「 日本に外交はなかった 外交から見た日本の混迷 」
宮崎正弘 (みやざき まさひろ) / 高山正之 (たかやま まさゆき)
株式会社自由社 平成28年9月発行・より
[ 宮崎正弘 ] 永楽帝の話が出たところで、中国の易姓革命なる
ものか如何なる実態のものか 言わせてください。
最近蒙古系の中国人、張宏傑という人が書いた 『中国国民性の歴史的変遷 専制主義と名誉意識』 (集広舎 2016年)という面白い本が出ていますが、それによると明を立てた朱元璋はゴロツキの出であり、第三代永楽帝となった朱棣は表面的には仁義を装っていたが、実は骨の髄からならず者だったという。
代十一代の武宗となった朱厚照は、更に酷い無頼の徒で読書を好まず、ほとんど字を知らなかった。
次の代の世宋は変態性欲者で、公然と大臣たちに媚薬を献上させ、ある時には一日数十人もの女性と交わったとか。
日本では政治の支配者である将軍だって、こういうことはしない。
ましてその上の天皇のこととなると、ぜったいに考えられない。
つまり日本は、天皇の国であり、そのような権力者は出てこない。
このような愚かな人間が国の最高権力者になることはない。
そこでこのような人物が政治の最高指導者になる国では、国民も変形する。
同じくこの本で翻訳者の小林一美氏が魯迅の言葉として紹介しています。
曰く、「暴君治下の臣民は、たいてい暴君より更に暴である」、
「暴君の臣民は暴政が他人の頭上にだけ振るわれるのを願い、彼はそれを見物して面白がる”惨酷”を娯楽とし、”他人の苦しみ”を賞玩し、慰安するのだ。その本質はただ自分だけが上手に免れることだけだ」 と。
まったくこの通りだよね。
易姓革命がいかに悲惨な歴史を展開させるかということです。
11月16日 奈良公園にて撮影