「 戦国史談 」
桑田忠親 (くわた ただちか 1902~1987)
株式会社潮出版社 昭和59年7月発行・より
『 甲陽軍鑑 』 は、史料的価値はそれほど高いとは思われないが、武田信玄の言行について、なおいろいろと面白いことを伝えている。
信玄は家臣を統率する方法の一つとして、家臣それぞれの人物判定を誤らぬように、人を見そこなないがちな場合を七つ挙げている。
その一つは、油断のある人を静かな人物と見そこなうことがある、
というのである。
言いかえると、うっかり者を沈勇のある家臣と見まちがえる
ことがある、というのである。
たしかに、そういうことは現代の会社員などにも有りがちだ。
その二つは、そそっかしい人を すばやい人物と見そこなうことがある、
というのである。 これもありそうなことだ。
その三つは、動作の鈍い人を沈着な人物と見まちがうことがあるというの
である。 これはその一つと似かよっている
その四つは、そそっかしくて早合点なあわて者を、機敏な人間と見あやま
ることが多い、というのである。
その五つは、物のわからぬ人間は、道理が理解できないために、はっきり
とものを言わないものだ。
それを慎重な人物であると見そこなってはならぬ、という戒め
である。
その六つは、なんの深い考えもなく軽くものを言う人は、これを口たたきと
いって、いまにもさばけた人物のように見そこなうことが多い。
注意せねばならぬ、というのである。
その七つは、何らの信念も自信もない人間に限って、よく知りもせぬくせに
自説に固執し、案外に強情なものである。
こういう人を、剛強な武勇にすぐれた人物と見あやまることが
多い。注意を要する、というのである。
2017年8月28日に 「人間を見て政治判断した金丸信」 と題して岡崎久彦の文章を紹介しました。コチラです。 ↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12295098203.html
2017年6月27日に 「田辺聖子の人間観察」 と題して田辺聖子の文章を紹介しました。 コチラです。 ↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12283057361.html
9月15日の奈良の鹿 猿沢池
雌鹿を眺めている雄鹿 奈良公園
坂の上の鹿 興福寺付近 遠くの山は生駒山
9月16日の奈良の鹿 奈良公園
東大寺参道
悩んでいるのか 興福寺付近
訴えているのか・・・