「 アメリカの正義病・イスラムの原理病 一神教の病理を読み解く」
岸田秀(きしだ・しゅう) / 小滝透(こたき・とおる)
株式会社春秋社 2002年3月発行・より
岸田 ▶ 小滝さんはイスラムの中に一時身を置いていたわけですよね。
小滝 ▶ サウジアラビアの留学生で、イスラムとアラビア語を勉強したん
です。
岸田 ▶ 一応、ムスリムになったわけですか。
小滝 ▶ なりました。メッカの巡礼も行きました。
岸田 ▶ ムスリムにならないと留学生にもなれないわけですか。
小滝 ▶ サウジアラビアの場合はそうだったんです。
しかし実存的には、さっき言った神さまが怖いという感覚はよく
わからないですね。
律法は窮屈だし、ただいろいろ教えてもらったから恩義はある
のですが、かといって同化できない。
もともと、私の場合には、砂漠に強烈に惹かれる心情があり、そ
の砂漠とイスラム世界が重なっていたことでアラブに行ったよう
なものです。
(略)
岸田 ▶ 棄教していいんですか。
小滝 ▶ 普通、近代社会では 「思想信条の自由」 というのはあるので
すが、イスラム法ではありません。
それが証明されると、イスラム法では背教規定が適用されて死
刑になります。
岸田 ▶ 棄教すると、死刑?それは大変ですね。
小滝 ▶ 脅迫が来ますよ。
岸田 ▶ どういうことを言われるんですか。
小滝 ▶ 以前、『悪魔の詩』 を訳した筑波大学の五十嵐さんという方
が、大学で殺されましたね。
『悪魔の詩』 というのは、イギリスに帰化したインド人のサルマ
ン・ラシュディーという作家が書いたもので、ホメイニがそれに
激怒してファトワという宗教布告を出して、「これは反イスラムで
死刑だ」 と一方的に布告したんです。
ラシュディー本人はスコットランドヤードに厳重に隔離されてい
ますから、手が出せなかったんですが、その翻訳者がまずスェ
ーデンとイタリアでやられて、その一週間後に日本でも彼が殺
された。
その時に何者かがぼくのところにも電話をかけてきて、
「ユー・ウィル・ビー・ネクスト」 と・・・・・・(笑い)。
岸田 ▶ 怖いですね。
小滝 ▶ かなわんですよ。
それと重大なことは、イスラム法自身が内面の自由を認めてい
ないということです。
西欧はいろいろあったけれども、辛うじて、内面には踏み込ま
ないという約束ができました。
これを西欧では 「悪魔の自由」 といいますが、基本的には悪
魔、つまり思想的対者でも、違法行為をなさなければ処罰する
ことはできないというテーゼに達したわけです。
この 「思想信条の自由」 は人権の根本的なところとして認め
られている。
どこに入信しようが撤退しようがかまわないということが基本で
すが、それがまだ確立されていないんです。
12月3日 青葉台公園(埼玉・朝霞)にて撮影