~ クリスマスイブなのでこんな話を ~
「日本人は知らなすぎる 聖書の常識」
山本七平 (やまもと しちへい 大正10年~平成3年)
株式会社講談社 昭和55年10月発行・より
以上のような生年月日、出生地の不明は、イエスに関するさまざまな超人的記述と相まって、イエス 「架空人説」 を生み出した。
そしてその裏づけとして、イエスに関する記述は、新約聖書以外にはないとよくいわれる。
しかし、これは正しくなく、そういう人は、新訳時代の史料をよく知らないのだということにすぎない。
すでに何度も紹介したフラウィウス・ヨセフスの 『ユダヤ古代史』 には、
イエスについて次のように書かれている。
「・・・・・このとき、イエスが現れた。もし彼を人間というなら、すぐれて聡明な人間であった。彼は不思議を行い、喜んで真理を受け入れようとする者たちの師であった。彼は自分の下に、ユダヤ人ばかりか、おびただしい異教徒をも引きつけた。彼はメシアであった・・・・・」
といった内容であり、これを 「フラウィウス証言」 という。
だがこれは後からのキリスト教徒の挿入ではないかという議論があり、その議論は延々とつづいていて、いまだにはっきりした結論は出ていない。
その前後を併せ読んでみた感じでは、その個所を除いてしまっても文章はつながるから、後からキリスト教徒が書き加えたといえないこともないかもしれない。
しかし、おもしろいことに、逆にユダヤ教の学者にはそうみない人もいて、前述のヴェルメシュメなどは、このヨセフスの書き方は、明らかな挿入を除けば、当時のイエスへの見方として、ごく普通のものであるという。
だが同じ著作にあるイエスの弟ヤコブの殉教に関する記述には 「挿入」 の疑いを持つ学者はいない。
それは次のような記述である。
「・・・・・彼(大祭司アンナス二世) はサンヘドリン(最高法院) の裁判官を招集し、彼らの前にキリストと呼ばれたイエスの兄弟で、ヤコブという名の男とその他の人びとを引き出し、彼らは律法に違反していると告発し、彼らが石打ちの刑に処せられるように引き渡した。」
おもしろいことに、この記述は新約聖書にはない。
しかし、イエスの弟ヤコブはもちろん新約聖書に登場し、さらに重要なことはパウロが手紙で、彼がエルサレムに行ったとき 「主の兄弟ヤコブ以外には、ほかのどの使徒にも会わなかった」 と記していることである。
これは 「ガラテア人への手紙」 だが、この手紙がパウロのものか否かを疑う学者はまったくおらず、「真正性を疑う根拠はまったくない」 手紙なのである。
またルカは、エルサレム母協会の指導者としてのヤコブとパウロとの関係を記述している。
このように多くの記録があり、しかも同時代の手紙での言及が残っている者を架空とするのは不可能であり、その兄のイエスを架空とすることにはまったく根拠がないといわねばならない。
11月16日 国立博物館(東京・台東区)の庭園にて撮影
庭園内には、使われているのか、いないのか分からないような建物も、
幾つかありました。