南アルプス深南部(白倉山~中ノ尾根山~黒沢山)① | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

白倉山(1851m)/笠松山(2013m)/三又山(2220m)/ドーム(2251m)/中ノ尾根山(2297m)/黒山(2095m)/黒沢山(2013m) 静岡県・長野県

 

日程:2019年11月9日~10日

天気:(一日目)晴れのち霧

行程:(一日目)白倉権現ゲート6:05→6:45黒沢橋→8:25白倉橋→11:15稜線11:35→12:15白倉山→13:30笠松山13:45→15:15三又山15:27→15:45ドーム15:48→16:30中ノ尾根山(幕営)

■駐車スペース:ゲート前に2台、200m手前に5台程度(絶対にゲートを封鎖しないこと)

■登山ポスト:ゲート前に記帳式あり

■トイレ:国道152号沿いにトイレ・コンビニはない。道の駅「天竜相津」ですませること

 

≪白倉山周辺から見る三又山、ドーム、中ノ尾根山≫

 

こんばんは。寒波の到来にようやく冬の始まりを感じるひつぞうです。先週末は南アルプス深南部中ノ尾根山を中心に周回縦走してきました。台風19号の影響が心配でしたが、どうなったでしょうか。詳しくはいつもの山行記録で!

 

★ ★ ★

 

【中ノ尾根山~黒沢山周回ルート】

 

南アルプス深南部。手つかずの自然が残る玄人好みの籔に、深い峪と尾根の領域。近年は冬将軍が近づくたびに訪ねている。というのも暖かい時期はヒルの温床だからだ。

 

入山すれば、まず登山者に遇うことはなく、笹薮と針葉樹の幼木を掻き分けつつ獣道を辿っていく。深南部の魅力を訊かれることがある。眺望が限られ、南ア北部のアルペン的な魁偉さにも乏しく何処が何処かも定かでない、特徴も乏しい山の何が愉しいのかと。

 

一言でいえば、人間の進入を拒む秘境を人智と精神力で乗り越えていくことだろうか。静かすぎる自然の原風景もいい。嘗ての杣人の暮らしの残滓に触れるのも懐かしく、第一にどの山も個性溢れる山容をしているではないか。

 

★ ★ ★

 

浜松市や静岡県、林野庁天竜森林管理署の道路情報を調べる限り、国道152号にも白倉林道にも、規制の報せは出ていなかった。前夜、新東名・遠州森町SAにて仮眠。浜松浜北ICより70kmの距離を北上する。なお水窪から地頭方経由で林道には入らず、国道152号を北島集落まで迂回して、渡元集落から

入る方が結果的に早い。最後の5kmは落石混じりのダート。車高の低い車は難儀しそうだ。

 

1時間45分かけて白倉権現ゲートに到着。ゲート前には一体のお地蔵様が祀られていた。

 

 

予想どおり一台もなかった。登山届を提出。下山時に回収する。いつもこのやり方である。この先は林野庁の管理下にある。事前許可が必要なのは戸中川周辺の山々と同様。

 

 

林道の周辺、白倉川沿いは、まさに紅葉の盛りだった。実は紅葉シーズンの深南部は初めて。例年降雪を待って入山していた。どんな景色が待っているか愉しみ。

 

 

天竜森林管理署の管理小屋を通過。沿道には伏流水が滝となって流れ込んでいた。どうも(前の週の裏巻機同様に)南ア深南部も水量が多そうだ。下山時に渡渉があるんだよね。

 

 

う~む。これ。

梅雨時の水量なんじゃないか。去年ボタン尾根を詰めて竜馬ヶ岳に登ったときは、沢は嘘のように大人しかった。そうこうするうちに黒沢橋が見えてきた。

 

 

かつて存在した黒沢林道黒沢山の登山道の起点として利用されていた。いつ頃か不明だが、大規模な地滑りによって林道は崩壊。事実上黒沢山は登山道のない山となってしまった。少なくとも15年前には既に今の状態だったようだ。

 

以前は車も走った吊り橋はメンテナンスされていないものの、補剛桁はしっかりしていて、アンカーのフーチングも浮いていないし、ケーブルの軸索にも腐蝕は見られない。

 

だがしかし。

 

 

床版が木製なのだ。ここからは確認しづらいが、支間中央部は腐って殆ど抜けてしまっているらしい。構造的に輪荷重が載る橋軸方向には主桁のビームがあるはずで、見た目は腐っていても、人間の荷重程度では板が軋むだけで落ちないと思う。

