「 隠居学 」
加藤秀俊 (かとう・ひでとし 1930~)
株式会社講談社 2005年8月発行・より
しっかりした お芝居には、大道具、小道具などと並んで 「履物」 という専門家がついている。
たとえば菊田一夫さんの名作 「花咲く港」 を見にいったら、その舞台関係者のなかにも 「履物」 担当の専門家が はいっていた。
菊田 一夫(きくた かずお、1908年 - 1973年)は、日本の劇作家・作詞家
~wikipedia
昭和十六年の日本の離島でだれがどんな履物をはいていたか、をちゃんと考証なさっているのである。
そういわれて注意して見ていたら網元は新しい上等の下駄をはき、旅館のオカミさんの草履には模様のついた鼻緒がすげられている。
風采のあがらない中年男の下駄は歯が磨りへって薄よごれているし、使用人たちはペタペタの草履、東京からきた、という人物のひとりは深編み靴、もうひとりは茶色と白のコンビ (といってもわからないかな。2色の革を使ったキザな靴です。いまはあんまり見かけない)。
登場人物は二十人たらずだが、それぞれに履物がちがう。
そのちがいによって人物の所属する社会的階層から所得まで推察できる。
本格的な演劇というのはスゴイと思ったことでありました。
履物にはいろんな人が注目しています。
たとえば旅館、レストランなどにゆく。
お客商売だから、番頭なりマネージャーなりは ていねいに頭を下げて
「いらっしゃいませ」 というが、彼らはそうやって頭を下げながらじっとお客の履物を見ている。
どんな履物をどう履きこなしているか、それで客の品さだめをするのである。
その一瞬の判定で旅館だったら松の間にご案内、竹の間にご案内、といったふうに接遇が違うし、レストランだったら窓際の上等のテーブルか隅っこのテーブルかに客は振り分けられるのである。
この判定、まずまちがいないという。
おなじようなことを、私は若い頃 さる先輩から教えられた。
だんだん世間がひろくなると名刺交換ってことがある。
そんなとき、おジギしてすぐ目に入るのは相手の靴だ。
先方だって君の靴を見ている。
どんな靴をはいているかで人品骨柄(じんぴんこつがら)がわかる。
だから靴だけはちゃんといい物を履いていなさい。
そう言われるまで気がつかなかったが、たしかにそのとおり。
おジギをすると目に入るのは相手の顔じゃない。 靴なのである。
その教訓を受けてから、私はまあまあそんなに見苦しくない靴を履くことに努力するようになった。
俗に 「足もとをみる」 というのは江戸時代の旅行サービス業者、すなわち駕籠(かご)かき、馬子などから始まったそうだ。
弥次喜多その他でご承知のとおり、徒歩で旅をしていると疲れる。
いくら健脚でも、飛脚じゃあるまいし、シロウトが何時間もあるいていたら疲労困憊(こんぱい)、アゴをだす。
そんな身体的状況は顔を見たってわからない。 足を見ればわかる。
足袋もワラジもくたびれて、あるく姿も大義そう。
そんな旅人を見つけると雲助どもがやってきて、旦那、カゴはいかがです、つぎの宿までお安くしておきますよ、などと言ってたいそうな値段をふっかける。
いくら隠しても、虚勢を張っても、足を見れば相手の状態はわかる。
「足もとをみる」 っていうのは古今を問わず人物鑑定のコツなんですな。
9月9日の ならまち