「 アジアの中の日本 司馬遼太郎対話選集 9 」
司馬遼太郎 ( しば・りょうたろう 1923~1996 )
株式会社 文藝春秋 2006年11月発行・より
~ 歴史の交差点にて 日本・中国・朝鮮 ~
陳舜臣 (ちん・しゅんしん 1924~2015)
金達寿 (きむ・だるす 1919~1997)
陳 清では、科挙の試験を受けられないのは、まず満州族です。
彼らはもともと全部が軍人だから、文官の試験は受けられない。
満州族を 「旗人」 ともいいますね。
満州族というのは狩猟民族でしょう。
司馬 清朝の旗人は、あの王朝にかぎっていえば、貴族と考えてもいいん
です。
あるいは士族と考えてもいい。
清朝においては誇るべきものです。
「満州旗人」 というのはたいへんなものですね。
陳 我々は福建同安(どうあん)の出身とか、よく言うでしょう。
ところが満州族は戸籍はないわけです。
八つの旗に属するわけです。
満州族は八つの旗のどれかに属している。
それが戸籍でもあるわけです。
旗というのは本貫のことです。
そこにいる男も女もみんな旗人なんですね。
そのいわれは、狩猟のとき旗を目印にして八方から獲物を追い込ん
だ。
それらのグループがまちがえないようにそれぞれ色を分けた。
満州族はみんなその八旗のどれかに属しているのです。
金 しかし、清朝が自分の出身の満州族に科挙を受けさせないというの
はどういうことですか。
陳 みな、軍人だから。 旗人というのはみな軍人なのよ。
司馬 原則として中国文章なんか使うな、できるだけ満州文章で読み書き
しろ、というのが清朝の政策でしょう。
ところがそうはいかんですわ。
結局、満州文化は言語文化も衰弱していきますが、形として満州旗
人であるという筋目だけで清朝のころはいばっていたわけです。
考えてみたら倒錯しているので、清朝では野蛮人が文明人を支配し
ている。
野蛮人が旗人と称していばっている。
陳 尚武の精神を保存しようと思ったんでしょうね。
金 それじゃ、清朝の科挙の場合は、武科はなかったんですね。
陳 ほとんどないに等しい。
金 朝鮮は文科、武科に別れていた。
陳 清朝では、武のほうは重量挙げをやったり、投擲(とうてき)をやった
り、だれも尊敬しないので自分でも言わんわけです(笑)。
漢族には武の科挙はあるんです。
旗人は武の科挙なしにすでに軍人なんです。
司馬 全員が士官学校出として認められる。生まれつき将校として認めら
れるわけです。
陳 だから、科挙を受けられないというのは、差別じゃなくて優越なんで
す。
8月15日の猿沢池の子鹿
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