く太良峠~帯那山間は車道経由であればノープロブレムだが、登山としての達成感は希薄になる。他方、尾根繋ぎだと部分的な藪、車道との交差、造成地との重複など多少の不便はついて回る。『山と高原地図』に情報のない帯那山三角点から先は(逆に)踏み跡鮮明。特に1415㍍地点から先は想像以上に立派な防火帯が水ヶ森の基部まで続いていた。

 

(おわり)

 

【行動時間】 7時間+5時間15分

 

ご訪問ありがとうございます。