「日本の生きる道 米中日の歴史を三点測量で考える」
平川祐弘(ひらかわ すけひろ1931~)
株式会社 飛鳥新社 2016年8月発行・より
私が朝日・岩波系の知識人の世界認識からはっきりと離れたのは、
一九五六年ハンガリアでソ連支配に対する暴動が起きても、
彼らが社会主義賛美を止めなかったからである。
当時の森恭三ヨーロッパ総支局長に象徴される 『朝日』 は共産圏を賛美し、
ニューヨークの最高級住宅でも裏側はレンガがむき出しだが、
東ベルリンのスターリン大道りでは裏側まで化粧レンガが張ってあり、
これは 「ここで遊ぶ子供たちが、うわべだけを飾る人間にならないように、という心遣い」 からだと書いた。
いやはやと思ったが、当時は外貨制限で日本人は外国へ出掛けることができない。
するとそうした報道が信じられるようになる。
親ソ派の大内兵衛は 「ハンガリアはあまり着実に進歩している国ではない。あるいはデモクラシーが発達している国ではない。元来は百姓国ですからね。ハンガリアの民衆の判断自体は自分の小さい立場というものにとらわれて、ハンガリアの政治的地位を理解していなかったと考えていい」(『世界』一九五七年四月号)と、ソ連軍の介入弾圧を公然と正当化した。
しかしパリの学生寮でハンガリアから脱出してきた学生と顔を合わせてしまった私にはそんな考え方はできない。
ずっと後のこと 「あんなソ連擁護をした大内名誉教授は 『東大不名誉教授』 と呼ぶべきですね」 と笑いながら口を滑らせたら、その場になんと息子の大内力(つとむ)学士院会員が居合わせており、私はじろりと睨まれた。
昨年12月3日 新座緑道(埼玉・新座)にて撮影