死に別れ。 | 幸せは私の中に そしてあなたの中に。

幸せは私の中に そしてあなたの中に。

克服出来ない病は世の中に沢山ある。自分も数々の克服出来ない心の病と身体の病に罹患している。他人の痛み知る努力をし、思い遣りの心で知り応援したい。努力によって人は誰しも大きな失敗でも取り戻せる。努力によって人は誰しも生きる尊厳を取り戻す事ができる。

















Another Rain / 中西保志









この曲は「最後の雨」が男性視点の曲ですが、この


曲は女性視点の曲になっています。


「ここにいるよ」と「そばにいてね」と同じですが、


違いは「別れ」という事です。


別れには雨や雪が似合います。


それは、雨や雪が涙を隠してくれるからでしょう。


悲しければ、泣けばいい。


悲しければ、淋しければ、普通は泣けるものです。


無理して我慢する事は無い。


泣きたい時は泣けばいいんです。


雨や雪が涙を消してくれます。


別れは、嫌いになったから訪れるものだけではあ


りません。


死別もあるし、好きだけど、どうしても別れなき


ゃいけない事だってあるんです。


一番強烈なのは、死別です。


僕も若い時に経験した。


高校生の頃に出会い、何度か別れと再会を繰り返


し、お腹に僕等の子供が出来で結婚を決めてて互


いの家にも報告し、もして僕が卒配されて安定し


たら家族用の官舎に移り生活する筈だったのに。


場所も全て決まってて式は向こうと東京と2回


しないといけないねとか話してたのに・・・・。


子供の名前も考え決めてた・・・・・。





弟も最愛の奥さんを45歳の若さで卵巣癌で亡く


した。


兄弟揃って死別を経験するなんて珍しいし、だか


らこそ互いの気持ちが判る。


弟は義妹を亡くしてから反抗期の息子二人と義妹


の母親、つまり姑とは反りが元々合わなかったの


に、義妹が亡くなって1ヶ月位は、優しくしてく


れたらしいが、次の月からは元の性悪婆に戻り、


以前の様に虐めが始まった。


肉体労働をしている弟に作る弁当は小さな、おに


ぎり1個で、足りる筈が無いので弟はコンビニで


足りない分を買って仕事に行き、土日も休まずに


働いて家の生活費、家のローン、二人の息子の学


費から全て一人で頑張って養ってた。


そういう弟の背中を見て育った甥っ子達は今、素


晴らしい若者に育ち社会人として頑張っている。


性悪婆は相変わらずで、家のローンも、もう直ぐ


終わるので終わったら家は甥っ子の二男に任せて


自分は母の居る実家に戻ると言ってました。


甥っ子の長男は性悪婆と一緒にいるのが嫌で仙台


に転勤させて貰い、そこで生涯を共にする人を見


つけたらしく、正月に家に連れて来たらしい。


とても良い子だったと弟が母に話したそうだ。


そして今度は自分が相手の女性の家に挨拶に行か


ないといけないらしい。


遂に弟の苦労も実り、孫を抱ける日も近い。


亡くなった義妹に、報告出来るね良かった・・。


僕も甥っ子が結婚したら何か贈り物をしないと


いけないなと考えています。


家を任すと弟が言ってた甥っ子の二男も性悪婆


とは、しょっちゅう喧嘩しているらしいのです


が甥っ子も負けておらず、しかも喧嘩している


割には性悪婆も甥っ子にだけは優しいらしい。


以前、弟が仕事に行っている間に性悪婆が部屋


に入った痕跡が見つかり、それからは部屋に南


京錠を取り付けて入れない様にし、顔も見たく


無い弟は晩御飯を食べたら直ぐに自室に入り自


室でTVを見たりして、くつろいでいるらしい。


洗濯も性悪婆は弟の分はしてくれず弟が自分で


している。


養って貰ってるのに何て酷い婆でロクな死に方


は出来ないと思うが、未だに病院1つ行かない


で済む程、元気らしい「憎まれっ子世に憚る」と


言うが地でいってる婆だ。


弟は、あの家に居ても幸せには成れない。


義妹が生きてるなら仕方が無いけど、もう弟は


義妹の分まで十分働いたし尽くした。


弟と義妹は、実の母親である性悪婆とも相性が


悪く、一度、義妹と婆が大喧嘩して「死んでや


る」と2階から飛び降りようとしてるのを弟が


必死に止めたらしいし、義妹が癌になった時、


実の母親には何も話さないし、性悪婆は義妹が


末期癌なのに余り見舞いにも行って無かった。


車も免許もないからかもしれないが、普通、自


分の子供が死の直前なら泊まり込んでも面倒を


看るもんじゃないか?


