ONLY ONE HEART 東北地方太平洋沖地震 緊急支援チーム  -6ページ目

七夕炊き出し大作戦

活動報告がすっかり遅くなってしまいすみません。
さて!では7月6、7日の活動報告です。

まず始めに、前回ブログでお知らせした通り、
7日の炊き出しに関しては詳しく報告する事ができません。
地名もNGなので書けませんが、何卒、七日については
事情をご理解いただき、ご了承ください。
実はこの部分を説明するのにもの凄く悩んでいて、
毎日少しずつ書いてたんですけど、
誤って消去してしまったりで、すっかり時間がかかってしまいました。
申し訳ありませんでした。
後ほど記事中に料理の写真だけはアップさせてもらいますね。

さて、今回のスケジュールはMさんが避難所の情報収集や、
現地への連絡などを調整してくれました。
毎晩遅くまで、ありがとうございます。

そこでMさんから現在の避難所の状況を聞いたのですが、
まず、6日に行く石巻市立山下中学校では、炊き出しが来なければ、
いまだに朝、昼は未だにパンとおにぎり。
夜は野菜が少ない弁当だけとの事。

ん~、まだまだ栄養がどうだのいう食事じゃない。
ただ、口に入ればいいってだけの食事。
しかもお腹いっぱいに食べれる訳でも無い。

もうじき避難所は閉鎖で炊き出しは不要になるなんて話しもあったので、
出来る限り行かなければと思い、石巻に行きました。

そしてMさんから炊き出しの日程が「7月の6、7日に決まったよ」と聞いた時、
「この七夕に被災地の子供達は何を短冊に書き記すのだろう」そんな事を思った。
今までとは違う願いだという事は安易に想像出来る。
お父さんに会いたい。お母さんに会いたい。お友達に会いたい。
みんなに笑顔が戻って欲しい。
こんな風に書く子もきっといる筈です。
だから俺は、より深い愛情を持って炊き出しを成功させないといけない。
この活動に賛同し、支援金や物資を送ってくれた皆の気持ちを目一杯
詰め込まないといけない。
そう思って今回の炊き出しに挑みました。

7月5日夜

夜、静まりかえった市場に野菜を積み込みに行く。
前回から世話になっている「まいど青果」のWちゃんとKちゃんが手伝ってくれた。
今回も俺の活動の意味を理解してくれてるので原価ギリギリで提供してくれた。
それから、まいど青果からも野菜を出してくれました。
野菜、果物などアシが早いこの季節。
この時期、仕方ないんだけど1箱にいくつかはカビが生えるんだよね。

そこでKちゃんが、「こんなの混じってたらきっと嫌だろうから綺麗に拭きますね」
って、カビたフルーツを取り除き、素手で一個一個丁寧に拭いてくれた。
俺は二人のその愛情が何より嬉しかった。本当にありがとうね!

で、愛情の連鎖は続きます。
皆で積み込みをしていると、、「コレどこに持ってくんだい?」
と名前は明かせないのですが、この市場の親玉のような人に聞かれたので、
事情を話しました。
すると「そういう事なら」と、買い付けた野菜以外に、果物や、野菜を
これでもかってくらい車に積んでくれたんです。
「兄ちゃん。次は4トントラックで来なよ。4台でも5台でも積んでやるから」
と笑って言ってくれた。人としてデカく、本当に愛のある人でした。
ありがとうございました!



こんな愛のある始まり方だ!きっといい炊き出しになるぞ~!

と思いながら集合場所に戻り、もろもろの出発準備をバタバタと済ます。

すでにハイエースには野菜、埼玉に住む東北出身の姉さんから頂いた大量のお菓子、
川越ママサンズが集めてくれた大量のタオルなどでパンパンだが、
Mさんの店で集めた物資もまだたくさんある。
衣類に、雑貨に、扇風機などなど。
もう、気合い入れて積み込みました!

積み終わると、たっつんが「すげー」と妙に感心してて笑えたな。

さてさて、深夜になってしまった!慌てて出発。時計を見ると12時を回っていた。
大泉インター付近で今回初めて参加してくれたみんなと合流。

今回のメンバーは東京組として俺、久々登場のMさん、たっつん。
それから、いつも麺を提供してくれてる喜多方ラーメン新田店の榎澤くんはじめ、
従業員の小宮さん、Oさん、その知人のTさんなど計7名。

彼らは以前から被災地に行って力になりたいと申し出てくれていて、
今回は店を閉めての参加。気合いが入ってます。

さて、まずは石巻に向かう。3月下旬、ジョージと向かったのが石巻だ。
あれから4ヶ月。石巻はどう変わったんだろう。
少しでも良い状態になっていてくれ。
そんな思いを胸に夜の東北道を突っ走った。

