故郷に帰るの記 | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

こんにちは。ひつぞうです。

日本列島を襲った未曾有の集中豪雨。●十年に一度という表現が当たり前に

なっている気がするよ。今日の横浜は晴れ間も出ているけれど、西日本はいま

だ大変。被災された方々にはお悔やみ申し上げます。

 

「お悔やみすゆ」サルライダー

 

★ ★ ★

 

予告どおり先週末は九州の実家に帰省した。一年ぶりに顔を合わせた親父は

また一段と歳をとった気がした。しかし、やはりは我が親。逢うなり間髪入れず

 

「お前ちょっと肥えたろ?」

 

ほっといて欲しい。怪我とか仕事とかあって全然運動できんのよ。

 

「そりゃしょんなかたい」

 

息子の怪我(骨折のこと)よりも最近の頻尿事情の方が、親父には深刻らしく

歳をとることの憂さ辛さをとうとうと云って聞かせる。親父も昼間はボッチなの

で、たまにこうして肉親が帰省すると嬉しいようで、それはそれで微笑ましい。

 

こうして僕にはまだ片親がいる。両親を喪い、古女房にも先立たれた親父は

普段なにを感じながら生きているのか。僕の会社勤め以上に精神的に辛い

思いもした筈なのだが、愚痴や弱音を吐いた記憶はない。弱っちい僕はいつ

もおサルに泣き言を言っているので、是非そのあたりの処し方など、訊いて

みたいのだが、本人を前にすると、本音トークなんて気恥ずかしくてできはし

ない。いずれ何も聞くこともできず生涯を全うする日が僕ら親子にはやって

くるのだろう。

 

 

だんだん傷みがひどくなるので写真に残すことにした。若い頃に親父が描いた

鉛筆画。親父は絵が旨かった。しかし本気で画いたものはこれしか見たことが

ない。旨かったが興味はなかった。僕が絵画好きになったのは母親の影響だ。

母親は可哀想なくらい絵心がなかったが、鑑賞は好きだった。なので、全然判

るはずのない幼児の僕らを、佐伯祐三とか、高村智恵子の切り絵とか、古墳美

術とかダリとか、どちらかと云うとマニアックな展覧会に連れて行ってくれた。

 

「それがひつぞうのマニア精神をつくったのちにゃ」サル

 

そういうこと。

 

そういう親父なので、真剣に画の勉強をすれば、そこそこまで行けたと思う。

しかし好きなのはバイクと映画。それも西部劇とチャンバラ。よくある田舎者

の青年だったのだ。

 

 

恐らく、絵のモデルはイタリア人女優のジーナ・ロロブリジーダだろう。ハリウ

ッドではM・モンロー、B・バルドーと同時代のお色気女優である。ネットが発

達した現代なので、参考にしたピンナップ写真が見つかるのではないかと検

索したがなかった。ひょっとしたら別人かも知れない。だが、親父の好みを知

悉する僕には判る。ちょっと全体的に丸顔に補正されているが、蛭のような

艶美な唇とやや吊り上がった三白眼。イタリア系にしては少し頼りない鼻梁

など、彼女の特徴をよく捉えている。

 

親父はグラマー好きなのだ。

僕はちっちゃいもの好きだけどね。

 

哀しいかな。結局僕は画力に関しては親父には叶わなかった。密かに相当

努力したが、根本的に陰影表現で“できなさ”を感じた。画力はデッサン力や

色彩把握力だけでははかれない。それでは町の看板画きと一緒になってし

まう。親父は“表現のための画”には関心がなかったが、描くのは好きだっ

たのだと思う。

 

幼い頃のある日。押し入れから汚れたお菓子の缶が出てきた。開けて見ると

何十本もの鉛筆が入っていた。HB以外の見たことのない番号ばかり。この時

鉛筆だけで描くのに、細かく使い分けていたことを知った。そういう意味では

僕の細かく几帳面な性格は、この爺さんから受け継いだのだろう。

 

「判ゆ~。神経質すぎゆ~。おサル絶対むり」サル

 

趣味と無縁の親父だが、なぜか傍にいると話が続く。かつては全く気が合わ

ない父と子だった。ツルゲーネフも真っ青なくらい。しかしこうして他愛のない

会話が続くのは、(唯一の)同性の親子という以外に、(長男であるがゆえに)

一番古い記憶を共有する関係であるのも一役買っているのだろうと思う。

 

★ ★ ★

 

先週もまた、北部九州はとんでもない悪天候で、2時間のフライトにも拘わら

ず、雷雨で着陸できず、1.5時間もの間、壱岐の上空を旋回した。鹿児島本線

も不通。間の悪さは世界一と実感した。

 

「そういえばくさ、若い頃、増水した田圃の川に飛び込んじゃ、葦に掴まって

遊んだばってん、ありゃ無茶苦茶やったな。よーあげんこつばしよったたい」

 

無謀は家系であるようだ。

 

今日は母親の命日。

 

そして僕もまもなくもう一つ歳を重ねる。

 

(終わり)