京丸伝説幻視行(竜馬ヶ岳~高塚山~京丸山)① | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

竜馬ヶ岳(1,501m)、高塚山(1,621m)、京丸山(1,470m) 静岡県

 

日程:2018年1月13日~14日

天候:(1日目)晴のち時々曇

行程:(1日目)石切ゲート6:30→8:10京丸川下降点8:15→9:35京丸川河床9:57→(18分ロス)→14:30分岐14:45→15:08竜馬ヶ岳15:14→17:05幕営地

■トイレ:なし(道中コンビニも満足にありません。道の駅「いっぷく処横川」で)

■駐車スペース:石切ゲート前に四台ほど

■登山ポスト:なし(林野庁天竜森林管理署による事前入山許可が必要)

 

≪高塚山の大ナギより竜馬ヶ岳≫

 

こんばんは、ひつぞうです。リハビリも順調で肝心の親指も2センチ動くようになりました。家でじっとしているのが一番辛いです。メグミルク毎日骨太を飲んで骨太になろう。

 

今月の第二週に遠州の秘境「京丸集落」を取り巻く山々を歩いてきました。企画後二年経過して実現した山行です。というのも南ア深南部の例に漏れず凄いヒル山なので登山適期が限定されるからです。そもそもこれらの山に興味を持ったきっかけは、三百名山に選定されている高塚山でした(今年田中陽希さんが登ります)。調べてみると記録が少なく「なぜ三百名山に選ばれたのか判らないほど地味」など扱いがよくありません。これは自分の足で検証するしかない。せっかくなのでアクセスの悪い京丸集落から周回で竜馬ヶ岳(りゅうまがたけ)と集落の名を戴いた京丸山を繋ぐことにしました。詳しくはいつもの山行記録で。

 

★ ★ ★

 

【今回のルート】

 

その週末は東海地方の好天が期待されていた。遂に高塚山登山実行の日が訪れた。だが、どういうわけか気持ちが今一つ乗らない。相変わらずネット情報は少なかった。多くは川根本町からアクセスが容易な山犬段春野山の村からのピストンで、春野町の石切ゲートからの記録は2017年4月の法面崩壊による通行止め以降壊滅的に減っていた。

 

不安になった僕は浜松市天竜森林事務所に電話した。静岡時代に仕事で何度も訪れた合同庁舎の事務所だった。だが電話の相手は「石切林道は国管理の林道です」と素気ない返事。紹介された林野庁天竜森林管理署に改めて問い合わせた。復旧しているが、入山には事前許可が必要と言われた。初耳だった。深南部の中ノ尾根山が必要とは知っていたが。HPを見ると確かにそう書いてある(なんと昨シーズン登った黒法師岳も必要だった)。

 

森林管理署への申請手続きはココ→ 関東森林局

 

申請書を事前送付すれば許可が下りないことはない。柔軟に対応頂いた管理署の皆様ありがとうございました。無事下山しております。(HPを見ると判るが、林道や吊り橋の老朽化でどんどん縦走路やアクセス路が不通になっている。税収漸減の昨今、酔狂な個人の道楽のために復旧されるのは絶望的な気がする。登るなら今のうち)

 

とにかく僕にとって今回の核心部は登山よりもアクセスだった。森町SAで仮眠したのち浜松北ICで降り、国道362号から県道389号水窪森線に入る。漆黒の闇だが道は広い。豊岡発電所から遂に林道に別れる。各段に幅員は狭まり、ブラックアイスになっている箇所多数。ノーマルでは無理だ。走ること6.7km。最後の3kmは荒れたダートだったが、あっさり石切ゲートに着いてしまった。パンクしそうな落石もなかった。森町SAから1時間15分程度だった。

 

 

スペースは車4台が停車できる程度。6時には準備完了したが、面倒な徒渉点の下降があるので、明るくなるのを待って6時30分に出発した。

 

 

ゲート(2コマ前の写真の右側)を越えて延々とダート道を歩く。下降点のある京丸集落まで徒歩1.5時間。なので早く出ても好かったようだ。おサルには秘密である。

 

 

途中京丸川に注ぐ支沢の氷瀑が見事だった。

 

 

要らん事大好きなやつが近寄る。

 

「破壊しまくるのちよ!」サル

 

好きにしてちょ。

 

 

「おお~っ!すっごい大物をゲットしただよ」 サル

 

このあと地面に叩きつけて粉砕したのは言うまでもない。破壊衝動をこっちに向けられないようにしないとね。

 

 

暫く興味を惹くものがなくなり、詰まらなそうにポテポテついてくる。ワンコかよ。

 

途中、京丸川を越えて小俣集落に続く尾根越えの分岐を認めたが注意しないと見落とす程の僅かな踏み跡。結論から云うと京丸小俣も無人になって久しい。特に小俣集落は昭和42年に廃村になり、かつて在った分校舎や民家は近年の水害で斜面ごと滑り落ちて跡形もないと聞く。

