僕が今いる場所と死後の世界。 | 幸せは私の中に そしてあなたの中に。

幸せは私の中に そしてあなたの中に。

克服出来ない病は世の中に沢山ある。自分も数々の克服出来ない心の病と身体の病に罹患している。他人の痛み知る努力をし、思い遣りの心で知り応援したい。努力によって人は誰しも大きな失敗でも取り戻せる。努力によって人は誰しも生きる尊厳を取り戻す事ができる。












僕も今年〇〇歳になる。



人生の折り返し地点。もう立派な老人になったな。



こんな僕にも一応、凄く短かったけど青春はあった。



21歳で父親になり、家族を養う為に仕事に費やした



若き日々。



嘘です。



子供達を養っていたのは確かですが、愛の無い家庭だ



から家に帰るのが嫌で、しょっちゅう職場で寝泊まり



してた仕事の振りして。



でも実は家族を養う事を考える以上に野心に燃えてた



自分。



でも、今は、お蔭で他の人より早く、子育ても終えて



念願の離婚も出来て、暫くは独身貴族生活だったけど



段々と母亡き後は独りぼっちになり孤独死かと考えた



ら淋しくなり人恋しくなり、再婚を考え始めた。



そんな中で自力じゃ無いけど出逢わせて貰ったのが今



の家内。



新しい家族も出来たけど基本的に案外、自由な身。



でも左腕が左脚が腰が痛い、痺れる。麻痺している。



家族には心配と家内には苦労ばかり掛けてる糞野郎。





早くに結婚し、若くに父親になり、周りの人に色々と



誹謗中傷されたし単に同情と脅しと、やけくそで結婚



したのだから何を言われても仕方ないと思ってたから



むしろ誹謗・中傷する人より自分の方が恥ずべき人間



だと思ってた。



でも一生懸命仕事して勉強して実績も出して誰よりも



早く出世して、見返してやろうと無理して働いたツケ



が、今、体と心をズタズタにした。



心身ともにガタガタの、がらくた人間。



人様の世話にならないと生きていけないという情けな



い人生へと転落してしまった。



人生の前半は、一番良い、一生懸命頑張って勝ってき



た事。



人生後半は、一生懸命頑張ったけど負けの連続。



底の見えない泥沼だった。



でも、一生懸命だったと思う。



僕は優柔不断なのか?



人が良すぎるのか?悪過ぎるのか?



それで他人を傷つけてきたのだろうか?



自分も沢山傷ついたけど、それ以上に他人を傷付けて



きたし身内も、子供達も傷付けた。



今の痛みや麻痺は償いの為の日々だと思い耐えている。



それで良い。



タイミング良く離婚も上手く出来たし、身体は壊した



けれど暫くは独身貴族生活も送れたし、致死性心室細動



で1時間半自律呼吸や心肺停止状態の時に二度と逢え



ないと思って人達にも逢えたし、それまで「死」という



ものは電気のスイッチを切る様にパチンと真っ暗の「無」



になるのだと思っていたし死後の世界なんて信じてい



なかったけど、実際に自分で体験しちゃうと信じざるを



得なくなる。



しかも、あれは夢とか幻では無く今でも鮮明に着てた



服の色や髪型まで全て覚えているし、痛みも麻痺も無



くなってて、心穏やかで、静かで優しい雰囲気だった。



そして僕は生まれて無かった娘に最初に迎えて貰い、



もし生まれてたら、こんなにも母親似で目がクリっと



してる可愛い子だったんだと思ったし、何より娘に



迎えて貰い「パパちゃんは私とママちゃんが死んで



から何も楽しいと思った事無かったよね?」と本心



を見事に見抜かれた言葉まで言われた。



婚約者には「何故、お腹に子供が出来たという時点



で入籍し僕の妻として逝かせてあげれなかったのか」



と悔いてたから、後ろめたさも、あったけど、そん



な気持ちと再会出来た喜びで一杯で、これからは、



この世界で親子3人で居られるんだと思ってたのに



何故か彼女は「まだ早いよ、帰って」と言った。



僕は「え?どうして?」と思って理由を聞こうとする



前に、そこに居た親父が、生きてた頃には見た事も無



い様な怖い顔をして「此所はお前が来る場所じゃない」



と怒鳴ったと同時に、いきなり、その世界から出され



て、何故か僕は空を飛んでいた。



自分の肉体を載せたドクターヘリの横を・・・・・。



そして普通は乗せられない筈の母が乗ってて医者が諦



めてヘリが到着地の日赤に着いたら死亡診断書を書く



つもりでいたらしいが、母が「親より先に逝く馬鹿が



何所にいる!!!」と怒鳴った声が薄っすら覚えてて



それに僕の心臓が反応を示した為に急遽、僕の狭心症



を見逃した総合病院に降り、当日は日曜日で外来も休



みだし循環器内科の医者も休みなのに責任を感じたの



か連絡を受けて病院に来ててヘリが降りてくるのを外



で待ってた。



母の連絡で来てた弟に母は「〇〇〇が死んだ」と言っ



たという・・・母のお陰で行き帰ってしまったのに。



そして何かある度に「死ぬかもしれません」を連発さ



れながらも、僕は、ことごとく医学の常識を超えた事



を連発し、ERに居た医者や看護師は化け物でも見て



る様な顔をしてたな。今思えば。



しかし残念な事に僕は生き残ってしまい、しかも医学



の常識では10分以内に蘇生しても歩いて退院出来る



確率は1%と言われているのに、キチンと歩いて帰り



退院した翌日、僕を全隊員で全力で助けようと努力し



てくれた消防本部に手土産を持ってお礼に行きました。



消防署の隊員にしてみれば当然の事だと考えている事



は判ってたけど、僕が感謝してたのは向こうの世界で



もう一度で良いから逢いたいと思ってた人に逢えた事



そして天寿を全うして「死」を迎える事に何の恐怖も



無くむしろ楽しみが増えた事です。



でも、僕が見た世界はよく世間で言われているお花畑



では無く、一面濃い霧に包まれた世界でした。



だから僕が逝ったのは天国じゃなくて地獄?



だから生き帰って徳を積んで天国に行ける様に戻され



たのかもしれない。「はい、やり直し」って感じで。



母は、もし僕が地獄に落ちようとしたらロープを投げ



て天国に引っ張ると言ってたが、そんな事出来るのだ



ろうか?無理だよね・・・・・・。



頑張って徳を積もう。



この部屋で。










【RUI】 月のしずく





















難病ランキング