≪両神山から帳付山に至るギザギザの稜線≫
こんばんは。ひつぞうです。明日から師走。一年経つのは早いものです。マムシ岳登山の続きを更新します。
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ずっと冷たい風が吹き荒んでいる。木枯らしの季節がそこまで来ていた。この様子では誰にも逢うことはなさそうだ。そのほうがいい。本格的な痩せ尾根は今から始まるのだから。
念願のマムシ岳に別れを告げる。それにしてもなぜマムシなのだろう。マムシのような稜線だからか。その毒気と同じくらい危険な山だからか。
前方には岩塊が続いている。藪が邪魔で何が何やら判らないけれど。
少し右に視線を逸らすと上信国境の稜線が間近にあった。あの先はもう佐久平。
山頂先端は行きどまりになっていた。南面を探ると赤い太巻きのテープが点々と見えている。
信じて降っていく。間違って下山ルートに向かっているのでは。そんな不安を余所に踏み跡は確実にコルへと続いていた。
次の尾根が打田さんお墨つきの核心部。
崩落が進む岩壁をへつりながら下降気味にトラバース。安全を確かめながら通過する。
足場は脆く、ホールドは剥がれやすい。
降り立った処でマムシ岳の真の姿を見た。
「あそこにいたのきゃ!」
佇んでいる時は全然平気なんだよね。
痩せ尾根が続く。このあたりは歩いていて楽しい。
そこそこ難しいけれど危険ではない。そんな感じ。
と云いつつ、僕はけっこうしんどかった。最近飲み過ぎかも。
開放的で歩きやすい尾根が続く。
次のピークにも「マムシ岳」のカマボコ看板が。
「じょうずなマムシのイラスト入りだよ」
ここからゴジラの背中状に。
慎重に降っていく。
両サイド切れ落ちているが板状のホールドが豊富。足場もしっかりしている。
ロープなしでいける。
次なる登り返し。段差がある岩尾根。
巧く足をかけて攀じ登る。
やあ。きっとここが…どこかのピークだよ。
「そりゃそうだろうよ。いい加減なヒツだよ。まったく」
高天原山、三国山方面。いつか登りたい稜線の数々。そして、手前が36年前に日航機墜落事故現場となった御巣鷹の尾根。今でも思い出す。受験生でありながら受験を放棄した天王山の8月12日。僕はRKB放送のラジオ朗読に聴き入っていた。突然流れる臨時速報。あさま山荘事件も然り。リアルに見て聞いた昭和の事件事故は全て山にあった。その尾根も今は静かに青空の下にあるだけだ。
もう危険個所はないようだ。意外に短かった。近隣の稜線でいえば両神山の天理尾根や大山北稜の方が遥かに難しい。痩せた崩壊地のトラバース以外はそれほど恐れるに足りないというのが率直な感想。むしろ出だしの尾根の登りが怖かった。滑るし。落石しまくりだし。
この藪尾根を越えればマムシのコルだ。
マムシ岳周辺はシオジ原生林の北限として保護されている。
ここで小休止。行動食を口に入れた。さすがに気温が下がると水の摂取は減る。
ここでまた左から降りる。岩場の鼻は全てこの展開。道がないなと思ったら南側(左手)に降りよう。
おサル、降って正解だったよ。
あの先はこんな絶壁だった。
「おサルと一緒だのう」
おサルの頭はゼッペキで知られる。
ややざれた泥のルンゼを登った処が1348㍍峰だった。
「あっ!ない!」
頓狂な声をおサルがあげた。
「カメラ置いてきた!」
どこに!?
「たぶんさっき休憩した場所」
取りに戻るというが、迷うと始末が悪い。ザックを置いて走るように戻った。見ればあの図根点のあるピークに“ぽいっ”と置き去りにされていた。危うく好奇心旺盛な猿に引かれるところだったよ。(猿とはニホンザルのことである。断るまでもないが)
「熊だったら最悪だったにゃ」
執着心が強いからね。って笑いごとじゃないよ!
(おかげで息があがってしまった)
「むきょ?」
1454㍍峰まで稜線通しではなく三箇所コブを巻いていく。ずっと南側に踏み跡がついている。
1454㍍峰についた。これで登りは終わりだ。
開放的な斜面を一直線にくだる。
マムシのコルについた。立派な看板があった。この先、北沢を伝って降るつもりだった。
荒れているがこの程度はいつものこと。しかし、いざくだり初めると嫌な予感。この日は全然いいイメージが湧かなかった。事故に遭いそう。
あっさりゲンナイ登山口側に降りることに。
整備された道の誘惑に負けたのよ。
沢伝いに一気にくだった。整備はされているものの歩く人はいないと見える。落石と落葉が堆積して足の踏み場を探るのが大変だった(笑)。
無事に登山口にタッチ。
立派に整備されていた。しかし、周辺には駐車場がない。どうやってハイカーを呼び寄せようと平成15年当時のお役人たちは考えたのだろう。舗道におりてハーネスとチェーンスパイクを外す。日影なのでじっとしていると身に染みるほどに寒い。
歩き始めると、諏訪山のヤツウチグラの岩峰が眼前にあった。とにかく苔むした路面が滑って怖い。
なんのことはない。道路は近年の豪雨被害であちこち補修工事中。冬季封鎖以前の問題だった。
一時間ほどで大岩ノ頭に続く登山道入口を通過。鉄塔巡視路を利用させてもらっているようだ。
神明宮の朱色の鳥居が見えれば中ノ沢の集落はそこだ。カーブを曲がった先にはトタンや瓦屋根の民家が道路脇の斜面に軒を連ねていた。幾つかは明らかに空き家だったが、旺盛な人々の暮らしが垣間見えた。ふと気配を感じて垣上の人家に眼をやると、男性二人が軒下で鹿の腹を裂いている最中だった。恐らく腹膜の処理だろう。体格のいい男性が若いもうひとりに指示している。目礼して通り過ぎさまに高桑信一さんの著書『山の仕事、山の暮らし』に取り上げられた二階堂九蔵氏の挿話を思い出した。
上野村には複数の狩猟集団があり、掲載当時83歳だった“総帥”が九蔵氏だった。既に20年前の記事であり、もはや現役ではないだろう。鬼籍に入っていてもおかしくない。そのグループの一派かどうか判らないが、捌く手つきと真剣な眼差し、そして、奥の犬舎で猛烈に吠えたてる猟犬たちの気配に、ここが上野村であることを強く感じた。
「血の匂いに反応しているね」
僕らを威嚇してるに決まっているでしょ!
最後のカーブを曲がると今日もぽつねんと愛車が一台待っていた。
=登ってみての感想=
全行程のうちで瘠せ尾根らしい区間はマムシ岳から先の僅かな区間。むしろ登山開始後の970㍍地点までの登りの方が危険を伴う。節理した岩は剝がれやすく、足許の岩も悉く浮いている。雨後の登山はお薦めしない。また、マムシ岳のツメの斜面はボロボロの虎ロープが垂れているだけ。自力登攀の準備は必要だと感じた。
(おわり)
【行動時間】 6時間45分+1時間20分
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