 

なぜ、ここまでこの見捨てられた橋に拘るかと云えば、黒沢山からの下山時に通過しないといけないからだ。年毎に板の腐蝕は進行し、通過したという記録も減っている。おまけに通行止めのバリケードもどんどん厳重になっている。幸い事故は起きていないのだろう。林野庁のHPにも(夢想吊り橋のように)渡るなという記載は見られない。

 

「だからって行くのちにゃ!」サル

 

今年来れなければ、この山行計画自体封印するつもりだったからね。

 

 

改めてコースの説明。中ノ尾根山白倉林道を詰めて“正規”の登山口からの登るのが通例。しかし、深南部らしい手造りの登山区間が短く、せっかく浜松市の最高峰を極めるには味気ない。

 

深南部には語り部的な山ヤの先達がいる。『南アルプス・深南部』(羽衣出版)の著者として知られる永野敏夫氏推奨のコースから白倉山に取りつき三又山、ドームと繋いで中ノ尾根山にて一泊。深南部でも背丈を超える有数の激籔として知られる黒山を乗り越えて黒沢山に到達。北西尾根の薄い踏み跡を辿って沢の底に降り立ち、くだんの黒沢橋を通過しゲートに戻る周回コースとした。

 

危険個所、ルーファイ困難箇所、激籔とトラップ満載である。愉しくないはずがない。

 

 

二つ目の黒沢休憩所についた。鍵が掛かっていて利用はできない。

 

 

休憩所の前には朝日山の登山口があった。へえ。ここから登れるのか。

 

 

シャウゾ山の尾根に阻まれているので、天気はまずまずながら、朝日が差し込むにはまだ早く、少し紅葉の発色が重い。歩ていると時折甘い匂いが鼻腔をくすぐる。姿勢のいい桂の大木があちこちに立っていた。

 

 

黒山を源頭とする東俣沢の深い森。

 

 

三番目の小屋は針金でノブが結わえられているだけで非常時は使えそうだった。

 

「おお!紅葉が美しいにゃ。おサルのスマホで撮るだよ」サル

 

 

悔しいけど確かにすごい。四年前に改良工事が済んだ大地滑り地帯。目指す笹原の稜線はすぐそこに見えていた。

 

なんだ。簡単に乗り上げられそうじゃん。

 

 

いよいよ白倉橋が見えてきた。

 

 

右岸には直登する尾根と、西俣沢を詰めていく沢筋の両方に立派な丸太の桟道が設えられていた。

 

 

なんだよ。結構メジャーコースになってるじゃん。永野氏が開拓した尾根を進む。

 

 

しかし、その読みは甘かった。すぐに道らしい道はなくなり、踏まれた様子もなく踏み込むたびに石が恐ろしい音を立てて落ちていく。掴むものもない。ほんとに尾根でいいんかね。谷の方が斜度緩いんだけど。

 

 

「あ。なんか針金みたいなものがあるにゃ」サル

 

確かに細い樹脂コーティングの番線みたいなものが設置されていた。でも摩擦がないので身体が上がらんのよ。少し斜度が緩むと、獣道を伝いながら標高を稼いでいった。しかし、今回もまたおサルが全然ついてこない…。

 

「もうこんな登山イヤ!」サル

 

温泉マジックも通用しなかった。比高420m、水平距離600mの登り。

 

 

樹間からはこの日のゴールである(左から)三又山、ドーム、そして巨大な中ノ尾根山の三兄弟が見えてきた。

 

 

尾根の肩に乗ったようだ。トタンの破片が幾つも折り重なっていた。造林小屋の跡だろう。水窪周辺は終戦までの長い間、林業で栄えた土地柄。あたりにはポツンと一軒家が目立つが、その名残りなのだそうだ。

 

ここからが面倒で、スズタケが茂り始めた。尾根を追うと煩い籔に遮られ谷に寄り過ぎるとゴーロで足を掬われる。こうして計画の1.5時間を大幅に超えてしまった。

 

 

それでも太陽が顔を覗かせれば心は弾む。

 

 

スズタケを我慢して尾根に復帰。嘘のように明瞭な登山道に飛び出した。ま、これも鹿の道なのだろう。

 

 

