「日本を活(い)かす」
谷沢永一 (たにざわ・えいいち 1929~2011)
株式会社講談社 1993年10月発行より
何か新しい製品を販売しようと考えて事業を興すような場合は、役所の許可なり認可なりを得て社会的に認知してもらわなければならない。
ところが、いわゆる ”お役所仕事” の壁にぶち当たって、なかなか申請側の思いどおりには ことは運ばないのが常である。
だから、その直前になってからあわてて手を打っても、泥棒を捕まえてから縄を なう ような ものである。
そこで業者は、社会の中でいろいろと口をきいてくれる存在に対し、
前もって手を打っておく。
事業を成功させようと思ったら、どうしてもそれが必要になる。
これが政治家にたいする献金である。
したがって、先にも述べたように、政治家に対する献金は、賄賂にほか
ならないのである。
例えば東京ドームをつくった太陽工業の能村(のうむら)龍太郎会長は、あれを認知させるために、監督官庁である厚生省に300回も足を運んだという。
太陽工業株式会社(たいようこうぎょう)は、大阪市淀川区に本店を置く、大型膜面構造物(テント構造物)のメーカーである。 ~wikipedia
300回も足を運ばなければならなかったというのは、明らかに官僚側が
意地悪をしているとしか考えられない。
最初の申請の段階で官庁側が、これこれの危険な状態が考えられるから、それらをすべて実験し、危険でないことを立証してから提出しなおせと、一括して指示してくれたら、太陽工業側としてもそれらを集約的に実験でき、もっと早くことは進んだはずなのに、能村会長から直接聞いたところによると、役所は一度に一つのことしか指摘しないのだという。
その一つを実験し、安全を確認してデータとともに再提出すると、
「次はこれだ」と言って、また別の一点を持ち出してくる。
これを嫌がらせとか意地悪と言えるかどうかは非常に微妙な問題で、
役所側もいろいろ研究を続けていて、あとでそういう条件が必要だと
わかったと言われてしまえば それまでである。
つなり、嫌がらせなのか、そうでないのかは、紙一重である。
能村会長はあくまで中央突破でいったらしい。
そうした手間を簡略化し、よけいな経費をできるだけ少なくするために、
なんらかの手を打つことは、当然行われる。
そして、それは結局、カネという形をとらざるをえない。
(略)
先日の新聞紙上で、ダイエーの中内功社長が、一つの店を出すのに
二百いくらの規制があり、それをすべてクリアしていくのは非常に大変だと述べていた。
先にも紹介したように、太陽工業の能村龍太郎会長は、東京ドームをつくったとき、大坂の本社から東京まで三百回も往復しなければならなかったという。
とにかく、現在のがんじがらめの許認可制が、民間企業の活力を著しく圧迫しているのは、紛れもない事実である。
5月31日の猿沢池付近