7月6日

さて、この日のスケジュールは先ず夜の炊き出し場所である
山下中学校に材料を降ろし、石巻の町を視察。
その後、物資の配給を行い、また山下中学校に戻り
夜ご飯の準備にとりかかります。

山下中学からそう遠く無い所にある津波被害があった渡波地区に降り立つ。
すると、すぐにハエの多さに気がつく。尋常じゃない数だ。

この町は激しい地盤沈下で、満潮時ともなると冠水してしまう。
「一日に二度沈む町」なんて言われていたそうです。

今では海水をポンプで吸い上げ、冠水はなんとか収まったようですが、
この辺りではすでに新しく建物を建ててはいけないと言われていて、
この先どうなるか不安な気持ちでいると、地元住民の方がおっしゃってました。



初めてこの壮絶な被災地を見た群馬チーム。

あえて彼らに言葉はかけなかったけど、それぞれに思う事があったと思います。

どうかこの現状をたくさんの人に伝えていって下さいね。


そして今回の活動を通じ、自分は自分として、自らの方法で
支援をしたいという思いが生まれたなら俺は全力で応援します。



さぁ、いよいよ満載に詰め込んだ物資の配給だ。



さてさて、一軒目の目的地に到着。いよいよ皆さんお待ちかねのフリマです。
沢山の人が集まっている。
野菜、果物、衣類、扇風機などをどんどん配りました。







持って行った野菜の中に豆苗という野菜があるんですが、この豆苗、

俺のツイッターで成長記録を載せた事があるんだけど、
一回食べたら、苗を水に付けとくとガンガン育ってまた食べられる。

しかもうまい!でもって子供に育ててもらったら
夏休みの観察記録も取れるかな~って思ってね。
俺の秘密兵器だったのです。


豆苗に興味津々のお母さん方に育て方を教えていたんだけど、
この会話を榎澤くんは聞き逃してなかった!

次場所にスムーズに移動出来るよう、裏方で段ボール潰しをせっせとやってる頃、
榎澤くんが豆苗の説明をお母さんにガンガンしてくれてました。
こんな風に良かれと思う事を率先してやってもらうと本当に嬉しい気分になります。

榎澤くんはじめ、小宮さんなど群馬チームも
皆さんに明るく、どんどん声をかけて物資を配ってくれました。

すいかもカットして配った。
「すいかなんて久しぶりね~」と美味しそうな顔。

本当は子供達がたくさんいればスイカ割りをしようと企んでいたけど、
なんと子供たちは学校だったのである!
これにはけっこう凹みました(笑)


次のお宅に移動中、Mさんのちょっとしたおもしろ?エピソードが。

「ん?ここらへん、なんにも物資が無さそうな場所だね」とMさんが言う。

「一本中の道に入れるかな?」というので車を路地中へ走らせた。

Mさんが周囲に目をやると「ちょっとゴメン、ここで止めて」と言うのが早いか、

車を降りておもむろに走り去って行った。


しばらくすると「おーい、物資配れるとこ見つけたよ~」とニコニコしながら帰って来た(笑)

いきなり訪ねた先が、ビンゴでこの辺の物資をまとめて集めているお宅だったのだ!


この人は本当、いい意味で突き抜けてるとこがあるからマジでおもろすぎなんですよね。

急遽、近所の人達を集めてもらい、ここでも物資を配る。

みなさんも突然の訪問者を大歓迎してくれ、嬉しそうに、そして楽しそうにしていました。





この後もう一軒お宅を回り、この日の物資を配り終えました。


炊き出しまでもう時間も無いが、最後にもう一カ所、寄る所があり、急ぎ向かう。

Mさんが以前石巻に一週間滞在し、畳あげで伺ったお宅で丹野さんという方。
丹野さんは足が不自由で、具合も悪いのですが一生懸命生活しておられました。

一週間程前に仮設住宅に、やっと入れたそうです。

ですが、足が不自由な為に買い物もままならず、
俺たちと一緒にスーパーに行き、買い物をする事に。

その道中、丹野さんの案内で街を見て回りましたが、
津波の爪痕は残っているものの大通りなどは復旧が
どんどん進んでいる印象でした。

「ここら辺も水が来たから水没した車が山積みだったんだよ」
と丹野さんやMさんが話していた。

そんな中、丹野さんが明るいニュースを話してくれました。

「この辺りで40年近く営んでいる老舗のラーメン屋さんがあるんですけど、
一週間くらい前になんとか営業を再開したんですよ。」

Mさんも以前ここで泥出しをやったという。

「お昼はそこで食べましょう」という事になり、行ってみました。
大街道にあるラーメン屋で金華山という店。

開店の時は行列ができて大盛況だったそうです。



とにかく、こうやって頑張って復興したという話しを聞くと嬉しいですね。


さて、時間が押してしまったぞ!山下中学に戻り、急ぎ夜ご飯の準備!

