幸せは私の中に そしてあなたの中に。 だけど本当の幸せって何だろう? -3ページ目

幸せは私の中に そしてあなたの中に。 だけど本当の幸せって何だろう?

克服出来ない病は世の中に沢山ある。自分も数々の克服出来ない心の病と身体の病に罹患している。他人の痛み知る努力をし、思い遣りの心で知り応援したい。努力によって人は誰しも大きな失敗でも取り戻せる。努力によって人は誰しも生きる尊厳を取り戻す事ができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読みください。

 

 

 

ワインの匂い / オフコース

 

 

 

 

 

 

息子が結婚したと聞いた時、胸の奥に静かに広がったのは、

 

 

 

言葉にしきれない複雑な想いだった。

 

 

嬉しさもあったし、どこか寂しさもあった。

 

 

そして何より、「よくここまで来たな」という、親としての安堵の

 

 

ような感情があった。

 

 

彼は海上自衛隊の潜水艦隊の士官を退官していた。

 


あの過酷な環境での任務を思えば、もう少し続けてほしかった

 

 

という気持ちも正直ある。

 

 

しかし結婚の障壁にもなっていたのかもしれない。

 

 

いつ出動し何所で何をするか、いつ帰るか例え妻でも言えない

 

 

というのは結婚している自衛官には大きな障壁だろう。

 

 

親同士が、そういう仕事なら理解できるかもしれないがーー

 

 

だが、結婚生活を考えれば、それもまた一つの正しい選択なの

 

 

だろう。

 

 

守るべきものができた人間が選ぶ道としては、自然な流れなのか

 

 

もしれない。

 

 

さらに、次の就職先もすでに決まっていた。
 

 

日本にある大手の船舶製造会社に再就職したという。

 

 

おそらく、海上自衛隊で培った経験が活かされる会社なのだ

 

 

ろうと思う。

 

 

息子は機関の士官だったからーーーー

 

 

そう考えると、彼なりにしっかりと未来を見据えて歩いている

 

 

のだと感じる。

 

 

本当は、どこの会社なのか、どんな仕事をしているのか、もっと

 

 

詳しく知りたい気持ちもあった。

 

 

けれど、それを聞くことにはどこか憚りがあった。

 

 

踏み込んではいけない距離というものが、確かに存在している。

 

 

だからこそ、自分に言い聞かせる。
 

 

「そんなことよりも大切なのは、彼が幸せであることだ」と。

 

 

彼の結婚相手についても同じだ。
 

 

母はすでに会っているらしいが、自分はまだ会ったことがない。

 

 

質素で可愛くて息子にはピッタリな相手だと言っていた。

 

 

この地に戻ってくる前の出来事だったからだ。

 

 

どんな人なのか、どんな笑顔を見せるのか。

 

 

息子が選んだ人だからこそ、会ってみたいという気持ちは強い。

 

 

そしてもし、これから新しい命が生まれるのなら――

 

 

孫を、この腕で抱いてみたい。

 

 

この場所に連れて帰ってきてほしい。
 

 

この空気を感じさせてあげたい。

 

 

そんな願いが、自然と心の中に湧いてくる。

 

 

だが現実は、そう簡単ではない。

 

 

息子は、自分のことを嫌っている。

 

 

理由は分かっているつもりだ。

 

 

これまでの自分の言動や選択、その積み重ねが、今の距離を作

 

 

ってしまったのだろう。

 

 

取り返せない時間と、取り戻せない関係。

 

 

だからこそ、「帰ってきてほしい」と願うことすら、どこかで遠慮

 

 

してしまう自分がいる。

 

 

それでも——

 

 

彼ももう、大人だ。
 

 

いつまでも子どものように根に持ち続ける人間ではないと、ど

 

 

こかで信じている。

 

 

時間が流れる中で、少しずつでもいい。
 

 

何かが変わっていく可能性を、完全には捨てきれない。

 

 

無理に距離を縮めようとは思わない。
 

 

許してほしいと強く求めることもできない。

 

 

ただ、静かに願うだけだ。

 

 

息子が幸せであること。
 

 

家庭が穏やかであること。
 

 

夫婦が支え合い、笑顔で過ごしていること。

 

 

そして——
 

 

丈夫な孫が生まれ、その命が健やかに育っていくこと。

 

 

それが、今の自分にできる精一杯の願いだ。

 

 

「家内安全」
 

 

「夫婦円満」

 

 

その言葉を心の中で何度も繰り返しながら、遠くにいる息子の

 

 

姿を思い浮かべる。

 

 

親として、できることはもう多くはないのかもしれない。
 

 

けれど、想うことだけはやめない。

 

