土日のこの時間が嫌いです。 | 幸せは私の中に そしてあなたの中に。

幸せは私の中に そしてあなたの中に。

克服出来ない病は世の中に沢山ある。自分も数々の克服出来ない心の病と身体の病に罹患している。他人の痛み知る努力をし、思い遣りの心で知り応援したい。努力によって人は誰しも大きな失敗でも取り戻せる。努力によって人は誰しも生きる尊厳を取り戻す事ができる。

ここのところ、4週間の間、忘れていた。


土日の夕方、この時間の淋しさ・・・


4週間は日本からの出張者がアパートにいたから


この淋しさを味合わずに済んだ。


夕方までの時間は外に出たり、仕事をしたりと紛らわす事が


出来るけど、夕方のこの時間はどうにもできない。


一人ぼっちの淋しさが・・色々と今までの事とか、


昔、愛した人の事を思い出させてしまう。


高校生の頃、留美という子を好きになった。


とても好きだった。愛なんて言葉は判らなかったし、必要無かった。


ただ、いつも一緒にいたいと思ってた・・・いつも彼女の話を聞いていたいと


思ってた。


彼女は自分の全てで僕を愛してくれたし、僕も彼女さえいたら何も


必要無かった・・・・でも、夏のある日、彼女は僕に別れを告げた・・・


お互いの愛情が冷めたわけでも、嫌いになった訳でも無い、お互いの


家庭の問題だった・・いや、僕の家族の問題だった。


彼女は母子家庭の長女で、とても母親を大事にしていた、僕の叔母が


彼女の母親を良く知っていて、受験を目の前にした僕の事について


彼女の母親に何かを言っらしく、母親の悩む姿を見たくない一心での


別れだったと人伝に聞いた。


その後、彼女とは東京で再会した。


高校を卒業し、僕が受験を反発もあって止め(本当は馬鹿だから?)


警視庁に入り、そこも体制嫌いの性格で一泊二日で辞め、西友ストアの


家電サービスに勤め、アパートで一人暮らしを始めた初めての夏だった。


その日は、平日、仕事を終えて帰宅していたけど、自分の部屋には電話が


無くて、大家の叔母さんが怪訝な顔をして、「女性の方から電話よ」と部屋に


呼びにきた。僕も女性からの電話なんて覚えが無くて、それが彼女からの電話


だった・・・・・電話の向こうで泣いているかのような彼女は「淋しい」と


一言だけ言ったんだ。


そうして僕らは今日と同じ土曜日に再会し、僕の部屋で食事も取らずに一日中


一緒に過ごした。


翌日の日曜日の夜、会社の寮に帰る彼女を送って二人でわざと遠い駅を目指して


歩いたんだけど、その時、彼女は「会うのはこれが最後」と僕に告げた。


二度目の別れだった。


僕は、もう嫌だった。彼女と二度も別れる事が・・・お互いに愛し合ってるのに


何故、別れなければならない?何故、一緒にいちゃいけないの?


彼女はバージンだったんだけど、とても僕は嬉しかった。何故かと言うと、僕と


一度目の別れをした後に、彼女は色んな奴と付き合っていた事を僕は知っていたし


会社の同僚からホテルに誘われたとか、色んな話を聞いていたから・・・正直その時は


なんとも言えない悔しさとか、苦しさがあったんだけど、彼女と初めて結ばれた夜、


彼女は「シンデレラって知ってる?」と聞いたんだ。


それを聞かれ怪訝な顔をしている僕をシャワーに行かせ、何かをしていた彼女。


シャワーを浴びて戻ったら、シーツに付いた赤い血を一生懸命洗っている彼女が


そこに居た。「シンデレラ」の意味がやっと判って、彼女への愛おしさが溢れ出し


いつまでも抱き合ってたんだ。


ずっと・・愛し続けていてくれたんだ・・・僕と同じだったんだ・・・と・・


僕も、彼女との一度目の別れのあと、色んな子と付き合ったけど


本気で愛せる子がいなかった・・・イヤ・・できなかった・・




人生で一番愛した人だったけど、残念ながらハッピーエンドではなかった。


今でも、「一番愛した人は?」と聞かれれば、彼女、「留美」と答える。


僕は今年45歳。


これからも、死ぬまで彼女が一番のままだと思う。



今日、アパートで「スイート・ノーベンバー」というDVDを見た。

とめどなく涙が溢れ止まらなかった・・・

彼女がいたら・・・・・彼女が傍にいてくれたらどんなに幸せだったか・・

彼女が僕の子供を生んでくれて、僕は彼女似の子供たちを、こよなく

愛して・・・・いたんだろうな・・・きっと・・・・・


もう嫌だ・・今度は絶対に別れない・・4度目の別れはもう絶対に

嫌だ・・・・・今度は僕も一緒に死ぬ。


未だに昔の思い出を引きずって抜けられない、情けない男。

それが僕です・・・・・