 

実はこれら集落の住民は南北朝時代に戦乱を避けて都から逃れてきた貴顕の末裔という伝承がある。住民の姓は藤原一統で、最後の住民であったお婆さんの屋敷の瓦には「〇に京」の家紋が彫られている。隔絶された辺境の地に残る「京丸」の地名と藤原姓。伝承の信憑性を支えて余りあると云っては過言だろうか。

 

なにしろ10km下流の石切集落(ここも今は限界集落)でさえ、享保年間まで上流に人の暮らしがあると知られていなかった。民俗学的にも貴重な場所として柳田國男折口信夫も調査に訪れ、(1980年の廃村以降も子孫によって管理されている)先の藤原家に宿泊した記録がある。また、我らが深田久弥も1965年に京丸山まで足を運んでいる。気田川沿いには鉄道はない。登山口に着くだけでも相当難儀したらしい。その貴顕流離の幻の里に京丸牡丹の伝説があった。

 

「今回もずいぶん語るにゃあ。おサル歴史は苦手だよ」サル

 

 

一時間以上経過して、いよいよこれから取り掛かるボタン尾根が見えてきた。中央の高塚山に右斜めにかかる尾根がそれだ。六十年に一度咲く伝説の大牡丹は竜馬ヶ岳周辺に群落をなすシロヤシオの当たり年に誤認したものと推察されるが、科学的説明だけが能じゃない。伝説の花を求めて山に踏み入るのも一興。ではなぜ花のベストシーズンの五月を狙わないのか。やはり浪漫だけではヒルには勝てないのだった。

 

 

旧京丸集落への分岐を過ぎて橋を渡ると狩猟クラブの猟師小屋が見えてくる。集落への入り口には鎖が渡され「私有地につき立ち入り禁止」と書いてあった。ネットには集落の写真もUPされているが、公開されていない以上、個人的には侵入行為は疑問である。ま、人は人なんだけどね。

 

 

まもなく開けた大きなカーブに至る。ここが京丸川への下降点だ。情報によってスタート地点が異なる。林野庁の「15.5km地点」の標識手前に発動発電機らしきものがあり、比較的斜度が緩そうだったのでここから降りることに。

 

 

斜度60度はありそうだ。なぜロープを持ってこなかったのか。悔やんでも遅い。子細に観察すると古いロープが針金で立木に斜めに結わえてあった。体を預けるのは原則に反するが背に腹は代えられない。下降前に履いたチェーンスパイクだけが頼り。

 

 

全く人が入った痕跡がない。なのにこの角度。いったい僕らは何をしているのか。

 

 

「は~い!いいですよう!」と声を掛けるが、ワンスリップでロープごと僕も一緒に持っていかれる可能性がある。固唾を飲んでおサルの一挙手一投足を見守る。

 

 

長年の風雨で斜面の表土が持っていかれて足場がない。そして手掛かりもない。もし、この森の精霊に嫌われたならばこの先はない。この時は本気でそう思った。みんな本当にこんな場所通過したの?

 

 

ビビッて動くことのできないおサルを宥めすかし、ステップを指示してゆっくり下降する。足場も儘ならない高度差120m。そのため30分あれば充分と判断した行動に1時間半も掛けてしまった。これが出発前に感じた不穏な予感の正体だったのだろうか…。

 

土砂崩れで流されたのだろう。いよいよロープもなくなってしまった。

 

 

「もう、いや~っ!こんなのばっかしい!」 サル

 

すみません。次回から企画考え直します…。

 

騙し騙し下流側にスライドしていくと荒れたゴルジュに当たった。眼を凝らすと、索道の残骸だろうか、番線が河床まで落ちていた。それを伝って一気にくだった。かなり楽に降りられた。最後は6m丈の二股になっていて、左は無理。右に弱点がありそうだ。

 

 

おさる~大丈夫~?

 

 

「大丈夫じゃないって言ったらどうすんのよ!」サル

 

相当怒っているようだ。

 

 

なんとか川床に降りたつことができた。一息ついて出発する。時刻は10時。恐らく高塚山まで6時間は掛かる。仕方ない。幕場情報はないが地形図から見て竜馬ヶ岳周辺は張れそうなのでそこまで頑張ることにした。

 

小さな誤算も積み重なると窮地に陥りかねない。早く悪い連鎖を断ち切らねば。

 

 

50mほど上流に進むと、かつて京丸の村人が利用したものだろう、床の抜けた吊り橋の残骸が頭上を渡っていた。もっと下流側に下降適地があったのかもしれない。凡ミスだったか。

 

尾根に取りつけば割に踏まれた道になる。ただかつての仕事道が幾つも水平についている。誘い込まれないように。

 

「こっちなんじゃね?」サル

 

だからそれが仕事道だって。

 

「ひつぞうの云う事はもう信用しないだよ」サル

 