 

たとえ届かなくても、形にならなくても——
 

 

この願いだけは、変わることはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

May be the best year of my life.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読みください。

 

 

杏里 / オリビアを聴きながら

 

 

 

 

 

 

 

何故、自分だったのだろうか。

 

 

3つもの難病を抱え、そのどれもが強い痛みを伴うものばかり

 

 

だなんて、あまりにも出来過ぎている。

 

 

偶然にしては重すぎるし、運命にしては残酷すぎる。

 

 

ふと考えてしまう。

 

 

「これは罰なのではないか」と。

 

 

これまでの人生の中で、自分は神様から罰を与えられるほど、

 

 

間違った生き方をしてきたのだろうか。

 

 

誰かを深く傷つけたのか。

 

 

取り返しのつかない過ちを犯したのか。

 

 

記憶を辿っても、確かに後悔はある。

 

 

あの時こうしていれば、という思いはいくつもある。

 

 

だが、それがここまでの苦しみを背負わされる理由になるとは

 

 

とても思えない。

 

 

そもそも——神様など、本当に存在するのだろうか。

 

 

もし存在するのなら、なぜこんな不公平がまかり通るのか。

 

 

なぜ、普通に生きている人と、何重もの苦しみを背負わされる

 

 

人がいるのか。

 

 

なぜ、痛みを避けることも、できず、ただ受け入れるしかない

 

 

現実があるのか。

 

 

考えれば考えるほど、「神」という存在は遠ざかっていく。

 

 

あるのは、ただの「運」や「巡り合わせ」ーーつまり運命のような

 

 

ものだけではないかと思えてくる。

 

 

病気というものは、少なくとも生活習慣病の一部を除けば、

 

 

自分の意思で選べるものではない。

 

 

「なりたくてなる」ものでは決してない。

 

 

気をつけていれば防げるものばかりではないし、どれだけ真面

 

 

目に生きていても、突然襲いかかってくる。

 

 

そう考えると、やはりこれは「運命」としか言いようがないのか

 

 

もしれない。

 

 

自分はこれまでに、3度の手術を受けてきた。

 

 

そのたびに、「これで少しは良くなるはずだ」と信じて手術台に

 

 

上がった。

 

 

だが現実は甘くなかった。

 

 

どの手術も、術後には痛みが残った。完全に解放されることは

 

 

なかった。

 

 

それどころか、身体には麻痺が残った。

 

 

動かしたくても動かせない部分があるという現実。

 

 

それは、単なる痛みとはまた違う種類の苦しみだ。

 

 

自分の身体でありながら、自分の思い通りにならないという

 

 

感覚は、言葉では言い表せないほどのストレスを伴う。

 

 

積み重なる痛みと制限。

 

 

その中で、「なぜ自分だけが」という思いは、どうしても消えない。

 

 

けれど、ここで一つ、冷静に見なければならない現実もある。

 

 

仮に神が存在しないのだとしたら、この苦しみには「意味」も

 

 

「理由」もないことになる。

 

 

誰かの意図でもなく、罰でもなく、ただ起きてしまったことに

 

 

過ぎない。

 

 

それはある意味で、さらに厳しい事実かもしれない。

 

 

理由があるなら納得できる余地がある。

 

 

だが、理由すらないのだとしたら、この痛みはどこにも向けよ

 

 

うがない。ただ受け止めるしかない。

 

 

それでも——

 

 

完全に絶望してしまうのも、どこか違う気がしている。

 

 

理由がないのなら、自分で意味を作るしかないのかもしれない。

 

 

運命に選ばれたのではなく、ただこの状況に「置かれてしまっ

 

 

た」だけだとするなら、その中でどう生きるかは、自分に委ね

 

 

られている。

 

 

もちろん、綺麗事では済まない。

 

 

痛いものは痛いし、つらいものはつらい。

 

 

前向きな言葉で消せるほど、軽い現実ではない。

 

 

それでも、これまでの自分は、その痛みの中で生きてきた。

 

 

3度の手術を乗り越え、麻痺を抱えながらも、日々を積み重ね

 

 

てきた。

 

 

その事実だけは、誰にも否定できない。

 

 

神がいるかどうかは分からない。

 

 

あの世があるかどうかも分からない。

 

 

ただ一つ確かなのは、「今ここに自分がいる」ということだ。

 

 

そして、その自分は、どれだけ不条理な現実の中でも、ここま

 

 

で生きてきたということだ。

 

 

もしこれが運命だというのなら、その運命は決して優しくはない。

 

 

だが同時に、その中で生きている自分自身もまた、簡単には折

 

 

れない存在なのかもしれない。

 

