「 日本人だけが知らない 世界から絶賛される日本人 」
黄文雄 (こう・ぶんゆう 1938~)
株式会社 徳間書店 2014年7月発行・より
第二次世界大戦中、ドイツによる迫害から多くのユダヤ人を救った日本人として、リトアニア駐在の外交官、杉原千畝(ちうね)が有名である。
(略)
だが、ユダヤ人を救ったのは、杉原だけではない。
樋口季一郎(ひぐちきいちろう)もその一人である。
しかも樋口は、数千人のユダヤ人を救っただけではなく、戦後、イスラエル建国功労者として、「黄金の碑(ゴールデンブック)」 にその名を記され、永く顕彰(けんしょう)されているのである。
1938年、満州国との国境沿いにあるシベリア鉄道のソ連領オトポール駅に、ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人が押し寄せていた。
彼らは当初、ドイツからポーランドを目指したものの、ナチス・ドイツに配慮したポーランド政府はこれを拒否した。 そこでソ連へと向った。
だが、はじめは農業やシベリア開拓の労働力としてユダヤ人の入植を許可していたソ連も、ユダヤ人には農業経験が乏しく、労働力として期待できないことを知ると、その後は入植を拒否するようになった。
また満州国も、当時、日本とドイツが防共協定を結んでいたため、満州国の承認国であるドイツとの関係上好ましくないとして、満州国外交部はユダヤ人の入国を拒否したため、彼らはオトポールで足止めをくらって難民化していたのである。
こうした惨状を見かねたハルビン特務機関長である樋口季一郎は、満州国外交部にかけあい、ビザの発給を強力に働きかけた。
さらには満鉄総裁の松岡洋右(ようすけ)を説得し、ハルビンまでユダヤ人を特別列車で、無料で輸送することを認めさせた。
この出来事は、「オトポール事件」 と呼ばれている。
これは杉原千畝が有名である。にビザを発給した2年前のことである。
この樋口の働きによって発給されたビザ、そして開かれた 「ヒグチ・ルート」 により、数千人(一説には2万人とも)ものユダヤ人が救出されたとされている。
この数字には諸説があるものの、いずれにしても樋口の働きが多くのユダヤ人の命を救ったことは間違いない。
この樋口のユダヤ人救出については、早坂隆の 『指揮官の決断 満州とアッツの将軍樋口季一郎』 (文藝」新書)に詳しい。
(略)
樋口のこの功績は、イスラエルにおいてもユダヤ人の恩人として伝わっている。
この時に 「ユダヤ人救済の許可」 を出したのが東条英機なんですね、
その事を 西尾幹二が話していたので「ユダヤ人を救った東条英機」 と題して 2017年3月11日 に紹介しました。コチラです。 ↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12254371840.html
11月3日 朝霞(埼玉)の文化会館みたいな所で撮影しました。