黄葉のカラマツ林の林床には幕営にぴったりの空間が広がっていた。最後のひと越えで稜線だ。

 

 

それまでの目印皆無が嘘のように、稜線には赤テープがベタ打ちされていた。白倉尾根の下降点を示すためのものだったのだろう。ここでおサルの到着を待った。

 

 

再び面倒な笹薮として知られるポイントに。笹の深さは腰程度だが獣道が錯綜し、倒木もハンパない。迂闊に歩くと、隠れた倒木に向う脛や膝の皿を嫌というほどぶつけてしまう。

 

 

広尾根なのでどこを歩くのがベストなのか暫くカンが働かない。稜線中央は凄まじく深い。眺望のいい南側にも誘われがちだが、尚の事深くて復帰に苦労した。

 

 

そのうち判ってきた。こうした船窪地形が歩きやすい。また尾根中央がある場合は、向かって左(北)斜面が笹が薄い。西風が強く働くからだろう。コツさえ掴めば歩きやすくなった。

 

 

そうこうするうちに最初のピーク白倉山に着いた。

 

 

苦労したが、なかなか雰囲気があっていい。

 

 

ぐーんと右旋回してあそこまで行くのか。とりあえずこの日のゴールという事は伏せておこう。

 

 

広尾根になると幕営適地がたくさんあった。焚火の跡も。駄目なんだけどね。

 

 

そして再び尾根が顕著に。稜線中央に拘らずに一番濃い獣道を信じよう。

 

 

倒木と苔が増えてきたなと思ったら、そこが笠松山山頂だった。テント三張りくらいは可能な居心地のいい空間だった。ここで行動食を補食していると、鈴の音が近づいてきた。相手もギョッとしていたが、僕らよりも少し若い夫婦者だった。互いの情報交換を果たし、どこまで行くのかと問われた。黒沢山までと応えると、相手の男性は「じゃ、あの藪を越えるんですね」と眼を輝かせた。

 

男性は以前黒沢山に南面から登ったのだろう。手強い笹の反撃にあい、その先の稜線を想ったそうだ。

 

 

二人に先を譲り、おサルのペースを見守った。

 

 

二人はあの赤く色づいた平森山から稜線に取りついたそうだ。確かに立派な登山道が林道から派生していた。快適なトレイルだったという。僕も登山口を見つけた時は心惹かれた。だが、急なコース変更は決していい結果を産まない。僕らは彼らのように早くはない。

 

 

笠松山からはそれまでの獣道が嘘のように、明瞭な登山道に変化した。このやや痩せた尾根を通過すると三又山への急登だ。

 

 

二人はサッサと登っていった。踏み跡は右斜めについていて、次第に薄くなっていく。

 

 

ついてきているかと思うと、全然違う方向に姿を晦ますので注意して見ておかねば。

 

「ワンコかよ!」サル

 

 

ドームが目の前に。

 

 

踏み跡は巻き道状に変化したあと、稜線伝いとなり、若干昇降する。

 

 

三又山についた。おサルはもうボロボロだが、山頂に着けば笑顔になるだけの余裕があった。ここは光岳に続く尾根と、黒法師岳高塚山に至る尾根の三叉路。

 

先行した二人は鶏冠山寄りの広尾根で幕営の最中だった。

 

 

少し進んで振り返る。ガスが一気に飯田方面から湧き上がってきた。

 

 

次のドームまでは訳はない。

 

 

この先は初日一番の危険地帯。

 

 

もう中ノ尾根山はそこなのだが。笹やザレ場で滑りやすいので、風の強い時は要注意。

 

 

一気に降りて振り返る。めっちゃ怖い…。

 

 

ここも見た目以上にザレて怖かったね。

 

 

コルを越えると、またまた踏み跡は絶えた。少しでも薄い場所をたどって稜線中央を突こう。もう日没まで半時しか残っていない。山頂は矢鱈に広いのでなかなか三角点が見つからなかった。

 

 

ようやく見つけた時はもうとっぷりと日が暮れてしまった。(写真はISO100で約10秒掛けているので、割に綺麗に撮れている。でも僕らは微妙に動いているのでぶれているね)

 

テントはこの三角点周辺が一番平坦で、障害物もなかった。最近どうも時間切れが多くていけない。張り終えた頃には周囲に霧が立ち込め、一気に空気が冷たくなるのが判った。

 

(つづく)

 

【一日目の行動時間】 9時間35分

 

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