「 はじめての八十歳 」
山藤章二(やまふじ・しょうじ 1937~)
株式会社 岩波書店 2018年2月発行・より
戦争中 『冒険ダン吉』 という漫画が子供たちに人気があった。
日本が狂っていた時代で、行く先々の島国を占領して神国日本の属国にする、というトンデモナイ漫画だったけど、子供たちに批判する能力はないから、その国策漫画に興奮したわけです。
このダン吉なる若者が乱暴者で、少数の仲間を引きつれて南進をする。
いま思うと当時の日本軍と同じで、南進をくり返しては土着の人たちをコキ使ったり日本語を教えたりしていた、という深い意味と符合するんです。
南方の島々と言えば、そろって 「肌の色が黒くて教育程度が低い」 という露骨な差別漫画です。
時の軍人政権では”とても良い漫画”とされていた。
戦争に負けて、GHQ が全ての出版物を検閲して、好戦的なもの、報復的なものは禁止された。
忠臣蔵も冒険ダン吉も。
ここで本題に入ります。
『冒険ダン吉』 では、土着の人たちはみんな肌が黒い。
学校がなく、みんな原始的な暮らしぶり。
ダン吉たちがジャングルの隙間から眺めると、みんな太鼓を叩いて踊ってる。
私らウブな子供たちは、「原始的で、言葉を持たない人たちは踊る」 というイメージを植えつけられたのです。
そう、やたら踊るのは 「教育のない人」 だと。
明らかに意図的なミス・リードです。
黒人 = 無教育 = 言語文化を持たないから、踊りを踊り叫び声を上げて会話とする = 踊りは無知なる人類のコミュニケーション。
こうして情報を漫画によって刷り込まれたものだから、われわれ世代では馬鹿に出来ない幼児体験となった。
おそろしいもので、こうした幼児での体験がいまだに賞味期限を失っていない。
「三つ子のたましい百までも」 というわけ(悪い例としてだが)です。
そんなこともあって、いまだに街頭で、テレビスタジオで踊りまくってる連中が”バカ”に見えるのです。
でも、1パーセントほどの理屈が、この偏見にもあるのです。
踊りまくっている連中は確かに言語文化は乏しい。
自分の気持ちを言葉によって伝えるのはかなり知的な作業で、この作業が若者にはカッタルイ、それより踊っちゃった方がわかり合える。
これから先、ダンスより言語文化が繁栄することはないと思う。
「踊る阿呆に憧れる阿呆」 少なくも踊ってるあいだは人間、阿呆になる。
ま、百歩譲って、阿呆になることも大事ですけどね。
戦争する気にならないだけでも阿呆の効用はある。
戦前の日本による南方の島々の植民地支配には民俗学者の柳田國男が関わっていたそうです 「日本の植民地支配と柳田國男」 という題で
日下公人の文章を2015年11月27日に紹介しました。コチラです。↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12097294126.html
鹿が桜の花びらを食べてました。 奈良公園にて4月8日撮影