「田舎の政治家代表」 みたいな金丸信と、育ちの良いエリート外交官とはちょっと結びつかないが、この逸話が面白いので紹介します。
「国際情勢判断・半世紀」
岡崎久彦(おかざき ひさひこ 1930~2014)
株式会社育鵬社 2015年4月発行・より
私は金丸氏と仲がよかった。
彼が防衛庁長官で私が防衛庁の参事官だったときからのつきあいです。
金丸氏と仲がいいと話すと皆さん、意外ですね、などと言ってニヤニヤと笑います。
彼は、おおざっぱな性格で有名で、人間しか見ない。
大蔵省などに部下がいましたが、顔を見て信用した人間ばかりでした。
言っていることは半分聞くだけで、その人間を信頼して 「それで行こう」
という感じの人です。
彼は防衛関係の研究所を主宰していたので、自衛隊の優秀な若手である西村繁樹氏を紹介したことがあります。
使ってくれるかのかと思ったらしばらく使わない。
催促すると、「顔を見なきゃわからねえ」 と言いました。
だから西村氏にすぐ会いに行けと促した。
顔を見たら、「あれは立派なもんじゃ」 などと言って雇ってくれました。
(注) タイに赴任中クーデターが起こった時の話です(人差し指)
アメリカの場合、経済援助法に、クーデターで出来た政権に対しては援助を止めるとはっきり書いてあります。
当時日本は、新たな経済援助法案を検討しているときで、それに同じような条項を入れるべきかどうか議論している、ちょっと微妙な時期でした。
(略)
そこで私は、クーデター後に日本も経済援助を止めるという話が持ち上がったとき、すぐに金丸氏に電話して、「援助停止はだめです」 とお願いし、その年の四月に金丸氏がバンコクに来たときには 「この事態はクーデターではなく、ただの政権交代です」 と伝えました。
(略)
そうしたら、金丸氏は帰国後、本当に 「これはただの政権交代じゃ。援助は直ちに全面再開、五月雨式は許さんぞ」 と言ってくれました。
あの頃の金丸氏は首相よりも偉かった。
(略)
援助継続に外務省や日本政府の中で特に反対はありませんでした。
その理由は,岡崎・金丸が組んでいるなら仕方がない、というのが一つだったと思います。
(略)
余談ですが、金丸氏はタイに来たころ、前年に北朝鮮を訪問して金日成主席と会うなど、北朝鮮との関係を強めていました。
それで東京から 「金丸さんが暴走しているので、止めてください」 と言ってきました。
飛行場で彼に会ったとき、向こうから先に北朝鮮とやっていることを話し始めたので、私は手を横に振って、「あれはダメ、あれはダメ」 と言いました。
そうしたら 「オウ」 と言ってそれっきり、ほんとうにやめてしまいました。
本当に役人でも何でも、信頼している人間を十人か二十人か持っていて、彼らが言うことならその通りにする、という人でした。
(略)
ちょうど大使を辞めて、特命中で大使室にいたときだったと思いますが、
まだ辞令を貰ってない暇なときでしたから、六本木のサウナに入っていました。
そこでテレビを見ていたら、ニュースが、金丸氏が東京佐川急便事件で衆議院議員を辞職し、辞表を出して家に帰るところ、と報じました。
それでサウナから出て、金丸さんの行きつけの花屋があるので、そこで 「何か気持ちがパッとするような花はないか」 と聞いたら、「大きなオランダユリがある」 といわれ、買って担いで彼の家に行きました。
金丸さんの邸宅の前の広い道は、新聞記者とテレビで十重二十重でした。
金丸さんが辞めたのが午後三時か四時頃で、皆忙しいからまだ誰も来ない。
そこに私が一人で大きなユリを抱えて入っていったから、目だったのなんのといったらなかった。
真っ先に駆けつけたのは岡崎大使だと、新聞に書かれてしまいました。
すごい度胸だとかいって、ずいぶんからかわれました。
5月7日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影