その間、弟達はスーパーの弁当や総菜とかコン


ビニ弁当でも文句は言わなかったろう。


それに義妹は本心を実の母親には話せず僕の母


には何でも話せて母に「辛いよ、痛いよ、助け


て」と何度も言い、母は涙を流しながら足を擦


ってあげる事と何度も面会に行く事位しか出来


なかったと言ってた。


義妹の遺影は抗ガン剤で髪の毛が抜けてたので


ウイッグを被り自分でスマホで撮影した写真。


火葬の時、弟は「〇〇ちゃん、俺も直ぐに逝く


からな」と言ってスイッチを押した。


でも、弟には二人の息子の行く末を義妹に報告


するという義務が残っている。


長男の方は結婚が近くて孫の事も報告出来るだ


ろうが二男は義妹が逝った時、小学6年生で野球


をしてたんだけど県大会で勝ち続け決勝まで行っ


たのですが、その頃、義妹は生死の境を彷徨って


おり、もし自分が死んだら二男は途中で試合を放


棄しなければならなくなるからと、決勝が終わる


まで生きて耐えた。


試合は決勝で負けてしまったけど義妹は最期まで


甥っ子を応援していたし、病気になる前から動け


ている間は親の会でも中心となり活動し人望も厚


かった。


だから毎年、命日には多くの親の会で一緒だった


人が拝みにくると言ってた。


僕にとっても義妹は特別で周囲は前妻の大嘘に騙


されていたけど、義妹だけは僕を信じてくれてて


「義兄さん」と慕ってくれてた。


何で早く死んでも構わない様な性悪婆は生きてて


義妹の様な良い人が早く死ぬのか?


それに義妹は三人姉妹の三女なのに何故、義妹と


弟が性悪婆の面倒を看て性悪婆が勝手に建てた家


のローンを払い続けないといけないのか?


弟は一日も早く性悪婆は捨てて実家に戻るべきだ。


息子が心配なのは判る。


だけど、もう二男も成人した事だし、別に遠い場


所でも無いから、いつでも駆けつけられる。


今年中に弟がローンを終えて実家に戻り母と暮ら


し少しは幸せになって欲しい。


そもそも義妹の姉が近くに住んでいるのだから何も気兼


ねする必要も無い。


義妹の姉も自分の親の面倒を看るのは当然だろう。


弟に押し付けるのは甚だ間違っている。


実母でも嫌いなのは良く判るが筋が通らない。


生き別れは辛い。だけど嫌いで別れる方がマシだと僕は


思います。


生きてさえいれば、いつかまた逢えるかもしれないけど


死んじゃったら、二度と逢えないからね。




病死でも死に別れ強烈ですよ。


朝、普通に「いってらっしゃい」と送り出され「早く帰


るからね」と仕事場に向かったのに当然の1本の電話で


地獄に突き落とされる。


最初は「嘘だ」と必ず思う。


だけど霊安室で顔に白い布を被らされている姿を見た時


現実だと知る。


頭の中は訳が判らず真っ白。


「何で・・・」という言葉しか言えない。


警察官が事情を教えてくれる。


相手の野郎を殺してやりたいと何度も思った。


お腹にいた娘だけでも助かっていたら僕の人生は娘の為


だけに生きてたと思うし、今頃、孫が3人位居て娘も中


年のオバサンになってる年頃だ。


長女と少ししか歳は変わらないけど娘が年上だ。


お腹の中に居たから顔も知らなかったけど以前何度も書


いた通り、僕が致死性心室細動で心肺停止になった時に


向こうの世界で一番最初に僕を迎えてくれたのは娘の、


美玖だった。


小学生の中学年位の姿を見せてくれたけどパパちゃんは


ママちゃんと出会った高校生の頃の姿の美玖が見たかっ


たな。本当は。


でも、美玖の目はママちゃんそっくりで可愛かった。


あの髪の毛はママちゃんが結ってくれたんだね。


何で親父は身体障碍者になり痛みと麻痺に苦しんでいる


僕を受け入れず現世に帰したのか?


何故ママちゃんは「まだ早いよ、帰って」と言ったのか。


何故、もう楽にさせてくれなかったのか?


