幸せは私の中に そしてあなたの中に。 だけど本当の幸せって何だろう? -4ページ目

幸せは私の中に そしてあなたの中に。 だけど本当の幸せって何だろう?

克服出来ない病は世の中に沢山ある。自分も数々の克服出来ない心の病と身体の病に罹患している。他人の痛み知る努力をし、思い遣りの心で知り応援したい。努力によって人は誰しも大きな失敗でも取り戻せる。努力によって人は誰しも生きる尊厳を取り戻す事ができる。

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読みください。

 

 

大原櫻子 - 青い季節

 

 

 

 

 

 

昨夜から続く暴風雨。

 

 

屋根を叩く雨音と、家を揺らすような風の唸りが、眠りを浅く

 

 

する。

 

 

朝になって雨は少し弱まったものの、風は相変わらず強く、

 

 

しかも気温が高いせいか、生温い空気がまとわりつくようで

 

 

気持ちが悪い。

 

 

そんな落ち着かない空気の中、玄関の戸を叩く音がした。

 

 

この小さな集落では珍しくもない「配り物」だろうと思いながら

 

 

戸を開けると、そこに立っていたのは、同じように心身に障害

 

 

を抱える先輩だった。風にあおられながらも、しっかりと足を踏

 

 

ん張り、手には配布物を抱えている。

 

 

「これ、回ってるから」

 

 

そう言って差し出された紙を受け取りながら、思わず声をか

 

 

けた。

 

 

「こんな天気の中、大変ですね」

 

 

彼は少し苦笑いを浮かべて、ぽつりと話し始めた。

 

 

母親が心筋梗塞の発作で倒れ、つい最近入院したばかりだとい

 

 

うこと。

 

 

そして今は、その母親に代わって、朝の炊事を自分がやってい

 

 

るということを。

 

 

炊事といっても、難しいことをしているわけではない。

 

 

ご飯を炊いて、レトルトの味噌汁を用意するだけ。

 

 

それでも彼にとっては大きな負担であり、「結構大変だよ」と、

 

 

正直な言葉をこぼした。

 

 

それだけではない。

 

 

こうして配り物もこなしている。

 

 

暴風雨の中でも、やらなければならないことをやる。

 

 

その姿は、どこか必死で、そして現実に抗っているようにも

 

 

見えた。

 

 

玄関先で別れた後、しばらくその場に立ち尽くしてしまった。

 

 

自分はどうだろうか。

 

 

2日に1回ご飯を炊き、ゴミ出しをし、母の病院に付き添い、

 

 

必要があれば車を出して買い物に行く。それなりにやっている

 

 

つもりではいた。

 

 

でも、彼の話を聞いた後では、それが急に「少ないこと」のよう

 

 

に感じてしまう。

 

 

比べるものではないと分かっていても、心は勝手に比べてし

 

 

まう。

 

 

そして、もっと大きな不安が胸の奥から浮かび上がってくる。

 

 

彼の母親も、自分の母も、高齢だ。いつ何が起きてもおかしく

 

 

ない年齢に差し掛かっている。

 

 

もし、その「いつか」が突然やってきたとしたら―――

 

 

その時、自分はどうやって生きていけばいいのだろうか。

 

 

彼も、同じことをどこかで考えているのではないか。

 

 

あの苦笑いの裏には、日々の大変さだけではなく、これから先

 

 

の不安が滲んでいたように思える。

 

 

頼れる存在がいなくなった時、自分たちはどこに向かえば

 

 

いいのか。

 

 

身体も心も万全ではない中で、すべてを一人で背負っていけ

 

 

るのか。

 

 

答えは出ない。

 

 

暴風雨のように、先の見えない不安が心の中で渦を巻く。

 

 

けれど、ひとつだけ確かなことがある。

 

 

それは、「今」をどうにか生きているということだ。

 

 

彼は母親の代わりに炊事をし、この嵐の中でも配り物をして

 

 

いた。自分もまた、できる範囲で日々のことをこなしている。完璧

 

 

ではなくても、不十分だと感じても、それでも確かに生活は続いて

 

 

いる。

 

 

