ダブルケア・介護と子育てにがんばるあなたが気楽になれる場所

ダブルケア・介護と子育てにがんばるあなたが気楽になれる場所

15年の介護と子育てのダブルケアを経験した野嶋成美がダブルケアを楽にするヒント、孤独になりがちな毎日から解放されるヒントを、肩の力が抜ける遊び心を交え提案します。

ダブルケアとは介護と子育ての同時進行のことを言います。
また子育てと介護に限らず複数のケアをしていることもダブルケアです。

私は両親の介護を子育て中に経験しました。
ひとりで抱えてしまい、体を壊した経験から
ダブルケアの認知度を上げる活動をしています。

お問い合わせはこちらからお願いします。→ Ka.ELLE 

 

こんにちは。

北海道札幌市の介護と子育ての同時進行・ダブルケア支援研究者の野嶋成美です。

 

 

 

 

 

2月10日はニットの日。

来年、この日に大分市にある海の見えるカフェで「編み会&ダブルケアカフェ」をひらきます。

このイベントは、毎年2月に行われるダブルケア月間に合わせて開催している企画です。

 

 

ダブルケア月間

 

 

編み物とおしゃべりって、とても相性がいいんです。

手を動かしながらだと、言葉が自然に出てきたり。

毛糸に触れているだけで癒されたり。

 


話してもいいし、話さなくてもいい。
同じ空間にいるだけで、ほっとできる。

ダブルケアの当事者の方も、関心のある方も、肩の力を抜いて過ごせる時間が生まれます。

 

 

窓の向こうには海。
波の動きや、空の色を感じながら、日常の役割から、ほんの少し離れる時間です。

 

 

編み物とダブルケア、海の見えるカフェで癒やしのひととき

 

 

この会は、何かをがんばる場ではありません。

編み物をしてもいいし、しなくてもいい。
おしゃべりしても、静かに過ごしても大丈夫。

海を眺めながら、手を動かしたり、誰かの気配を感じたり。
それだけで、呼吸が整ってくることもあります。

 

 

当日は、ケアマフ(認知症マフ)の紹介も予定しています。
言葉を使わなくても伝わる安心を、実際に手に取って感じていただけたらと思います。

 

 

開催概要

日 時
2026年2月10日(火) ニットの日
14:00〜16:00(13:45受付開始)

 

場 所
大分市・海の見えるカフェ
※詳細はお申し込み後にお知らせします

 

参加費  3,000円(お茶付き)

 

定 員  8名(先着順)

 

その他
・材料・道具の貸し出しあり
・編みたいものの持ち込みOK

 

 

 

ダブルケアの話をしてもいいし、しなくてもいい。
今の自分にちょうどいい距離感で過ごせる場です。

ダブルケア月間のひとときとして、海の見える場で、自分のための時間を過ごしませんか。

 

 

▼イベントの詳細・お申し込みはこちら
 

 

 

ダブルケア月間 2026 ロゴ

 

 


 

 

 

 

 

こんにちは。

北海道札幌市の介護と子育ての同時進行・ダブルケア支援研究者の野嶋成美です。

 

 

 

 

今日は冬至ですね。

冬至とは一年で最も昼の時間が短く、夜が長くなる日。

太陽の力が最も弱まる日ですが、この日を境に再び力が強まり、幸運が巡ってくると考えられ、「一陽来復(いちようらいふく)」とも呼ばれ、1年の始まりや健康を祈る日とされてきました。

この日は、ゆず湯に入り、栄養のあるかぼちゃ(なんきん)を食べる習慣があります。(AI調べ)

 

 

 

 

私の母は冬至にかぼちゃを小豆と炊いたものを作っていました。

私は子どもの頃、これが苦手で。

一切、口をつけていなかったことを覚えています。

 

 

正直、今出されても食べないかも。

小豆は好きですが、かぼちゃがあまり好きではないんです。

 

 

なので、冬至はもっぱらゆず派。

ゆず茶にゆずを使ったスイーツもありそう。

それに、ゆず湯は欠かせませんね。

 

 

あとは何するのかな?

そういえば、「ん」のつく食べ物を食べるとかも聞いたことがあります。

・・・なんだかんだと、食に行ってしまいがちなのは食いしん坊だからかも。

 

 

とにかく、一年で一番夜が長い日。

暖かいものを食べて、お風呂につかり。

ゆっくりと体を休めるのが一番かもしれませんね。

 

 

【今日のひと言】

 

季節の行事を楽しむことは、とても贅沢なことかもしれません

 

 

 


 

 

 

 

 

こんにちは。

北海道札幌市の介護と子育ての同時進行・ダブルケア支援研究者の野嶋成美です。

 

 

 

 

「ダブルケアと言われてホッとした」そう話す人がいる一方で、
「ダブルケアと言われたくない」そう感じる人もいます。

 

 

心に芽生える希望と成長のシンボル

 

 

同じ言葉なのに、受け取り方がこんなにも違うのはなぜだろう。

自分なりに整理してみると、この違いは理解の深さや弱さ・強さではなく、その言葉をどう受け取るかの違いにあるように思います。

 

 

では、その受け取り方の違いは、どこから生まれるのでしょう。

ひとつには、自分で探しにいって出会った言葉なのか、それとも外から向けられた言葉なのか。

言葉を手にする主導権がどちらにあるかという点において、大きく関係しているように感じています。

 

 

ダブルケアと言われてホッとする人にとって、その言葉は「しんどさの理由が自分だけにあるわけじゃなかった」と気づかせてくれる説明の言葉になります。

とくに、自分で調べる中でその言葉に出会った場合、そう感じることが多いように思います。

 

 

一方で、ダブルケアと言われたくない人にとっては、その言葉がいま必死に保っている日常のバランスを一気に重たい現実として固定してしまう確定の言葉として響くこともあります。

外からその言葉を向けられたときに、こうした反応が生まれやすいようにも感じています。

 

 

同じ言葉でも、「説明」になるか、「重み」になるかは、人それぞれ。

だからこそ、言葉は正しいかどうかより、いつ、どんな文脈で置かれるかが大切なのだと思います。

 

 

【今日の一言】

 

ダブルケアと当事者に直接いうことは控えたほうがいい