この時、「是非炊き出しに参加させて下さい」と、熱いメールをくれていた
アツミくんが登米市から助っ人として参加。
彼は一瞬にして皆に溶け込み、一生懸命働いてくれました。
疲れただろう?でも最高の助っ人ぶりだったよ!ありがとうね!


今回はプロの料理人がたくさんいるので調理も早い早い。

小宮さんのいぶし銀的技が光り、Mさんの細やかな配慮が光る。



俺は厚揚げを焼いたり、スープの味をみたり。

そういえばスープはたっつんが担当だったんだけど、
やたらダ~~~っと入れてるので

「まさか、色々入れすぎて味がわかんなくなってねえ?」

そう聞くと笑顔で「ハイ!そうです!」って言っていた(笑
笑顔が憎めなかったっす!

でも、避難所のリクエストで、温かいうどんから冷やしに変更になったので
付けタレ的な濃さが必要だったから丁度良かった。
たっつんと一緒に仕上げのショウガ汁で調整して完成。

今回のメニュー考案はMさん。
イワシと白身魚のつみれうどんと、厚揚げポン酢おろしトマト添え。
うどんはもはやお家芸。



皆さんに美味しかったよ~とたくさん声を頂きました。
お腹いっぱいになってくれて、野菜や魚なども食べてくれて
本当に良かったです。
今回の活動に関わった皆に感謝します。

という訳でこの日の活動はこれで終わり。
片付けを済ませ職員の方に挨拶をして、山下中学校を後にした。

今日はけっこう濃い内容の一日だった。
場慣れしている俺やMさんでも疲れたくらいだから
初めて参加のメンバーはもっと疲れただろうな。
一日、本当にお疲れさまでした。


簡単に夕食の買い出しをし、宿泊先の専修大学へ移動。

テントも持参してたんだけど、明日は朝も早いし車泊という事に。

俺、榎澤くん、たっつんの3人で草むらにシートを広げ
一日の労をねぎらい合い、軽く飲んだ。

さぁ、明日は七夕。例の作戦決行の日だ。
子供達が喜ぶご飯をいっぱい作るぞ~~と気合いを入れ就寝。

ハエがうるさかったが、俺は運転などで二日完徹だったので爆睡。

7月7日


朝6時。寒さで目覚める。皆はよく眠っていた。
空を見上げると天気はどんより曇っていて、今日のメニューである冷やし中華が
この寒さで心配だったけど、昼近くには晴れ間も見え、気温も上がって来た。

遅刻も出来ないので早めに専修大学を出発。
前日炊き出しをした山下中学校に預けてあった食材を取りに行き、
いよいよ隠密作戦の開始だ。急ぎ目的の場所へ向かった。

その町に入った時、なんだろうな。ものすごく沈んだ気持ちになった。
以前、大槌で感じた事のある重たい様な、息苦しい様な感覚。

被災地を比較するなんてバカげた事はしないけど、
なんていうか、悲しみに包まれた町ってのは灰色に見える。
勿論、どこもそうなんだけど,,,,俺の気のせいかな。

その場所にたどり着くまで、津波と地震によってひどく荒れた道を走る。
川沿いの向こう側は、壊滅的な状態の町を復興する為の重機やダンプなどが
たくさん動いている。砂埃が高く舞い、重機のにぶい重低音と
風の音がやけに耳についた。

色々考えるが、俺たちが今日すべき事は、おいしいご飯をたくさん食べてもらい
子供達に元気になってもらうだけだ。その事に集中しよう。

炊き出しはこの施設の分として210食と、
近くにある施設に120食の計330食を作った。

冷やし中華だけにここはラーメン屋の榎澤くんたちの出番だ。
彼が作って来てくれた極上のタレに、麺。
そしてふんだんに野菜を刻み、サラダ風に和える。

あっという間に給食の時間が迫る。

11時半。昼まであと30分。
俺と榎澤くんはもうひとつの施設に行き、準備をしなくちゃならない。
俺たちは向こうの食材を車に積み込み、急いで施設に向かった。

ここからは俺と榎澤くんの息があってないと間に合わない。
ダッシュで食材を降ろし、お互いの動きを見ながら瞬時に何をすべきか
考え、お互い動く。そしてどんどん配膳していく。

職員さんが「給食は12時10分になりました」と連絡が入る。

「お!マジっすか!助かります!」

二人とも競争のように麺の盛りつけ、具材の盛りつけをやった。
12時10分きっかりに120食全部の盛りつけを終えた!