もしかしたら、「どうやって生きていけばいいのか」という問い

 

 

に、明確な答えはないのかもしれない。

 

 

ただ、その時その時で、できることをやるしかないのかもしれ

 

 

ない。

 

 

暴風雨は、いずれ止む。

 

 

空はまた晴れるかもしれない。

 

 

けれど、人生の不安は、そう簡単には消えてくれない。

 

 

それでも――

 

 

玄関先で見た彼の姿が、頭から離れない。

 

 

あの生温い風の中で、必死に立っていた姿が。

 

 

あれが「生きる」ということなのかもしれない、と少しだけ思

 

 

った。

 

 

不安を抱えながらでも、できることをやる。

 

 

先が見えなくても一歩ずつ進む。

 

 

暴風雨の中で、そんな当たり前でいて難しい現実を、静か

 

 

に突きつけられた気がした。

 

 

 

 

 

May be the best year of my life.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
※BGMでも聴きながらお読みください。
 

 

 

ひらり 大原櫻子

 

 

 
 
 

「今日は調子が悪い」-----そう感じる朝は、決まって空が重たい。

 

 

実際に雨が降っている日もあれば、まだ降り出していないこと

 

 

もある。それでも、自分の身体ははっきりと知っている。

 

 

これから天気が崩れることを。

 

 

難病と向き合い、これまでに3度の手術を受けてきた。

 

 

あの時は「これで少しは楽になる」と信じていたし、実際に救わ

 

 

れた部分もある。

 

 

だが同時に、身体には確実に“痕跡”が残った。

 

 

手術した部位は、天候の変化に敏感に反応するようになってし

 

 

まった。

 

 

特に低気圧——雨や雪が近づくと、身体は正直に痛みを訴えて

 

 

くる。

 

 

腰の奥からじわじわと広がる重たい痛み。

 

 

背中に張り付くような違和感。

 

 

そして何よりもつらいのは、金具で固定されている首の痛みだ。

 

 

まるで内側から締め付けられるような、逃げ場のない苦しさ。

 

 

その痛みは、ただの「不快」では済まされない。

 

 

思考を鈍らせ、気力を削り、何もする気を奪っていく。

 

 

外に出るどころか、ただ座っていることさえ苦痛に感じる時間

 

 

がある。

 

 

だからこそ、自分にとって天気予報は特別な意味を持たなくな

 

 

った。

 

 

テレビをつけて確認しなくても、スマートフォンを開かなくても

 

 

自分の身体が教えてくれる。

 

 

「明日は雨だ」「これから天気が崩れる」と。

 

 

ある意味では、これは“能力”なのかもしれない。

 

 

けれど、決して嬉しいものではない。

 

 

むしろ、できることなら手放したい感覚だ。

 

 

なぜなら、それは常に痛みとセットでやってくるからだ。

 

 

世の中には、雨の日が好きだという人もいる。

 

 

静かな音や落ち着いた空気が心地いいと言う。

 

 

その気持ちも分からなくはない。

 

 

けれど、自分にとっての雨は「風情」ではなく、「試練」に近い。

 

 

それでも、この身体で生きていくしかない。

 

 

痛みが来るたびに落ち込んでいては、心が持たない。

 

 

だから最近は、少しだけ考え方を変えようとしている。

 

 

「身体が教えてくれている」と捉えること。

 

 

もちろん痛みがなくなるわけではない。

 

 

つらいものはつらい。

 

 

それでも、「ただ苦しめられている」のではなく、「何かを知らせ

 

 

てくれている」と考えることで、ほんのわずかでも受け止め方が

 

 

変わる気がする。

 

 

明日が雨だと分かれば、無理な予定は入れない。痛みが強くな

 

 

る前に、できることを済ませておく。

 

 

心構えを持つことで、ほんの少しだけ自分を守ることができる。

 

 

それは決して前向きな美談ではない。

 

 

ただ、現実の中で折り合いをつけるための、小さな工夫だ。

 

 

今日も身体は正直だ。

 

 

重たい痛みが、静かに「明日の天気」を告げている。

 

 

窓の外を見れば、やはり空はどんよりとしている。

 

 

この身体と共に生きる以上、痛みと無縁になることはないの

 

 

だろう。

 

 

それでも、その痛みの中でどう生きるかは、自分自身に委ねら

 

 

れている。

 

 

雨を予知する身体。

 

 

それは不自由の象徴かもしれない。

 

 

だが同時に、「それでも生きている」という証でもあるのだと

 

 

思う。

 
 
 
 
 
 
 
 

 

May be the best year of my life.

