関心と実現 | 夢追い人一里のブログ

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関心のある物は近づき、関心が薄れた物は離れて行く。これ共鳴論から理解するようになった。人も然り、彼はどうしてるだろうとおもいを寄せれば、風の便りを聞くようになったり

偶然に遭遇したりする。これ共鳴論に立てば遭遇という偶然は必然に代わる。ただ現実に実現する頻度が高いか低いかの差は共鳴する要素の濃淡による。では共鳴する要素とは何か、当然おもいの強弱が第一の要素になることもあれば、それはさほどでもなく、他の要素が強く働く場合もあろう。つまり、ちょっと思っただけなのに 実現するという場合もあれば、かなり強く思っているのにさっぱり効果無しという場合もあることになる。然らばその場合何が強く働く共鳴要素となったのか、考えられるのは人間関係、時間空間の共通性、状況などの類似性などがあるかもと思うのだ。


共鳴論に立って人の運を考えてきたが、その思考に立てば、人の行動はすべからく運に左右されている訳だから、ある人が関心を寄せた「もの」は共鳴した運に動かされた別のある人の行動によって 持ち運ばれ近づき或いは遠ざかる。或いはまた、自分が運に左右されて自ら近づき或いは遠ざかり、自分の心に 共鳴した他者が近づき或いは遠ざかる。


これらのことは、探し物がふとしたことから見つかったことから思いを巡らし頭に浮かんだ事どもだ。


何はともあれ、関心を持てば、また思いを寄せれば、それは現実となり、あるいは実現する可能性があると思うのだ。

これ共鳴論という仮説に基づく話。ゆめゆめ信じこむこと勿れ。



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