「 福田恆存対談・座談集 第四巻 」
福田恆存 （ふくだ つねあり １９１２～１９９４）
玉川大学出版部 ２０１２年１月発行・より
世界戦争のシナリオ 倉前盛通 （昭和五十三年六月二十五日放送）
倉前 家を滅ぼすのも会社をつぶすのも国を滅ぼすのもおおむね善人
ですね。他人に迷惑をかけるのも善人です。
いつでしたか、亡くなった徳川夢声さんが、自分に迷惑をかけたや
つはたいてい善人だった、悪人は迷惑をかけないということを何か
に書いておられて、なるほどと思ったことがありますけどね。
世の中というものは厳しいものだということを認識している人を悪
人とすれば、世の中を甘く甘く考えて非常に甘い考えで世渡りをし
ている人が善人ですね。
善人ほど他人に迷惑をかける。
福田 私は前にもどこかで言ったことがあるんですけれど、手を汚さない
と大きな仕事はできないでしょう。
みずから手を汚すか、そこまで自分が手を汚すのはまずいという
ときには誰かに手を汚させるか、そういうことをやれる人間が悪人
でしょう。
だから家庭でいえば男のほうが悪人でなきゃならない。
給料とってくるというのは、別に泥棒してくるわけではないけれ
ど、そのために手を汚さなきゃならない場合が出てくる。
ところが女子供というのはそれがないでしょう、手を汚す機会が。
倉前 まあヌカミソ漬けたりその他、家庭的な仕事で手を汚すことはたく
さん・・・。
福田 そんな汚れなら、手を洗えば、すぐ足を洗える程度のもので・・・。
（笑）
倉前 ええ、生きていく、あるいは家庭を支えていうという大きな意味で
はないですね。
男の場合は手を汚さなければ会社がつぶれる、あるいは家が破
産するということは幾らでもあるわけですから、いざというときには
思い切って自分が泥をかぶる、手を汚すという勇気を持った人が
悪人です。
手を汚す勇気のない人間、あるいは汚すべきときに汚さないで誰
かに責任を押しつける 「ええかっこしい」 という言葉があり
ますけれども、どうも善人には”ええかっこしい”が多いみたいです
ね。
福田 大体、何の自覚もなしに他人に手を汚させて自分だけは得しよう
というのは、非常に乱暴な譬えかもしれないけれど、自分で牛を殺
すのはいやだけれども、他人に殺してもらって、食うほうは自分が
引受けるというのと同じことでね。
しかし牛殺しの役割を演じている人間がどこかにいるし、これは聖
職者以上に欠くべからざるありがたい縁の下の力持ちなんです
よ。（笑）
世の中はそういうことで持ちつ持たれつしているわけですから、
それを自分だけは善人のつもりで動物愛護家だというような顔をし
ていたら、偽善もはなはだしい、バチが当たりますよ。（笑）
倉前 そうですね。お城でいえば、天守閣の上に乗っかっている鯱（しゃ
ちほこ）みたいなものですね。
あれは一番高い所でいい恰好をしているわけですが、お濠の水底
に沈んでいる石垣は、目に見えないところで泥に汚れながら城全
体を支えている。
そういう人がたくさんいて、初めて世の中は成り立っているわけで
すからね。
まあ金の鯱がなければ城は城らしくないですからこれも必要です
けれども、中には自分は水面下に潜って表面に出なくてもいいか
ら、泥にまみれて石垣を支えようという覚悟をする人がいることが
必要ですね。
ところが今の政治の仕組みというのが、選挙制度というのがあっ
て、泥にまみれていては当選できないとか、いい恰好しなければ
選挙で出てこられないという傾向が強いですね。
私は婦人参政権に賛成、反対ということは控えますけれども、
女性的発想で、あの人は恰好がいいとか清潔なイメージがあると
かだけで投票なんかされた場合には、これはほんとに手を汚して
国のため社会のために仕事をする人は出てこなくなりますね。
広沢観音（埼玉・朝霞） １０月１０日撮影