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読みください。

 

 

竈門禰豆子のうた

 

 

 

 

 

唯一の楽しみだった電動カートでの遠足。

 

 

あの時間だけは、病や現実から少しだけ解放される感覚があ

 

 

った。

 

 

ゆっくりとした速度で進むからこそ見える景色、耳に届く自然

 

 

の音、肌で感じる風。

 

 

どれもが、自分が「生きている」と実感できる大切な時間だった。

 

 

けれど、その小さな自由すら、天候という、どうにもならない

 

 

現実に奪われてしまう。

 

 

気温が低すぎる日、風が強くて身体が冷え切ってしまう日、そし

 

 

て今日のような大雨の日。

 

 

外に出ることすら叶わず、ただ窓の外を眺めるしかない。

 

 

せめて家の周辺だけでもと、障碍者用の手押し車で出ようと考

 

 

えることもある。

 

 

しかし、空はどんよりと曇り雨だ。

 

 

陽の光にすら当たれない日には、そのわずかな外出の意味さ

 

 

え見失ってしまう。

 

 

外に出ても心が晴れないのなら、いっそ動かない方が楽なので

 

 

はないか、そんな思考が頭をよぎる。

 

 

結果として、家の中で何をするでもなく過ごす時間が増えていく。

 

 

ただ時間だけが過ぎていく感覚。

 

 

テレビをつけても内容は頭に入らず、本を開いても文字が心に

 

 

残らない。

 

 

何かをしようという意欲そのものが、どこかへ消えてしまったかの

 

 

ようだ。

 

 

こうした日々は、静かに、しかし確実に精神を削っていく。

 

 

「何もできない」という現実は、「何の価値もないのではないか」

 

 

という錯覚へと変わり、心の奥に重くのしかかる。

 

 

27日の精神科の診察で、セルシンが増量された。

 

 

医師は少しでも不安や緊張が和らぐようにと考えてくれたのだ

 

 

と思う。

 

 

確かに、薬は身体の反応を少し穏やかにしてくれる。

 

 

しかし、それだけで心の沈み込みが消えるわけではない。

 

 

薬では埋められない空白がある。

 

 

それは、「楽しみ」や「希望」といった、生きる上での感情の部分

 

 

だと思う。

 

 

電動カートでの遠足は、単なる外出ではなく、その空白を埋め

 

 

てくれる数少ない存在だった。

 

 

だからこそ、それができない日々は、想像以上に重くのしかかる。

 

 

では、こうした状況の中で、自分はどうすればいいのか。

 

 

正直に言えば、答えはまだ見つかっていない。

 

 

ただ一つ言えるのは、「何も感じないようにする」ことだけは違

 

 

う気がしている。

 

 

たとえ苦しくても、「苦しい」と感じている自分を否定しないこと。

 

 

それだけは手放したくない。

 

 

外に出られない日が続いても、心のどこかに「また遠足に行け

 

 

る日が来る」という小さな灯を残しておく。

 

 

その灯はとても弱く、今にも消えそうかもしれない。

 

 

それでも完全に消してしまえば、本当に何も残らなくなる。

 

 

大雨の日、冷たい風の日、どうしようもなく沈む日。

 

 

そのすべてを無理に前向きに変える必要はないと思う。

 

 

ただ、「今はそういう日だ」と受け止めながら、次に外へ出られ

 

 

る日のために、ほんの少しだけ心を繋ぎ止めておく。

 

 

電動カートでまたあの道を進む日を思い浮かべながら。

 

 

あのゆっくりとした時間が、再び自分のもとに戻ってくること

 

 

を願いながら。

 

 

今日という一日を、なんとか終えていくしかない。

 

 

 

 

 

May be the best year of my life.