勝海舟が手をつけた女たち | 人差し指のブログ

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「 徳川夢声の問答有用 3 」

徳川夢声 (とくがわ むせい 1894~1971)

朝日新聞社 昭和59年11月発行・より

 

 

 ~ 子母沢文学のエスプリ   子母沢寛 (1892~1968) ~

 

 

 

夢声   勝海舟といえば、あなたは 「勝安房守」 という大長編をお書き

             になったわけですから、勝海舟に関する逸話というようなもの

             は、もれなく収録されてしまったでしょう。

 

 

子母沢  さあ、それはどうですかな。だいたい、みなさんの知ってることだ

              けは、残らず書いたつもりですけどもね。

 

 

      いま読売で、勝海舟のおやじのほうを書いています。

 

 

      勝さんで たいへんかせいで、面目ないんですが・・・。(笑)

 

 

 

      勝先生の家庭の内部は、いろいろ複雑怪奇でしてね。

 

 

      あの時分の風習で、お手つきのお女中が六人も七人もおる。

 

 

      第一号は台所専門、第二号が玄関の出迎え専門てなわけあい

             なんです。

 

 

      旗本、御家人の玄関の出迎えは、女はいかんということになって

             いて、男が出たもんだそうですね。

 

 

      だれも男がいなければ、主人が出たんだそうです。

      ところが、勝さんのとこは女なんですな。

 

 

       勝先生は 「おれのとこの細君おたみは、非常にえらい女であ

              る。この小さなうちのなかに、これほどの女がいて、こういう複雑

              な関係になってるのに、波風ひとつ立てない。一国の政治でも、

              じゅうぶんにまかせられる女だ」 

      というような、ムシのいいことを いってるんですよ。

 

 

      しかし、奥さんが死ぬときに、「わたしの遺骸は、勝の墓のそば

             へは埋めてくれるな」 と遺言してるんです。(笑)

 

 

      それで、お寺のほうへ埋まってるんですがね、勝先生が奥さんを

             信用しておったほど、奥さんのほうは勝先生を信用していなかっ

             たのかもしれません。

 

 

夢声   けがらわしいと いうような気がしたんですかな。

 

 

子母沢  あの当時のことですから、けがらわしいとは感じなかったろうけ

              れども。

 

 

夢声   もっとも、ずいぶんながいあいだ、しょうことなしにいっしょにいた

             んだから、せめてあの世では、はなれていたいという気もちも、

             よくわかりますね。

 

 

子母沢  むかしのああいうひとたちの家庭生活は、おもしろいもんです

              ね。

 

 

      お手つきの女中はあくまで女中で、なんら特殊な地位も階級もえ

              られない。

 

 

      朝、おつきの女中がおきると、奥さんの部屋のまえへきた、廊下

             に手をついて、「おはようございます」 とあいさつをするんだそう

             です。

 

 

夢声   お手がついたら、それをありがたいことだと思って、それ以上の

             要求をしないんですね。

 

 

      だから、奥さんに対してはちゃんと敬意を払ってる。

 

 

子母沢  清元かなんかの師匠で、勝さんのお手がついたのがあるんで

              すね。

 

 

      勝さんが 「いつまでもおれとくっついていてもしかたがないか

             ら、しかるべき男をめっけて、そっちへいったらどうだ」 

             といった。

 

      「とんでもない。わたしはあくまでも御前のそばにいます」

 

      「そんならおまえ、坊主になったほうがいいじゃないか」

 

      といったら、「ああそうですか」 といって、その場で髪の毛をスパ

             ッと切ったそうです。(笑)

 

 

夢声   心意気をみせたんですな。

 

 

子母沢  そのひとのお孫さんがわたしにたよりをくだすったんですが、

               勝さんが死ねば、よほどもらいものがあるだろうと思ったらしい

               というんです、そのおばあさんが、ところが、なんにももらえなか

               ったので、非常に こまっておったようだという話でした。

 

 

      そのお師匠さんのとこへ勝海舟がかようのに、近所の八百屋で

             大根などを買って、それをぶらさげていったそうですよ、いまな

             ら、かげへまわったりするんですが、そういうことは平気だったん

             です。

 

      洒脱なとこがあったんですね。

                                                      (昭30・11・15日 対談)

 

                                         

 

 

2018年12月28日に 「勝海舟に会ってきた・その2」 と題して森銑三の文章を紹介しました。コチラです。

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12421226503.html

 

 

 

2018年7月12日に 「勝海舟に会ってきた」 と題して薄田泣菫の随筆を紹介しました。コチラです。

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12382894295.html

 

 

 

 

                          5月18日 奈良市内にて撮影