日本の植民地支配と柳田國男 | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

ー「新しい日本人」が創る2015年以後ー
日下公人(くさか きみんど1930~)
祥伝社・平成26年11月発行・より

昭和40年頃だったと思うが 独立をはたしてミクロネシア連邦
チューク州となった旧トラック諸島の老人が東京にきたことがある

このとき新聞記者は「日本統治でさぞやひどい目にあっただしょう
日本の軍人にぶん殴られたでしょう」

としつこく聞いたが 「そんなことはまったくありません
それはドイツ人がしたことです」と老人は困惑していた

さらに「日本が来てくれたおかげで われわれは本当に楽しかった
今でも”運動会”をしています」と言った

大小の島々の住民に集合をかけて 運動会を開催したのだという
当日は丸太の舟に帆をかけて 大勢の住民が島に集まり

かけっこや綱引きなどの競技をした もちろん強制ではないから
それが長くのこっていたのである


こうした統治の仕組み作りに関わったのが
後に民俗学者として名を残す柳田國男(やなぎた くにお)
だった

一高 東大からの友人である新渡戸稲造が国際連盟の委任統治に
就けたのである

農商務省の高級官僚だった柳田は「日本人の真実は農村にこそある
遅れていると決めつけてはいけない 開発するにもまず研究が大事だ」

という考えの持ち主で40代で貴族院書記官長を辞したあとは 
民話など民俗学の資料収集をして全国を回っていた

「欧米流の植民地支配はしない」というのが
柳田國男の考えであり 日本の方針だった

そのため南洋諸島では それぞれの島の生活文化を調べる
ところから始めて地域の特徴に合った統治がおこなわれたのである



日曜日に光が丘公園(東京・練馬)に行ったら農業祭が行われていました、地元の名産 練馬大根が沢山売られてましたが、それは絵にならないので・・・11月22日撮影

農業祭ー光が丘公園