竹内靖雄はー「日本」の終わりー(日本経済新聞社)の一節にこの問題を次のように要約している。
「何が許されており、何が禁止されているかについては、官庁にお伺いを立てなければならない
これが法治国家・日本の<真実>である。そこで何事につけても官にお伺いを立て、官の指導を仰ぐことになる」
その実態を竹内靖雄は簡潔に例示する。すなわちこんな調子である
民「このやり方でよろしいでしょうか」
官「適当とはいえませんね」
民「法律で禁止されているのですか」
官「そういうわけではありませんが」
民「ではやってもいいんですね」
官「われわれとしては、そう申し上げられません。なにしろ前例のないことで、この世界の慣行にも合致していませんから、関係者の意向をよく訊いてみなければ・・・」
民「では私たちがこれをやった場合にはどうなりますか」
官「仮定の上の質問にはお答えいたしかねます」
つまり、問題の所在を明確にしないで曖昧な語法により新規の展開を禁止する。
それでも強行した場合は報復され、嫌がらせを受けるので手が出せない
このような押さえつけが社会の発展を著しく阻害していることは言うまでもなかろう。
しかも行政指導には一貫性がなく局面に応じてくるくる変わる
そこで呆れるし困惑するから、前回の指導と違うではないですかと質すと、それは聞き違えでしょうと平然たるものである
行政指導の弊害はそれが口頭で行われるところから発するのだ、
行政指導はすべて公式の文書によって行うという規定を設けなければならないのである
「この国の不条理」谷沢永一(たにざわ えいいち1929~2011)
PHP研究所2007年発行・より
光が丘公園(東京・練馬)11月29日撮影