微笑みの裏の悲しみ。 | 幸せは私の中に そしてあなたの中に。

幸せは私の中に そしてあなたの中に。

克服出来ない病は世の中に沢山ある。自分も数々の克服出来ない心の病と身体の病に罹患している。他人の痛み知る努力をし、思い遣りの心で知り応援したい。努力によって人は誰しも大きな失敗でも取り戻せる。努力によって人は誰しも生きる尊厳を取り戻す事ができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読み下さい。

 

 

 

ただ・・・逢いたくて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忘れてはならないと思う事がある。

 

 

家内は、僕やメグを看て疲れていて、まともに寝る事も出来

 

 

ない状況なのに、声を荒げて怒りを爆発させたり、気分が悪

 

 

いからと口を利かないとか、意地の悪い事等をした事は一度

 

 

も無い。

 

 

僕が解離性健忘症に罹患し普通の女性なら間違いなく離婚と

 

 

いう場面でも耐え忍び、僕を、そうさせているのは病のせい

 

 

だと信じてくれて僕を大きく包んでくれた。

 

 

しかし、僕は長い事、その深さに気付かずにいた。

 

 

解離性健忘症の時だけじゃ無い。

 

 

今まで数々の暴言や無理を言ってたかもしれない。

 

 

しかし、家内は怒りを面には出さず、静かに微笑んでくれて

 

 

いた。

 

 

家内は、その辛さや悲しみを心の奥底に噛み締めて涙では無

 

 

く笑顔で包んでいたのだと思う。

 

 

 

 

怒りを爆発させるのは簡単だ。

 

 

その思いを爆発させるか、涙を見せるか、笑顔で包み込むか

 

 

だけの違いなのかもしれない。

 

 

しかし、心の底に秘めた辛い思いや悲しい思いを噛み締め、

 

 

笑顔で隠して包み込んでいる事は容易な事では無いと思う。

 

 

僕は、そんな家内の笑顔の裏にある気持ちを、理解しようと

 

 

努力していただろうか?

 

 

今の僕は家内の苦労を知り分かち合おうとしているだろうか?

 

 

家内が僕の前で涙を見せたのは結婚6年間でたったの3回か

 

 

4回だけだ。

 

 

家内は涙を流す時、僕が居ない場所で泣いている。

 

 

それは正直、夫としては淋しい事だ。

 

 

出来るなら涙の理由を教えて欲しい。

 

 

そして僕の胸で泣いて欲しい。

 

 

何故なら労苦を共にするのが夫婦だと思うからです。

 

 

逆を言えば、それだけ僕は家内にとって言うだけ無駄な頼り

 

 

のない夫だという事なのだろう。

 

 

愚かな僕は、その微笑みの裏にある悲しみや淋しさにどれだ

 

 

け気付いて、そして家内を労われていただろうか?

 

 

改めて考えると自分の小ささが情けなく、そして悲しくなる。

 

 

心が病んでいるのは臨床的に間違っていない。

 

 

確かに僕が今までしてきた事、言ってきた事の殆どは、病が

 

 

そうさせてきたと断言できる。

 

 

しかし、だからといって家内の微笑みの裏に隠した悲しみや

 

 

淋しさにに甘えてばかりじゃ男じゃ無い。

 

 

夫だと胸を張れようか?張れると言えるなら僕は阿呆だ。

 

 

そして、そんな僕は知恵のある人間じゃ無いと思う。

 

 

だから家内は自分の辛さや悲しみを僕には打ち分けてはくれ

 

 

ないで独り涙しているのだろう。

 

 

畜生にも劣る奴だと自分を情けなく思う。

 

 

 

 

 

家内が紙粘土で作ってくれた小さなお地蔵様と、更に小さな

 

 

お地蔵様、二体が僕の机の目の前に置いてあります。

 

 

合計で三体。

 

 

毎晩、「今夜はメグと家内がゆっくりと寝れます様に」とお

 

 

祈りしている。

 

 

微笑みを絶やさない優しい家内が、心を込めて作ってくれた

 

 

お地蔵様だから必ずご利益があると信じ祈っている。

 

 

僕の宝物だ。

 

 

そのお地蔵様の御姿とお顔の笑顔は正に家内そのものだ。

 

 

手作りの物には、作った人の性格や心根が現れる。

 

 

手を汚す仕事を長年続け、心も汚れている僕には何も作れな

 

 

い。

 

 

元々、不器用で、親父も母も弟も器用でしたが、僕だけが不

 

 

器用で何を作っても出来が悪くて、子供の頃から親父には罵

 

 

倒され、その代わり、田圃の汚れ仕事や力仕事は全て僕がや

 

 

らされた。

 

 

大雨の日でも田圃に暗渠を掘るのも僕一人の仕事でした。

 

 

親父は傘をさし、ずぶ濡れで仕事をしている僕を見下ろして

 

 

いた何の手伝いもせず・・・。

 

 

弟も、その手伝いをさせられず友達と遊んでいた。

 

 

婚約者との婚約の報告に行った時、その暗渠を掘る仕事は弟

 

 

では無く重機を使っていた。

 

 

殺意を感じる程の物凄い怒りを感じました。

 

 

仕事でも、社会人としても、人としても、まだ半人前でした

 

 

からね。

 

 

しかし、僕は長男だけど嫌で家を捨て東京に行った身、二度

 

 

と、この家と関わる事は無いのだと心を静めたけど、その恨

 

 

みや怒りは今も忘れられない。

 

 

祖父母にも親父にも復讐してやったけど、未だに心は晴れな

 

 

い。

 

 

家内の様に微笑んで許す事等到底出来ない。

 

 

だから、祖父母、親父が死んだ時、涙の一粒も出なかった。

 

 

叔母ちゃんが死んだ時には号泣したのにだ。

 

 

母も祖父母や親父に虐められながらも、僕と弟の為に耐えた。

 

 

母の兄、叔父が「家に戻ってきても良いぞ」と言ってくれて

 

 

も耐えていた。

 

 

僕は微笑んだり出来ているのだろうか?

 

 

母も結構、気が強いというか、気が強く無ければ、あの家に

 

 

は居れなかったのだろうけど、幼い頃、僕は母の笑顔を見て

 

 

ると心が安らげていた・・・。

 

 

今も母の笑顔が目に浮かぶ。

 

 

そして、家内の家族も優しい笑顔を僕にしてくれる。

 

 

有難い事だ。

 

 

その家族の笑顔を絶やさない様に僕も自重しなければいけな

 

 

いと強く心から思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

May be the best year of my family.