『 中国人韓国人にはなぜ 「心」 がないのか 』
加瀬英明 (かせひであき 1936~)
KKベストセラーズ 2014年5月発行・より
太平天国を指導した洪秀全(こうしゅうぜん)は、一八一四年に広東の近くの広東省花県(かんとんしょうかけん)の農家で、生まれた。
幼少から、ものすごく頭がよかったが、科挙の試験に、四回、挑戦したが四回とも、落第した。
理由は、被差別民だった客家(はっか)だったのと、貧しかったために、清朝の役人に賄賂(わいろ)を贈ることが、できなかったからだ。
そのあとで、霊夢を見るが。キリストの上帝(じょうてい)(中国に古くからあった最高神を意味する)が、夢のなかにでてきて、「中国を救え」 というお告げをうけて、受命した。
お告げは、「おまえは、イエス・キリストの弟だ」 ということだった。
三十歳の時に、キリスト教の新しい一派である、「拝上帝会(はいじょうていかい)」 をつくった。
そして三十七歳の時に、貧農や、失業者や、インテリなどを集めて、武装蜂起した。
その三年後の一八五三年に、南京を占領して、「天京」 と名前を変えた。
天国が大天堂であって、この地上は小天堂 地上天国であるべきだと説いて、万民が平等であって、地上から貧富の格差もなくすという教義で、どんどん広がった。
私有財産は許されない。纏足(てんそく)も、禁じた。
纏足は、女性の両足を、無理矢理(むりやり)に小さくする、中国特有の残虐な風習である。
幼い女児の足の指を、裏側に曲げて、布できつく縛って、発育を抑えた。
もっとも、女性は農村の貴重な労働力であるのに、纏足をすると、田畑で働けない。
そうこうするうちに、太平天国の勢力が、短期間のうちに、驚異的に拡大していった。
清朝は討伐することを、決定した。
太平天国の勢力は、中国の本部の十八省のうち、十四省にまでおよんだ。
清朝の土台が、大きく揺さぶられた。
洪秀全のもとに、キリスト教の西洋人も心酔して、宣教師も含めて、何百人と加わった。
ところが、イエスに弟なんて、いるはずがない。
(注・人差し指)これは間違い。『ユダヤ古代史』 には「キリストの弟ヤコブ」とあります。2017年12月24日に「キリストは架空の人物か?でも弟が・・・」と題して山本七平の文章を紹介しました。コチラです。 ↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12328286595.html
湖南省の曽国藩(そうこくはん)の湘軍と、安徽省(あんきしょう)の李鴻章(りこうしょう)の淮軍(わいぐん)が、討伐した。
ゴードンというイギリスの将軍が、白人、中国人混成の常勝軍を率いて、協力した。
太平天国が、アヘンの吸引を禁じたので、イギリス、フランスが、湘軍と、淮軍に、近代兵器を供給した。
イギリス、フランス、アメリカなどの諸国は、中国にアヘンを売って、大儲けしていた。
洪秀全は、一八六四年に追いつめられて、天京というと、南京で自殺して、それで終わってしまった。
王宮をつくって、そのなかに入り、十四年後に自殺するまで、一歩も外には出なかった。
なかで、何をやっていたかというと、何百人という、選びぬいた美女を集めて、自分の性欲の対象としていた。
南京を占領してから、幹部たちも贅沢に溺れて、仲間争いをして、力を失った。
私は毛沢東の中国が、太平天国の国だと、思った。
洪秀全が命を断った、一八六四年というと、明治元年の四年前のことである。
洪秀全は、第二次太平天国の毛沢東主席に、まったく、よく似ている。
落ちこぼれの知識人が、イエスを悪用して、天下を取ろうとした。
毛沢東たちも、マルクスを利用して、国家を興したから、同じ手口だった。
毛沢東主席は、人民には、麻雀、ジャズを禁じて、禁欲的な生活を強いながら、よく徹夜で、麻雀の卓を囲んだ。
また、毎夜、中南海に若い娘を集めさせて、人民解放軍の軍楽隊を呼んで、ジャズを演奏させて、ダンスに興じ、疲れると、気に入った娘を選んで、寝室に連れ込んだ。
もちろん、一夜を過ごした後に、娘に報酬を支払った。
中南海は、天安門広場に面しているが、いまでも、習近平主席以下、最高幹部が住んで、執務している。
毛主席の死後、侍医や、側近の証言によると、毛主席は大躍進運動の失敗によって、数千万が餓死していた最中(さなか)に、側近たちと連夜、山海の珍味を楽しんでいた。
一九七六(昭和五一)年九月に、毛沢東主席が死んだ時の朝日新聞の一面を、読もう。
一面のトップで、毛主席が 「四十余年にわたり中国の最高指導者として、新しい社会主義の建設に全力を傾けてきた」 「八億中華人民の指針であり、心の支えだった」 と、報じている。
読み進むと、「毛主席の名は、二十世紀後半を生きた数々の世界の指導者の中でも、恐らく最大のものとして後世に記憶されることになろう」、「世界の人々にとって主席という巨大な存在を離れて考えられない、励ましに富んだ現実でもある」(一九七六年九月十日朝刊) と、手離しで称賛している。
毛沢東も若いころには、志(こころざし)があったろう。
しかし、いったん権力を手に入れると、中国の権力者の伝統的な意識が蘇(よみがえ)ってしまう。
中国では、いったん、英雄が権力を握ったら、庶民はどうでもよくなる。
自分たちの一党の贅沢と、肉体的なて享楽しか、求めなくなる。
洪秀全は、キリスト教に基づいていたはずだが、やったことをみれば、やはり儒教そのものだった。
10月10日 朝霞市内(埼玉)にて撮影