「おっしゃ!」間に合った~~。

あとは子供達が一人ずつ取りに来るのを待つだけだ。
俺たちは、来る子達に大きな声で、言葉をかけてどんどん配っていった。
今回、プラムとフルーツトマトを冷やし中華の七夕スペシャルとして乗せた。

これが受けて、女子たちは「わぁ~すももだ!すももだ」って大喜び。

「お、プラム好きか?」
「うん、すもも好きだよ」

もう、プラムでもすももでも何でもいいんです。
この笑顔が見たかったんです。
なんか、泣けてきた。

「たくさん作ったのでおかわりも自由だからね~!」と榎澤くんが優しく声をかける。

しばらくすると先生までもがおかわりしに来てくれた。
それでもまだ余ったので、施設裏で工事をしてた職人さんに声をかけ
冷やし中華を出してきました。

みんな残さずガッツリ完食で良かった。



一方その頃、Mさん達も奮闘していたが、無事終わったと連絡が入る。

お疲れさま!無事終わって良かった。

メニューも喜んでもらえたし最高だ。


最後に校長先生に挨拶をし、「また来年の七夕に会いましょう」とリクエストを頂きました。

要するに、息が長い復興になっていきます。

あなた達も無理をせず、一年に一度でもいいからこの町に来て、

どうかこの町を、私たちを忘れないで下さい。

そんなメッセージだと俺は思った。


今回の作戦は大成功に終わったと思います。

冷やし中華を食べれるとは夢にも思わなかったって。

本当に良かった。


この後、またまた石巻に戻り、東京の東久留米から来た支援チームと合流し、

俺たちの残りの物資を全て石巻商店街の方に手渡した。

ここで、俺たちは他にも視察をしたかったので、群馬チームとお別れ。

短い期間だったけど、みんなよく頑張ってくれました。
本当に準備、寝ずの運転、慣れない活動、お疲れさまでした!

最後に榎澤くんとパチリ。


これが今回の活動の全てになります。


次回からはもう少しスピーディーに報告したいと反省しきり。

支援金報告は次回書きます。

遅くなって本当に本当にごめんなさ~~~~い!!

みなさんもお疲れさまでした!

おやすみなさい。











無事炊き出し終わりました。

詳細はまた書きますが取り急ぎ。

七夕にあの子達のたくさんの笑顔が見れて良かった。

やってよかった。

ただ、それ以外にも書かなくてはいけない出来事もあったりして

それはけっして楽しい話しではないので書くのを悩んでいますが、

やはり今後の為にも書こうと思っています。

個人的にほとんどPCを触れる時間が無く、

6月の支援金報告もすんでなくて

本当ごめんなさい。

なるべく早めにアップするように頑張ります!

暑いですが体調などに気をつけてお過ごし下さいね^^v

炊き出しに異変が

毎日毎日激暑い日が続いておりますがみなさんお元気でしょうか。

さて、今回の活動で連携を取っているチームから注意事項として連絡がきました。

今回、6、7日の炊き出しですが、7日昼に予定している炊き出し場所一カ所の
所在地及び名称を、ある事情でお知らせする事ができなくなってしまったのです。

その地域ではその施設での炊き出しは公平性や衛生面を理由に原則として認めていないそうで、
今回は、施設名など公表しない条件付きで炊き出しができるということなのです。

というのも、その「オフレコの施設」では毎日の子供達の「食事」があまりにもお粗末なモノらしく、
連携を取っているチームが、「子供達が喜ぶ栄養があっておいしい物を食べさせたい」
という思いからこの作戦が行われて思います。

これがバレれば、即中止でしょう。
また今まで通りのシロモノを食べる状態に戻るだけですね。

頭の固い連中の中には融通がきかないし、
「松本復興なんか絶対させないぞ担当大臣」のような方がいるんでしょう。

という訳で、このチームの活動方針である、
明確にお知らせするという形と違った支援になってしまいますが、
今回に限り、炊き出しの一カ所に付いては、完成した料理の写真だけしか
載せられなくなりそうです。

こういった支援の形になってしまいますが、
子供達の健康を最優先して考えて、どうかこの作戦をご了承下さい。
よろしくお願いします。

どうしても内容を知りたい方はオンリーワンメールに連絡下さい。
ただし、他言は無用で何卒お願いいたします。

色々バタバタですみません!

ではまた。