小林一三が阪急電鉄をつくる時に・・・  | 人差し指のブログ

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「 面白きかな、人の世は 」

谷沢永一 (たにざわ えいいち 1929~2011)

株式会社潮出版社 1994年12月発行・より

 

        ~ モノを創る人間の心得   渡部昇一 ~

 

 

 

小林 一三(こばやし いちぞう、1873年 - 1957年)は、日本実業家

 阪急電鉄をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者                    ~wikipedia

 

 

 

谷沢   小林一三は、電鉄会社をつくるときに、部下をアメリカに派遣し

      た。

      その報告は正確だった。

 

      アメリカの鉄道会社はほとんど潰れかけている。

 

      鉄道を敷いて物や人を運ぶというのは、はやらない。

 

      有能な株屋は鉄道株を買わない。

      だから電鉄会社は駄目です、という結論になる。

 

 

 

      だが、小林一三は、人間や物を運ぶのは車夫馬丁のやること

      だ、利益を生むわけがない、というんですね (笑)。

 

 

      自分が考えている電鉄会社はそれとは違うことをやるんだ、と。

 

 

      そして安い土地を買って住宅地を開発し、終点には歌劇場など

      の遊ぶところをつくる。

      鉄道はその上を人間が行ったり来たりする仕掛けにすぎない。

 

 

      こうして、需要を作り出すことによって、阪急電鉄は軌道に乗っ

      た。

 

 

      ターミナル百貨店の作り方がまた堅実なんです。

 

      最初は五階建てぐらいのビルを造って、三階から上はオフィスに

      使う。

 

      二階は食堂。一階はデパートのメインである商品販売なんだが、

      これを自分ではやらない。

      専門の白木屋に出店してもらう。

 

 

      それで商品販売もいけるとみると、白木屋との契約を解除して、

      三階まで自分のところでデパートをやるようにする。

 

 

      需要を見越しても先走りしない。二番手でいく。

      こういう堅実さが、ものを創る人間には大切です。

 

 

      理念で時代を牽引する人は逆に先が見えすぎて、ものを創るの

      には向かない。

 

 

      理念的な知性が勝った人のコンセプトをいただいて、生かしてい

      くのが、ものを創る人間の心得でしょう。

 

 

                                                      

 

 

 

「 見わたせば柳さくら 」

丸谷才一 (まるや さいいち 1925~2012)

山崎正和 (やまざき まさかず 1934~2020)

中央公論社 昭和63年6月発行・より

 

 

~  企業がつくる町 『中央公論文芸特集』 ’87年夏季号 ~

 

 

 

 

[ 丸谷 ]   阪田寛夫さんはその 『わが小林一三』 という本のなかで、

       「小林一三は宝塚という町をつくったときに地霊とか民族伝承と

       かいった有機的要素を洗い去った」 といっていますね。

 

 

土俗的なものがいっさいない土地柄をつくった。

 

 

つまり八百万(やおよろず)の神々と縁がない。

できあがったあの一帯の住宅地は、一種の西洋化のわけですね。

 

 

ただし、西洋からキリスト教は除いているわけです(笑)。

 

 

昭和期の日本人を洞察した土地柄の選び方をした。

そこが、すごいところだといえるわけですね。

 

 

                                                     

 

 

 

鳥居民の 『昭和二十年史』 にはこのような事が書かれているそうです。

 

    「阪急電鉄の小林一三は近衛文麿に近づきたいために、(東京)永田町

   に新築した近衛の家の隣に小さな家を建て、裏木戸から近衛家に出入

   りするようになった、という噂があった」

 

 

2016年1月13日に紹介しました。コチラです。↓

 

 

 

 

 

 

                          2月25日の奈良・興福寺