不遇な事故を如何にしたら回避できるか、何とか避ける方法はないものかと思索を巡らして来た。共鳴論という仮説を立てて森羅万象の営みの仕組みまで考え運命とは何ぞやまで検討してきたが、結局ありふれた結論にたどり着くことになった。
森羅万象は過去に起きたあらゆる事象の似たパターンの踏襲として起きる。事故も然り。されば事故の回避を図るなら、事故の原因を徹底的に解明し、事故の原因を悉く排除した行動なり環境整備などを施して同じパターンを繰り返すことのないように努めるしかない。
但し、人間の努力で過去の事故のパターンを全て知ることは不可能に近いから、把握できなかったパターンで事故は起きる可能性はある。それでも人智で知りうる数の事故のパターンを踏まえて同じ轍を踏まない努力をすることが事故になるべく遭わないでいられる道だとの結論に達した。
これで、人生の課題の一つがまた一つ解決した。人生の目的も解決したし、江戸幕府は滅ぼす必要は無かったのでは無いかとの疑問もその通りだったとして解決した。
また、人生は幼児期の愛され方で決まるのではないかとの推察もその通りと結論を得た。まあ、全ては我流の推論が多いのだが、学術論文じゃないから自分で得心すればそれで十分。後。残る課題は理想の村を如何に造るかだけだが、これは生きてるうちはできないだろう。青写真位は作ろうともがいた時期もあったが、その情熱は何処かに失せてしまった。年取ると体力の限界を始めできない事が増えて来るから、一つ一つ諦める事が積み重なってくる。ドラマの台詞の如くもういいでしょうというところかな。
しかしただ死を待つだけの空しい日々は送りたくないから、未完の夢を追い続けながら穏やかにその日を迎えるのが有終というところなのではないかな、と思う。
追記、人生予感を磨く事が大切。これ共鳴論からの教訓。