 

神がいないのだとしても——

 

 

それでも、自分の人生はここで終わりではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

May be the best year of my life.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読みください。

 

 

大原櫻子 - 青い季節

 

 

 

 

 

 

昨夜から続く暴風雨。

 

 

屋根を叩く雨音と、家を揺らすような風の唸りが、眠りを浅く

 

 

する。

 

 

朝になって雨は少し弱まったものの、風は相変わらず強く、

 

 

しかも気温が高いせいか、生温い空気がまとわりつくようで

 

 

気持ちが悪い。

 

 

そんな落ち着かない空気の中、玄関の戸を叩く音がした。

 

 

この小さな集落では珍しくもない「配り物」だろうと思いながら

 

 

戸を開けると、そこに立っていたのは、同じように心身に障害

 

 

を抱える先輩だった。風にあおられながらも、しっかりと足を踏

 

 

ん張り、手には配布物を抱えている。

 

 

「これ、回ってるから」

 

 

そう言って差し出された紙を受け取りながら、思わず声をか

 

 

けた。

 

 

「こんな天気の中、大変ですね」

 

 

彼は少し苦笑いを浮かべて、ぽつりと話し始めた。

 

 

母親が心筋梗塞の発作で倒れ、つい最近入院したばかりだとい

 

 

うこと。

 

 

そして今は、その母親に代わって、朝の炊事を自分がやってい

 

 

るということを。

 

 

炊事といっても、難しいことをしているわけではない。

 

 

ご飯を炊いて、レトルトの味噌汁を用意するだけ。

 

 

それでも彼にとっては大きな負担であり、「結構大変だよ」と、

 

 

正直な言葉をこぼした。

 

 

それだけではない。

 

 

こうして配り物もこなしている。

 

 

暴風雨の中でも、やらなければならないことをやる。

 

 

その姿は、どこか必死で、そして現実に抗っているようにも

 

 

見えた。

 

 

玄関先で別れた後、しばらくその場に立ち尽くしてしまった。

 

 

自分はどうだろうか。

 

 

2日に1回ご飯を炊き、ゴミ出しをし、母の病院に付き添い、

 

 

必要があれば車を出して買い物に行く。それなりにやっている

 

 

つもりではいた。

 

 

でも、彼の話を聞いた後では、それが急に「少ないこと」のよう

 

 

に感じてしまう。

 

 

比べるものではないと分かっていても、心は勝手に比べてし

 

 

まう。

 

 

そして、もっと大きな不安が胸の奥から浮かび上がってくる。

 

 

彼の母親も、自分の母も、高齢だ。いつ何が起きてもおかしく

 

 

ない年齢に差し掛かっている。

 

 

もし、その「いつか」が突然やってきたとしたら―――

 

 

その時、自分はどうやって生きていけばいいのだろうか。

 

 

彼も、同じことをどこかで考えているのではないか。

 

 

あの苦笑いの裏には、日々の大変さだけではなく、これから先

 

 

の不安が滲んでいたように思える。

 

 

頼れる存在がいなくなった時、自分たちはどこに向かえば

 

 

いいのか。

 

 

身体も心も万全ではない中で、すべてを一人で背負っていけ

 

 

るのか。

 

 

答えは出ない。

 

 

暴風雨のように、先の見えない不安が心の中で渦を巻く。

 

 

けれど、ひとつだけ確かなことがある。

 

 

それは、「今」をどうにか生きているということだ。

 

 

彼は母親の代わりに炊事をし、この嵐の中でも配り物をして

 

 

いた。自分もまた、できる範囲で日々のことをこなしている。完璧

 

 

ではなくても、不十分だと感じても、それでも確かに生活は続いて

 

 

いる。

 

 

もしかしたら、「どうやって生きていけばいいのか」という問い

 

 

に、明確な答えはないのかもしれない。

 

 

ただ、その時その時で、できることをやるしかないのかもしれ

 

 

ない。

 

 

暴風雨は、いずれ止む。

 

 

空はまた晴れるかもしれない。

 

 

けれど、人生の不安は、そう簡単には消えてくれない。

 

 

それでも――

 

 

玄関先で見た彼の姿が、頭から離れない。

 

 

あの生温い風の中で、必死に立っていた姿が。

 

 

あれが「生きる」ということなのかもしれない、と少しだけ思

 

 

った。

 

 

不安を抱えながらでも、できることをやる。

 

 

先が見えなくても一歩ずつ進む。

 

 

暴風雨の中で、そんな当たり前でいて難しい現実を、静か

 

 

に突きつけられた気がした。

 

 

 

 

 

May be the best year of my life.