絵が小さくなったのは日本の影響  | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

「 半日の客・一夜の友 」

丸谷才一 ( まるや・さいいち 1925~2012 )

山崎正和 ( やまざき・まさかず 1934~2020 )

株式会社文藝春秋 平成7年12月発行・より

 

 

 

 

山崎 話がちょっと戻りますが、最初の中野(好夫)さんの、何が残るだろう

    かというときに挙げられた江戸時代までの文化ですが、それの何を

    指しておられるのか厳密には分からないけれど、たとえば浮世絵で

    あり、俳句、狂歌であり、そのまた前の連歌であり、さらに茶の湯や

    歌舞伎、能というようなものだとすると、面白いことに、全てが中流

    大衆文化なんですね。

 

 

    この大衆文化の始まりは室町の初めに求められると思います。

 

 

    たとえば田楽は、それ以前の平安朝ではまだ農民の土俗的な藝能

    にすぎませんが、鎌倉末期になると、都市に入ってきて、多様な

    人びとがそれを愉しむようになった。

 

 

    「永長の大田楽」 といって、京の町中の人が踊ったという記録があ

    るし、北条高時が田楽に狂ったということが、『太平記』 に残って

    います。

 

永長の大田楽(えいちょうのおおでんがく)とは、嘉保3年(1096年)の夏に京都で発生した田楽の流行のこと。ただし、同年冬に元号永長と改元されたため、一般的には「永長の大田楽」と称されている。  ~ wikipedia

 

北条 高時(ほうじょう たかとき)は、鎌倉時代末期の北条氏得宗家当主鎌倉幕府第14代執権(在職:正和5年(1316年) - 正中3年(1326年))。第9代執権・北条貞時の3男。 ~ wikipedia

 

 

    連歌にしても、「花のもとの連歌会」 というのがあって、お座敷も

    ないような連中が満開の桜の下で車座になって連歌をつくる。

 

 

    「編笠連歌会」 という、編笠で顔を隠して参加するという連歌会も

    あった。

 

 

    都市の無名性がすでにそこにはできており、無数の民衆がそこに

    参加できた。

 

 

    茶の湯にしても、秀吉の大茶会で、麦焦がしを持ってやって来いと

    言っていることから分かるように、非常に階層が広くなっている。

 

 

麦焦がし~大麦をいり、ひいて粉にしたもの。湯に溶かして飲んだり、砂糖を混ぜて粉のまま、または湯で練って食べたり、落雁(らくがん)などの菓子にしたりする。~和・洋・中・エスニック 世界の料理がわかる辞典の解説

 

 

    そういう大衆文化の層の厚さは、実はヨーロッパより早かったんで

    す。

 

 

丸谷 そうそう。印象派やアール・ヌーボーに影響を与えた浮世絵にしろ、

    琳派はことにその傾向が強いんだけれど、日本の宮廷文化が町人

    の段階まで降りてきて浸透し、ごく自然な形で成熟した文化、それが

    ヨーロッパに紹介されたとみることができますね。

 

 

アール・ヌーヴォーとは、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動。「新しい芸術」を意味する。花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない装飾性や、鉄やガラスといった当時の新素材の利用などが特徴。分野としては建築工芸品グラフィックデザインなど多岐にわたった

 

琳派(りんぱ)とは、桃山時代後期に興り近代まで活躍した、同傾向の表現手法を用いる造形芸術上の流派、または美術家工芸家らやその作品を指す名称である。本阿弥光悦俵屋宗達が創始し、尾形光琳乾山兄弟によって発展、酒井抱一鈴木其一江戸に定着させた。~wikipedia

 

 

山崎 そうですね。

 

 

丸谷 当時のヨーロッパでは藝術家たちがブルジョアを非常に嫌悪して

    いた。

 

 

    事実、十八世紀のロココ的な宮廷人と比較すれば十九世紀の成り

    上がりは ガタ落ちで、まだ成熟した文化をつくるところまで行って

    いなかった。

 

ロココRococo)とは、美術史で使われた用語で、バロックに続く時代の美術様式を指す。18世紀ルイ15世フランス宮廷から始まり、ヨーロッパの他国にも伝えられ、流行した。~wikipedia

 

 

    そのブルジョアの趣味の低さを軽蔑していたところに、日本から宮廷

    文化を摂取した町人文化が入ってきたことで、芸術家たちにとって

    大変参考になる面があったのではないか、と僕は見ているんです。

 

 

    あれは単なる異国趣味の新鮮さではなかったんでしょう。

 

 

山崎 とくに浮世絵というのは、普通は絵画の技法の点で印象派に影響を

    与えたといわれるけれど、藝術作品の社会学的なかたちから見ても

    面白いことが言えるんですね。

 

 

    浮世絵には、もちろん肉筆と木版がありますが、量からいえば圧倒

    的に木版です。

 

 

    木版浮世絵は庶民が所有できた。美術を所有するということは、

    これは画期的なことなんですよ。

 

 

    古い時代だと、それができるのは特権階級だけです。

 

 

    一般民衆が美術を鑑賞するのは、教会に行って壁画を見るとか、

    宮殿の装飾を見るとか、ごくわずかの機会があったぐらいでしょう。

 

 

    ましてや所有などということはあり得なかった。

    ところが浮世絵はそれを最初に実現したわけです。

 

 

     一方、いま美術館で見るとはっきり分かるように、印象派になると

    見るからに絵が小さくなっている。

 

 

    小さければ一般民衆でも買えるんですね。

 

 

    印象派の少し前の画家たち、たとえばドラクロアやクールベでさえ、

    中心的な作品は堂々たる大作です。

 

 

    あんなものは絶対に我が家の壁には掛けられない。

    タダで貰っても困る。

 

 

丸谷 ハハハハ。

 

 

山崎 それが印象派になると、急に小さくなって、一つ欲しいなという気持

    ちになる。

 

 

丸谷 そうそう(笑)。

 

    イギリスのテイト・ギャラリーだったかな、あそこのミュージアム・グッ

    ズ、つまり絵葉書やポスターやカレンダーの売れ行きの統計を見た

    ことがあるんですが、圧倒的に印象派なんですね。

 

 

テート(テイト) (Tate) は、イギリス政府の持つイギリス美術コレクションや近現代美術コレクションを所蔵・管理する組織で、ロンドンなど各地にある国立の美術館を運営する。2000年の改組以前はテート(テイト)・ギャラリー (Tate Gallery) と呼ばれたが、それ以後はテート・ギャラリーと呼ばれることはなく、単にテイト(Tate)という。  ~wikipedia

 

 

    印象派以前は大半が聖書や神話に題材をとっていた。

 

 

    その聖書や神話の絵の部分に描いてある草花などがモチーフに

    なるんだということを示し、印象派が出現するきっけをつくったのが、

    日本から入ってきた絵だったんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                             5月4日の猿沢池付近