「膨張するドイツの衝撃」
西尾幹二(にしお かんじ)・川口マーン惠美(かわぐち まーん えみ)
株式会社ビジネス社 2015年8月発行・より
<西尾> たとえば、ユダヤ人を虐殺から救ったリトアニア領事官の領事代理・杉原千畝(すぎはら ちうね)の話はよく出てくるのに、ユダヤ人を救済した日本人最大の功労者というべき東条英機の名はほとんど語られません。
東条には次のようなエピソードが残っています。
昭和十三年三月、ソ満国境のオトポールという駅に数万人のユダヤ人難民が殺到したときのことです。
当時、関東軍の傘下にあったハルピンの特務機関長・樋口李一郎少将と安江仙弘(やすえ のりひろ)大佐は関東軍参謀長の東条英機に相談しました。
すると東条が 「ユダヤ人救済」 の許可を出してくれた。
そこで樋口少将らはオトポール駅に緊急に救援列車を何本も送ることができたというのです。
そうしてユダヤ人たちを安全圏に逃がしてやった、と。
人種差別政策はとらない、は当時の日本の国策でした。
こういう事実をなぜ日本の外務省は諸外国に向かって強く訴えないのでしょう?
戦後も早い時期にこうした史実を明らかにしていたら、「日本軍国主義」 とか 「日本の侵略」 といった諸外国の観念を打ち壊すことができたはずです。
ところが、日本の外務省はそうした事実を公表してこなかった。これは大いなる怠慢でした。
以上のような史実をまず日本人が知ること。そのうえで世界に広報すること。そうなって初めて、日本の戦争も見直されることになります。
昨年12月2日 中央公園(埼玉・朝霞)にて撮影