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ワインの匂い / オフコース
息子が結婚したと聞いた時、胸の奥に静かに広がったのは、
言葉にしきれない複雑な想いだった。
嬉しさもあったし、どこか寂しさもあった。
そして何より、「よくここまで来たな」という、親としての安堵の
ような感情があった。
彼は海上自衛隊の潜水艦隊の士官を退官していた。
あの過酷な環境での任務を思えば、もう少し続けてほしかった
という気持ちも正直ある。
しかし結婚の障壁にもなっていたのかもしれない。
いつ出動し何所で何をするか、いつ帰るか例え妻でも言えない
というのは結婚している自衛官には大きな障壁だろう。
親同士が、そういう仕事なら理解できるかもしれないがーー
だが、結婚生活を考えれば、それもまた一つの正しい選択なの
だろう。
守るべきものができた人間が選ぶ道としては、自然な流れなのか
もしれない。
さらに、次の就職先もすでに決まっていた。
日本にある大手の船舶製造会社に再就職したという。
おそらく、海上自衛隊で培った経験が活かされる会社なのだ
ろうと思う。
息子は機関の士官だったからーーーー
そう考えると、彼なりにしっかりと未来を見据えて歩いている
のだと感じる。
本当は、どこの会社なのか、どんな仕事をしているのか、もっと
詳しく知りたい気持ちもあった。
けれど、それを聞くことにはどこか憚りがあった。
踏み込んではいけない距離というものが、確かに存在している。
だからこそ、自分に言い聞かせる。
「そんなことよりも大切なのは、彼が幸せであることだ」と。
彼の結婚相手についても同じだ。
母はすでに会っているらしいが、自分はまだ会ったことがない。
質素で可愛くて息子にはピッタリな相手だと言っていた。
この地に戻ってくる前の出来事だったからだ。
どんな人なのか、どんな笑顔を見せるのか。
息子が選んだ人だからこそ、会ってみたいという気持ちは強い。
そしてもし、これから新しい命が生まれるのなら――
孫を、この腕で抱いてみたい。
この場所に連れて帰ってきてほしい。
この空気を感じさせてあげたい。
そんな願いが、自然と心の中に湧いてくる。
だが現実は、そう簡単ではない。
息子は、自分のことを嫌っている。
理由は分かっているつもりだ。
これまでの自分の言動や選択、その積み重ねが、今の距離を作
ってしまったのだろう。
取り返せない時間と、取り戻せない関係。
だからこそ、「帰ってきてほしい」と願うことすら、どこかで遠慮
してしまう自分がいる。
それでも——
彼ももう、大人だ。
いつまでも子どものように根に持ち続ける人間ではないと、ど
こかで信じている。
時間が流れる中で、少しずつでもいい。
何かが変わっていく可能性を、完全には捨てきれない。
無理に距離を縮めようとは思わない。
許してほしいと強く求めることもできない。
ただ、静かに願うだけだ。
息子が幸せであること。
家庭が穏やかであること。
夫婦が支え合い、笑顔で過ごしていること。
そして——
丈夫な孫が生まれ、その命が健やかに育っていくこと。
それが、今の自分にできる精一杯の願いだ。
「家内安全」
「夫婦円満」
その言葉を心の中で何度も繰り返しながら、遠くにいる息子の
姿を思い浮かべる。
親として、できることはもう多くはないのかもしれない。
けれど、想うことだけはやめない。
たとえ届かなくても、形にならなくても——
この願いだけは、変わることはない。
May be the best year of my life.















