孔子の家柄とは | 人差し指のブログ

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「 人間の生き方、ものの考え方        学生たちへの特別講義

福田恆存 (ふくだ つねあり 1912~1994)

株式会社文藝春秋社 2015年2月発行・より

 

 

 

 

 孔子はご承知のように賢人、哲人でありますが、同時にただ単に道徳を説いただけではなくて、国は道徳をもって治めなくてはならぬという意味で政治に近づいた人です。

 

 

だから方々の王侯、君主に近づいて人の道を説き、政治の道を説いたわけです。

 

 

その孔子はどういう家柄かというと礼の家柄です。

 

 

礼の家柄というのは、たとえば中臣鎌足が神祇伯で日本の神祇の家柄であるのと似たような役割なのです。

 

 

この礼というのは抽象的に解釈してはいけないのであって、ここに諸橋さんの 「大漢和辞典」 にそれがどのように出ているか調べてまいりましたので大体のところを申しあげます。

 

 

まず礼とは 「履(ふ)み行うべき法(のり)」 とあり、それからそれをなお細かく注釈して、「人と交わり、世と接し、鬼神につかえて、理にかない、生をとげるために守るべき儀法」 とあり、更にそれを説明して、「外形を修めて内心を正す」 のがその特色とあります。

 

 

第二の意味として、「威儀。坐作(ざさ)進退の一つ一つの定め」 というのがあります。

 

 

それから五に 「儀式。敬意を表する式」、六には 「供え物」 神への供え物というのがあります。

 

 

八に 「貴賤上下の別」、九に 「国家の法制」 というのがあります。

 

 

一体この礼(禮)という字はどうしてできているかというと、神、しめす扁ですね、神事を表す 「示す」 と 「豊」 とが合したもので、「豊」 は神前に供える器の総名です。

 

 

「豆」 も器で、豆とその上部の象形の部分との合字が 「豊」 です。

 

 

だから礼というのは人に真心を尽くすというような抽象的なことではなくてもっと具体的な姿が示されているわけで、孔子が礼の家柄であるということは、その儀式、作法など具体的なことを全部知っている、その専門家だということなのです。

 

 

 たとえば日照りが続くと、皇帝なり王様なりが、現在北京には清朝の天壇というのが残っておりますが、天壇に行って雨が降るように祈るわけです。

 

 

それは、日照りがこんなに続くのは天が何か人間に警告を発しているのではないか、あるいは人間が何か悪いことをしたのではないかと、天の心を聞こうとするわけです。

 

 

そして許しを乞うて雨を降らしてもらうようにする。

 

 

そのときにそこにお供えをしますが、その供え物を入れる器は、酒を入れるものとか、穀物を入れるものとかいろいろあって、それをどこへどういう順序に並べるかということを知っていなければいけないのです。

 

 

もう一つは、その場合に皇帝なら皇帝を中心にしてどういう順序でみんなが並ぶか、そしてその式次第、どういうふうに進めてどうやっていくかということ、そういうことの専門が孔子の家柄なのです。

 

 

 

 

朝霞(埼玉)の花火大会 8月4日 中央公園にて撮影