母なら僕がいなくなっても弟が居た。


それでも親父は親よりも先に逝こうとしてる僕を許せな


かったから医学の常識を破らせたのだろうな。





死に別れは、心がズタズタになり心を病む。


実際、僕は鬱病になり、そのまま、その仕事を辞めよう


と考えていたんだけど、ママちゃんの義母さんがね、マ


マちゃんが僕がしている仕事を誇りに思っているという


話しをされてから心機一転して通院し投薬を続けながら


上司には事情は話して理解してくれてたし1年も休職し


てたのに人事に待つ様に説得してたのも上司だった。


同僚には通院してる事も服薬している事も内緒にしてた


けど、多分、バレバレだったと思う。


職業柄、そういうの見抜けるからね。


でも、誰も何も聞かないし言わなかったな。


仕事はキチンとしてたし・・・・・・。


有難かった・・・・・。


同じ釜の飯を食う仲間と言うのは、そういう仲間の事を


いうのだろうと思った。


でも暫くは魂の抜けた人の様だったと先輩に言われたけ


どね。


何年も経ってからだけど。


でも僕は結局、定年退官前に実家の都合で天職を辞めざ


るを得なくなり、ママちゃんと美玖の墓がある実家に戻


って来た。


僕の人生設計では前妻とは離婚し、鎌倉の海の見える場


所に1軒屋を建てて、そこで悠々自適な生活を送る事だ


った。


再就職は警務部が斡旋してくれるし、実務経験が無くて


も重役とか相談役だから楽だと聞いてたし。


だから、毎日、海を見て海の風を感じ、磯の香というか


海の独特な匂いを堪能し、ホンダのNSXの中古を買い


湘南海岸をサザンオールスターズの歌を聞きながら流す


のがママちゃんを失った後の僕の人生設計だった。


だけど、実家のせいで、思いっ切り予定が狂い最悪の状


態になったけど家内と出逢い再婚出来、念願の娘が出来


た。実子は5人いるけど全員野郎ばかり。


小さい時は可愛いけど、小学生の中学年辺りから生意気


になってきて可愛く無い。


今では敵対関係だし。


多分、美玖が娘が生まれたら自分を忘れるんじゃないか


と男ばかりにしたんじゃないかな?


忘れる筈等無いのに・・・・・。


でも、今、長女が歳が近い事もあって実の娘の様に僕に


優しくしてくれるから僕は幸せ者だ。


家内もママちゃんと美玖の供養をしてくれてるし長女も


してくれてる。


有難い事だ・・・・・。


中々、そういう人は居ないと思う。


流石、叔母ちゃんが選んでくれただけある。


その為に僕は片道600kmを旅して移住して来たんだ。


後は弟の幸せを心から願っている。


僕は身体障碍者になり、こんなザマだけど幸せだ。


だから同じ死に別れをした弟だけど、弟は僕とは違い再


婚はしないと思うけど、気を使わずに済む実の母親と暮


らして穏やかな日々を送って欲しい。


そして長男の孫を抱き、二男が結婚して二男の孫を抱い


くまではキチンと生きて義妹に報告出来る様に頑張って


欲しい。


今は仲違いしてるけど僕は唯一血縁のある長男のお陰で


念願の孫娘を二人も抱く事が出来たし「パパのパパ」と


お爺ちゃんでは無く、そう呼ぶ様に言ってくれた長男の


嫁に当時は感謝してた。


だって40歳代のお爺ちゃんだったし。


パパのパパはパパと仲違いしてるし遠い所にいるけど大


きくなった君達の姿を写真で良いから見たいよ。


おんばぁ(母の事)に写真を貰う様に頼んでるけど楽し


みだよ。


僕は、この歳になり孫娘が出来、娘が出来た。


高校生の頃から将来は娘が欲しいと言い名前まで「美玖」


と決めてたんだ。


天寿を全うし向こうに逝ったら今度は高校生の姿で迎えて


くれな・・・美玖。


ただ、死んだ時の若いままの婚約者と年老いてジジイにな


った僕とでは悲し過ぎる。


僕の人生で、唯一大きな過ちというか後悔は、愛も情も全


く無い女と結婚し、二人も浮気相手の子を産まれながら


気付かずにいた事。


知ってたら、即、離婚して嫌な重荷を降ろす事も出来たし


供養も出来たし、その後に家内と再婚するまでは再婚せず


に居て、家内と再婚して初めて念願の娘を得ていただろう。


運命とはいえ僕には呪いの運命だ・・・・。











May be the best year of my family.











難病ランキング
難病ランキング