当然のようにどんどん尾根から外れるおサル。諦めて尾根に戻るとまた新たな仕事道が現れて、楽な方にと誘われる。その繰り返しなので標高が稼げない。イライラする僕。ムカムカするおサル。

 

 

902mポイントに着いた。放置された植林と原生林が混在する林相。それまでの変化のない直登の連続に突如現れた扁平な尾根の鼻。ここからが長い。

 

 

少し登っては少し緩む。その連続。ようやく針葉樹が増えてきた。

 

 

大きな崩壊地が目立つ高塚山。すぐそこに見えるがまだまだ遠い。

 

 

ボタン尾根の大薙ぎ。その間際を歩く。崩落が激しいので接近は禁物。川床からは1000mの登りなのだが、急登が効いているのか、おサルが絶望的に遅い。焦っても仕方ない。おサルなりのペースで行ける処まで頑張ってもらうしかない。

 


標高は1050m。この辺りから浮石が目立つようになる。立木も枯木が混じる。テープの類も殆どない。踏み跡も次第に消え失せ、糞が散乱する鹿の獣道が主役になってきた。雑木に姿が隠れたおサルは息を荒げて微動だにしない。

 

そろそろ行かない?

 

出発を促したその時だった。

 

左足のチェーンスパイクが消えていた…。

 

そういえば50mほど下で倒木を支えにスパイクの踵を外し、ゲイターを剥いで緩んだ靴紐を結び直した。横着してスパイクをきちんと固定しなかった。初歩的ミスだ。後の事を考えるとこのギアを失う訳に行かなかった。ザックを降ろしてダッシュで戻る。子細に観察するが許より登山道がない。自分が歩いた軌跡すら容易に追えない。結局往復18分浪費しただけで見つからなかった。安倍奥の時もそうだが、致命的な落とし物をしがちな僕って何なのか。出発前の胸騒ぎはこれだったのか。

 

「単なる横着と不注意なんじゃね」サル

 

 

遠州灘と冬の空は何処までも青かった…。

 

 

気を取り直して道なき道を進む。恐らく周辺は春先になればシロヤシオに覆われるのだろう。

 

 

登り詰めた場所は岩岳山からの縦走路との合流点だった。と言っても標識はなく、無数のテープが風に靡いているだけ。

 

 

正規縦走路とは云え、たいして踏み跡は変わらない。斜度は断然緩くなったけれど。

 

 

ボタン尾根頂点から20分あまりで最初のピーク到着。時刻は15時を回った。セオリーに従えばここで幕営するのが最適。山頂は岩が多いが、一段下に風防つきの雪を被った広い適地があった。僕的にはここがゴールだった。

 

「行くよ。おサルは」サル

 

へ?判った。じゃ行こう…。

 

翌日の行程を少しでも減らして、朝までぐっすり寝たかったのだろう。いつも未明からの進軍だから。僕自身、氷結が危ぶまれる竜馬ヶ岳から先の夜明け前の下降は避けたい。理由は違うが二人の気持ちは一致した。旨くいけば1時間強で高塚山まで行けるかも知れない。

 

 

やはり片足だけのギアでの下降は過酷だった。それでも雪の被りが薄いのが唯一の救い。

 

 

ずっと快晴だったが、風が強まると同時に雲が増えて深南部らしい雰囲気に。半径10km以内にいる人間は僕ら二人だけだろう。

 

 

思いのほか痩せ尾根も多い。焦りは禁物。ギア探しのロス18分がここにきて重く圧し掛かってきた。

 

 

明日の最終ピークの京丸山のシルエットが美しい。見惚れている場合じゃないんだけど。

 

 

姫沙羅の群落を見つけると、そこが静岡の山だということ強く感じる。

 

 

結構この尾根それなりの登りなんだよね。奮闘努力の甲斐もなくおサル失速。

 

 

ああ無情にも陽が落ちようとしている。

 

そんな時だ。

 

 

振り返ると、残照に映える竜馬ヶ岳が黄金色に輝いていた。

 

 

昼過ぎに見た大ナギの縁を伝っていく。かつての踏み跡は侵蝕に呑まれてしまったようだ。

 

 

恐らく二度と訪れることのないこの山の最高のシーンを観ることができたのはおサルの英断のお蔭だった。

 

 

おサルありがとう。いつも感謝しているよ。

 

この日は結局山頂直下で力尽き、少し下の平坦部に幕を張った。すでに陽は暮れて、幕営としては過去一番遅いものになってしまった。だが、風もなく条件はいい。素敵な一夜を過ごせそうだった。AMラジオから懐かしい静岡放送が流れてくる。豚肉ともちもちの水餃子を奪い合うようにして食べたのも好い想い出。今月の出来事なのに遥か昔のように思えるのがおかしかった。

 

(続く)

 

【一日目の行動時間】 9時間50分

※通常の脚力があれば、あとミスがなければ8時間で充分です。

 

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