「 学校では教えてくれない日本史の授業 」
井沢元彦 (いざわ・もとひこ 1954~)
株式会社PHP研究所 2013年3月発行・より
桓武天皇は平安京に移転した際に、当時、もっとも優秀な若き僧・最澄(さいちょう)を唐に留学させ、新しい仏教を持ち帰るように命じています。
この最澄と一緒に唐へ渡ったのが平安仏教のもう一人の雄・空海(くうかい)です。
最澄は帰国後、比叡山に延暦寺(えんりゃくじ)を開き、後に皇室から 「伝教大師(でんぎょうだいし)」 という大師号を賜(たまわ)っています。
大師号とは、皇室が高徳な僧侶に授ける尊称のことです。
一方、空海は、高野山に金剛峯寺(こんごうぶじ)を開き、やはり後に 「弘法大師(こうぼうだいし)」 という大師号を賜っています。
問題は、桓武天皇は、なぜ新しい仏教を持ち帰るように命じたのか、ということです。
いつの世も人が宗教に求めるのは、いわゆる普通の努力では得られないもの、たとえば長寿や幸運、国家の安寧(あんねい)などです。
そして、宗教の力とは、そうしたものを与えてくれる人知を超えた力のことです。
教科書の記述通り、奈良仏教の勢力が強かったというのであれば、それは奈良仏教が宗教としての強い力を持っていたということに他なりません。
なぜなら、力のない宗教を人は支持しないからです。
もちろん、本当の宗教というのはもっと高級なものですが、基本的にはそういうものがないと宗教というのは成立しないわけです。
このように考えると、教科書に書かれているのとは異なる理由で、桓武天皇は大仏と奈良仏教を見捨てたことがわかります。
なぜ、奈良仏教ではダメなのか、なぜ新しい仏教を必要としたのか。
私は、大仏に象徴される奈良仏教が 「役に立たなかったから」
だと思っています。
少々不謹慎なたとえですが、大仏を 「幸福を授ける壺」 だと思ってい
ます。
ここに幸福を授けてくれるというふれこみの壺があったとしましょう。
壺の値段は1000万円。
値段は高いけれど、この壺を買えば家は栄え。子宝に恵まれ、宝くじも
当たり、みんな健康でいられると言います。
何十億も持っているお金持ちなら、きっとこの壺をポンと買うでしょう。
問題はその後です。
もしそれが全然役に立たなかったならどうするか。
貧乏人なら、1000万円もしたのだからなんとかして使おうと思うかも知れません。
でも、お金持ちはそんなことは考えません。役に立たないなら捨ててしまえ、と思うでしょう。
桓武天皇が大仏を見捨てたのもこの心理と同じです。
大仏は役に立たなかった。
だってそうでしょう、もともと聖武天皇が大金を費やして大仏を建立したのは、男の子が生まれることを願ってのことでした。
しかし、大仏にひれ伏してまで祈ったのに、その願いは叶いませんでした。
それどころか、娘の称徳天皇で天武系の皇統は絶えてしまったのですから、大仏は役に立たなかったのです。
役に立たないものなどいらない。
しかも、役に立たないどころか、血統が絶えるなんて縁起が悪い。
そんな縁起の悪いものは、天武系の都とともに捨ててしまって、自分はもっと力のある新しい仏教を輸入しよう。
少々不穏当な表現かも知れませんが、恐らく桓武天皇の思いはそうしたものだったのだと思います。
奈良・春日大社の藤の花 4月27日撮影