「 山本七平と日本人 」
会田雄次 (あいだ・ゆうじ 1916~1997)
佐伯彰一 (さえき・しょういち 1922~2016)
廣済堂出版平成5年10月発行・より
[佐伯彰一] 僕は、海軍で、しかも内地の学校、訓練部隊にばかり いたようなもんですが、実感から言っても、まず何から
何までイギリスの物真似という感じがしていました。
そのために、相当滑稽というか、チグハグなところがあった。
簡単なことで言えば、先にも述べたんですが、士官と水兵の関係ですね。
イギリスの場合、この区別はおのずから厳然としている。
もともと出身階級と育ちが違う。
これは日本人の感覚には もともとないわけです。
教育では、「お前らは下士官兵とは違うんだ」 と、「同じところへ行って酒なんか絶対飲むな。彼らと話しながら町なんか歩いちゃいかん」 と。
それをもう嫌というほど やたらに教え込むわけです。
ところが、そうやって、必死になっても なかなか徹底しない。
そんなことイギリス兵だったら、教え込むどころか当たり前で、日本のように区別なしなど考えもつかない。
この雲と泥のようにも違う習慣を、一生懸命に教育してやらせようとしていた。
それに娯楽なんかも、すっかり物真似。
軍艦で、若い士官が集まるガンルームの娯楽は、碁や将棋じゃなくて、
もっぱらトランプ。 しかもブリッジと決められているんです。
あの頃僕らはブリッジなんてろくに知らない。「人数が足らんから、佐伯、
来い」 とか言われてやっとルールを教えられて、それで失敗ばかりして、怒鳴られてばかりいましたから、もうブリッジはこりごりなんですけど(笑)。
ブリッジも結構だけども、何もブリッジをやらなきゃ海軍じゃないというのはおかしい。やはり物真似ですかね。
それから、食事のスタイルもまったくイギリスの真似。
僕は(海軍)兵学校出じゃないですけども、最初の訓練は兵学校で受けたんです。
昭和十八年の暮れですが、そのときの朝食はなんとパンなんです。
ところがバターなんかもちろんない。
それでパンに砂糖をつけて。 それに、おかずは味噌汁なんです。
そんなことなら、パンを放棄してもいいんだけど、やはり棄てない(笑)。
あくまでもパンに固執して、毎日パン食。
それからあと、任官して士官室での食事となると、今度は従兵という
ウェーター役の水兵がつく。
テーブルについて小さな茶碗を上げると、兵隊が来て盛ってくれる。
いわばウェーターがつきっきりでサービスする方式を、戦争に負ける日まで本当にやってました。
要するに食事の仕方から何から何まで、イギリスの物真似を哀れなくらいに一生懸命守って、それで形をつけていた。
もちろん海軍の場合は、軍艦を動かすこと自体、メカニカルなものをちゃんとマスターしなければいけないから、ただの精神主義でいかないし、同時に合理的な面もずい分入って来たと思うんですが、しかし、生活の隅々まで、イギリスのモデルを必死で真似しようとしていた。
(略)
[ 会田雄次 ] イデオロギーというのは、入ってきても、完全に
一部の上澄みとしてあって、あとはそんなものとは
無縁に生きてしまう。
だから、(作家の)阿川弘之氏でさえ、海軍は合理主義の世界だと根っから思い込んでいて、それでものを言ってるところがある。
確かにそれは士官の世界ではきちっと合理的なイギリス式なんですが、
それで全部が動いているわけじゃない。
下はやっぱり、昔の船頭仲間みたいな世界だということを知らなかった。
不思議なもんで、戦艦大和には、上のほうはイギリス的合理主義と志士道
があって、下のほうは日本の昔の西前船(原文ママ・北前船?)みたいなものすごいイビリの世界を、いっしょに乗せて走っていたんですね。
上のほうはイギリスを規範とするキリスト教の世界でしょう。
ところが、下にはちゃんと船霊(ふなだま)さまがいますもの。
船霊様 ~ コトバンク 百科事典マイペディアの解説
船の守護霊。船神様とも。神体は女の髪,男女1対の人形,2個のさいころ,一文銭12枚,五穀など。帆柱の根元の〈つつ〉という部分に納める。
(略)
金比羅さんもみな、あるんですよ。 あの戦艦武蔵にも。
金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する単立神社である。
明治初年の神仏分離以前は金毘羅大権現と称され、以降は、「さぬきのこんぴらさん」の呼び名で知られる
当初はあらゆる分野の人々に信仰されていたが、19世紀中頃以降は特に海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集める。
時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の日本特別掃海隊(朝鮮戦争における海上保安庁の掃海)の殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。 ~wikipedia
5月4日の猿沢池