教育審議会に出席して絶望  | 人差し指のブログ

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「 日本人の矜持 九人との対話 」

藤原正彦 (ふじわら まさひこ 1943~)

株式会社新潮社 2007年7月発行・より

 

 

~ 真実を述べる勇気を持つ日本人に ・ 曽野綾子 ~

 

 

 

 

 

 

藤原 教育に関する審議会に呼ばれて出席することがありますが、

    そのたびに、かえって絶望の色は濃くなっていく。

 

 

    そうした審議会には、一応、日本を代表する知性と言われる人々が

    集まり、官僚が支えているのでしょうが、彼らはもはや本質を直視し

    正しい方向へ改革する能力を失っているのではないか。

 

 

     では、いま、日本の教育を覆っている最大の病弊とは何か。

    それは 「子供中心主義」 です。

 

 

    「子供の個性を尊重せよ」 「自発性を育む」 「子供の人権」 と、

    現在、もてはやされて、いるスローガンは、すべて子供が中心に

    据えられている。

 

 

    私に言わせれば、「子供の個性」 のほとんどは、悪い個性なんで

    すね。

 

 

    野菜を一切食べないとか、親の手伝いをしないとか、テレビを毎日

    六、七時間も見るとか、授業中に歩き回ったり、私語をやめない

    とか、嫌なやつをぶん殴るとか。

 

 

    要するに 「わがまま」 の言い換えに過ぎない。

 

 

    私は原則的には、子供の個性は踏みにじれ、という立場なのです

    (笑)。

 

 

曽野 賛成です。そもそも教育というものは、子供が嫌だろうと何だろうと、

    大人の側から少なくとも最初だけは高圧的に与えるものだと思いま

    す。

 

 

    そうでなくては、しつけや教育というものは はじめから成り立つ

    はずがない。

 

 

    でも、嫌なやつをぶん殴るのは、昔は男の子たちのほとんどがやっ

    てきた正直なことじゃないですか(笑)。

 

 

藤原 では、弱い者をぶん殴る、としましょうか(笑)。

 

 

    いい個性のほう、たとえば算数ができるとか、かけっこが速い

    とか、弱い子に優しいといった個性は、もちろん伸ばすべきです。

 

 

    しかし、そんなこと、わざわざ目標に掲げるまでもない当たり前の

    ことでしょう。

 

 

    むしろ、いまの学校で推進されている 「平等教育」 なるものでは、

    徒競走で手をつないでゴールさせたり、成績の良い子を褒めなかっ

    たりと、いいほうの個性を殺すための教育になってしまっている。

 

 

曽野 そもそも学校には個性を伸ばすような力はないと思いますね。

 

 

    むしろ、学校の先生に叱られても、親の止められても、それを逆に

    糧として延びていってしまうものが、真の個性でしょう。

 

 

藤原 だとすると、「子供の個性を尊重せよ」 というスローガンは、

    ますます意味がない。

 

 

    その実態は 「子供の将来に責任を負わず、わがままを助長する」 

    教育でしかありません。

 

 

     やはり親や教師は、言葉遣いでも、暮らしのなかのしつけでも、

    自分が本当に正しいと思っている価値観を、時に威圧してでも押し

    付けるほかない。

 

 

    これは、問答無用で構わない。 嘘をついたり、小さな弱い者に暴力

    を振るったりしたら、子供をいきなり張り飛ばす。

 

 

    すくなくとも六歳か七歳までは、そうやって家庭できちんとしつけなく

    ては、学校教育のみならず、人間としてうまく成長することができな

    い。

 

 

     子供のうちは、理屈抜きに大人に従わせる。

 

 

    そして、長ずるにしたがって、そこから脱皮し、自分なりの価値観を

    発見すればいいのです。

 

 

    これはまったく正常な成長過程でしょう。

 

 

    生まれてから十歳ぐらいまでの間に大人に教え込まれた価値観

    は、長じて自分の価値観を形成するために必要不可欠な踏み台に

    なります。

 

 

    「子供の個性尊重」 は、実は子供が本当に自分なりの価値観を

    作っていくのに必要なものを奪っている。

 

 

    百害あって一利なしです。

 

 

     ところが、文科省も日教組もそして国民も、この 「子供中心主

    義」 を圧倒的に支持している。

 

 

    その枠組みで何を改革しようと、教育は良くなりようがありません。

 

 

     私が中教審で臨時委員をつとめていたときのことです。

 

 

    当時はまだ 「ゆとり教育」 などというものはなくて、文部省も国語、

    算数をきちんと教えるという方針で、指導要綱にも 「基礎・基本を

    きめ細かく指導する」 と書いてありました。

 

 

    私が 「それはいいことだが、それだけでは足りない。

    『きめ細かく、かつ指導する』 とすべきだ」 と提案すると、

    教育学の御大といわれる人物が立ち上がって、

    「厳しく指導したら、子供が傷つくおそれがある」 と反論するんで

    す。

 

 

    これには驚きましたね。別の委員会では小学一年生に 「学校」 と

    いう漢字を教えたら、難しいから傷つくという議論まであった(笑)。

 

 

曽野 人間が傷つかずに生きていけると思っているんですね。

 

 

藤原 傷ついて、それに耐えることを通じて、子供は 「我慢力」 という

    ものを養っていくのです。

 

              初出 『諸君!』 2006年5月号 (文藝春秋)

 

 

                                      

 

 

或る審議会に出席して政府の悪口を言ったら 「叙勲対象者のリストから外すが」 と言われたそうです 2016年3月19日に 「私が勲章を貰えない理由」 と題して鈴木孝夫の文章を紹介しました。コチラです。↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12138004802.html

 

 

 

 

10月13日 奈良公園にある奈良春日野国際フォーラムの中庭にて撮影