ピアノが買えなかった世界的作曲家 | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

「 あなたが子どもだったころ 河合隼雄対談集 

河合隼雄 (かわい はやお 1928~2007)

株式会社 楡出版 1991年8月発行・より

 

「ほとんど不可能」 に挑戦する人 武満徹 (たけみつ とおる 1930~1996)

 

 

 

 

河合 そのころの交友関係というのは、すごく意味がありますね。

 

 

武満 ええ。    とっても刺激を受けました。

 

 

    谷川俊太郎なんか、その当時は、音楽的知識っていうか教養は

    ぼくよりもずっと深かったですね。

 

 

    何しろ子どものときからピアノを習ったりしてたから、全然違うわけで

    す。

    羨ましくてね。

 

 

河合 そらそうですね(笑)。  でも、ピアノなんか どうされたんですか。

 

 

武満 これが問題でね。

 

 

河合 そうでしょう。

 

 

武満 ピアノなんて なかったから、 欲しくて 欲しくてね。

 

 

    ま、ないからしょうがない。 そこで、外を歩いていて、ピアノの音が

    聴こえれば、必ず 「ごめんください」 って行きましてね。

 

 

河合 は・・・・・?

 

 

武満 「申し訳ないんですけれど、五分でいいですからピアノを触らせて

    いただけないでしょうか」 って頼んだんです。

 

 

    それは十軒や二十軒てもんじゃなかった。

 

 

河合 そら そうでしょう。

 

 

武満 場所のかなり広範囲にわたって、でも、オーバーにいってるんじゃな

    くて、一度も断られたことがないんです。

 

 

河合 ほう・・・・・。

 

 

武満 ときには お茶まで出してくれました (笑)。

 

 

河合 そら お茶出しますよ。

 

 

武満 中には二,三日ぐらい使っていいですよっていってくださったりした。

 

 

河合 そういう意味では ものすごく恩人が多いですね。

 

 

武満 本当に (笑)。  そういうふうに触ったのと、後はボール紙でピアノ

    を作って やったりしました。  (紙に鍵盤を描いていたらしい)

 

 

    でも、今そういうふうにだれかが ぼくに、「すみませんが五分だけ

    触らせてください」っていったら、「はい、どうぞ」 っていえるかどうか

    (笑)、  考えると何か忸怩(じくじ)たる思いがします。

 

 

河合 しかし、それは素晴らしい話ですな。

 

 

武満 ときどき音楽会で、「あなたでしたね」 って見えられる方があるんで

    す。

 

    すると、何ていっていいのかね。

 

 

    汚い格好をしてたのに どうして断られなかったのか・・・・ずいぶん

    お世話になった人がいて、ね。

 

 

河合 相手の胸を打つものが あったんですね。

 

 

武満 自分のことばっかりに夢中になって・・・・。

 

 

河合 いやあ。 またそうではなかったら できませんよ。

 

 

    ピアノが実際に手に入れるのは・・・・?

 

 

武満 だいぶ後になってから、團伊玖磨とか、芥川也寸志とか、黛敏郎

    とかが、スターのようにワーッと出たころ、よくその人たちの音楽会

    に聴きにいって、素晴らしいとは思ってたけれど、ああいうものを

    打倒しなきゃだめだといってたある日、突然ピアノがぼくの下宿に

    運ばれてきた。

 

 

    黛敏郎からぼくに、ピアノが二台あるから一台使うようにって送られ

    てきたんです。

 

 

河合 黛さんとの面識は?

 

 

武満 ありませんでした。  常にぼくは批判してましたからね。

 

    それでも黛さんは ぼくのことを聞いてたのでしょうね。

 

 

    それで、ぼくはすぐに 黛さんのところへ行った。

    会うと、ま、使ってくださいってことで、ね。

 

 

    どうしていいかわからなかったけれど、結局貸してもらうことにした。

 

 

    お礼に、天台の声明の楽譜と、当時ぼくがいちばん大事にしていた

    インド音楽のレコードを差し上げた。

 

 

    それが黛さんが だんだん仏教などに興味を持った原因になったん

    じゃないかと思ったり するんですけど (笑)。

 

 

河合 ちょっと悪いことをしたと・・・・(笑)。

 

 

武満 だんだんナショナリスティックに なってきたりしたから (笑)。

 

 

    でも、そのピアノは、ずいぶんたってから安い値段で譲っていただい

    たんです。

 

 

    黛さんは大変な恩人なんですよ。

 

 

    ぼくは、自分ではあまり苦労らしいことをしないできてると思ってるん

    ですけど、確かにラッキーというか、ついてるっていうか、友達には

    恵まれました。

 

 

    みんな本当によくしてくれました。

 

 

 

                                                     

 

 

 

2017年1月17日に 『 ウィーンフィルの 「旅の恥は・・・」 』 と題して

石堂淑郎の文章を紹介しました。 コチラです。 ↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12237000934.html

 

 

 

2016年10月21日に 「楽団員がヤル気をなくす時」 と題して

川口マーン惠美の文章を紹介しました。コチラです。↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12209490767.html

 

 

 

2017年1月11日に 『 音楽会の 「ブラボー」 がひどい 』 と題して

石堂淑郎の文章を紹介しました。コチラです。↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12236783482.html?frm=theme

 

 

 

 

                8月13日夜 奈良・東大寺大仏殿にて撮影