「メディアの発生 聖と俗をむすぶもの」
加藤秀俊(かとう ひでとし1930~)
中央公論新社 2009年5月発行・より
いちばん感動的だったのは南太平洋に出漁している沖縄のカツオ釣り船に同乗して数日をすごしたときであった。
真っ黒に日焼けした屈強の漁師たちをのせた50トンの大型カツオ船は毎日、レーダーや望遠鏡でしっかりと観察しながらカツオの群れをもとめて紺碧の海を航行するのだが、いっこうにカツオには遭遇しないことがあった。
そのどうにもならないほどの不漁のあと、船長は基地にもどってから、
はるかかなた、故郷の沖縄のノロに国際電話をかけた。
ノロというのはいうまでもなく沖縄独特の巫女さん、というよりも女司祭のことで、彼女たちが管理する村の霊場にはだれも入ることができない。
そのノロは漁船の状況をきいて神様からの宣託をうける。
だれか金気(かなけ)のモノを粗末にしなかったか?
とノロが質問する。
すると船員のひとりが、そういえばきのう金槌を甲板に落としたなあ、と答える。
船長がそのことをノロに伝えると、それなら船霊(ふなだま)さまにお祈りをなさい、と指示があたえられる。
船霊さまというのは船の守護神のことで、
日本の漁船にはかならずいらっしゃる。
おおむねちいさな神棚で船長室の中央にある。
その扉をひらき、乗員一同、祈りをささげるとそれで問題は解決である。
これは1970年代のソロモン群島でのわたしの経験である。
いまでもそうなのかどうかは知らない。
しかし、1万キロをへだてて故郷のノロから神託をうける漁師たちのすがたにわたしは感動した。
カツオの漁獲が海流や海水温、またプランクトンの分布などさまざまな要因によって変動する、というのは科学的・理論的にはただしいのだろう。
しかし、ものごと、とりわけ漁業という生業にはしばしば 「運」 としかいいようのない要素がはたらく。
そんなとき神様にうかがってみる、というのはごく謙虚な人間的方法ではないのか。
南太平洋の海原を眺めながらはるばると沖縄まで国際電話をかけている漁民たちのすがたをみてわたしが感銘したのは、このような理由による。
5月7日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影