霊界がないとなると、さあどうする。 | 夢追い人一里のブログ

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霊界は無いと結論づけた。本音はあって欲しいのだが、その存在が、誰もが納得出来るような形での証明ができないのであれば無いと言うしかない。

そこで、実際は存在しないと認める理性と、あって欲しいと願う心の間で折り合いを付けようとしている。そこで宇宙共鳴論という自ら立てた仮説から妄想を試みてみた。


宇宙共鳴論については何度か書いているので、ここでは省略。


自分が地上から消えても、生きていて綴った想念と辿った行動の全記録は宇宙の見えないクラウドハードディスクに記憶されている。そして地上の人間を始め森羅万象は、蓄積されたHDDの記憶に共鳴して動く。この共鳴現象は地上の存在が共鳴して 動くことになる。そこで今考えているのは運と共鳴現象との関係性だ。

霊界とクラウドHDDの違いは、人間で言えば意識や自覚が在るかないかだ。霊界となるとそこに住む霊人には意識も自覚もあることになっているが、クラウドHDDにあるのはビデオ映像の記録と同じで生きてるように見えてもその中の記憶には意識も自覚も無い。


そこで考えた。


生きてる間にいろんな思いを記憶に遺す。人の営みの全ては見えないクラウドHDDに記憶されるから、そこで人に語りかける記憶をのこせば、いつかその相手がその記憶に共鳴すると、生きてる人と記憶の中の言わば映像と会話が成立するような錯覚が起きるだろう。ビデオの場合にもある、語りかける映像を見てるとビデオの人と会話している気持ちになる。

見えないクラウドHDDの中の自分に意識が無いのは残念だが、いつか地上にいる人と疑似会話と言っても地上の人の錯覚なのだが、地上の人が会話したと思ってくれたら、それで満足しようじゃないかと自分に言い聞かせている。

よく霊界の人と会話をしたという話がある。それはこういう現象の事ではないかと思っている。


かく言う自分も、神と会話した事がある。存命中のメシアとも祈りの最中


声を聴いた事がある。

人生最大の困難にぶつかった時、断食して祈れば神に通じると言われていたので、そのようにした。断食期間が終わって言うともなしに神に呟いた。かくかくこうした方がいいですよねと、神は一言「そうだ」と答えてくれた。

メシアは祈祷室で祈っている時、「自分がそのような道を行ったので、お前にも行かせて申し訳ないね」と語ってくれた。


今これらを共鳴現象として理解しようとしている。HDDの誰のどんな記憶と共鳴して起きた出来事かはわからないが、自分がその共鳴現象を会話したように悟ったというある種の錯覚だったと今は思う。


これから墓参りする時は、墓の主はどんな思いで、どんな人生を送ったかに思いをはせることにしようと思う。


今日書いたことは全て仮説にもとづく妄想なのでゆめゆめ鵜呑みにしないように。