南蛮文化の中のイスラム    | 人差し指のブログ

人差し指のブログ

パソコンが苦手な年金生活者です
本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

 

「  織田信長  新装版  」

会田雄次 / 原田伴彦 / 杉山二郎

(株) 思索社 1991年9月発行・より

 

 

 

杉山  大航海時代の到来を歴史の流れにそって考えると、西欧の中世

     暗黒時代に文化の華を咲かせていたイスラーム世界を意識しない

     わけにゆかないと思うんです。

 

 

     1099年に第一回の十字軍が始り、地中海の東岸、シリア・レバノ

     ン・イスラエル地域での宗教的衝突から、軍事・経済の主導権争

     いが結果的に重要な文明史的意味をもってくるわけです。

 

 

     大規模な第六次十字軍の後、悲惨な子供十字軍のエピソード*

     をふくみながら1272年にそれが終りますね。

 

*子供十字軍のエピソード       1212年に何千もの少年少女が”神のお告げ”を信じてフランスから聖地奪回に出かけた実話をさす。(略)

 

 

     そして東方の先進文化への関心と知見がヨーロッパに高まり、

     アラビア文献からのギリシャ・ラテンへの再翻訳を通じてルネッサ

     ンスを迎えるのですが、要するに宗教改革でもルネッサンスでも、

     それに刺激を与えたのがイスラーム文化・思想であり、地中海世

     界から大西洋へと、あるいは喜望峰回りでアラビア海やインド洋へ

     と進出してくる大航海時代も、アラビア・イスラーム商人の軌跡を

     大規模にしたものといえます。

 

 

     日本へもその視界の拡大なり活動舞台のひろがりは西アジアの

     かつてのイスラーム圏を経過しながらやってまいります。

 

 

     イエズス会、さらにポルトガル船やイスパニア船は保守的旧派の

     思想をストイックにもちこんできたわけですが、その根底にはのち

     に南蛮文化と呼ばれる南方のイスラーム文化がいろいろに作用し

     て、日本の場合はその裏がえしとしてのキリシタン宗という形で接

     触したということになりましょう。

 

 

原田  じゃ南蛮文化の中心にはかなりイスラームが・・・・。

 

 

会田  ルネッサンスにはイスラームの影響が大きい。

 

     それで向こうがイスラームを持ちこんできたという感じですね。

 

     もともとあれはヨーロッパの野蛮人が十字軍で文化圏へ攻めこみ

     よって、略奪・暴行のついでに文化もいただいて帰った。

 

 

杉山  学問・芸術みんな、古典から何から全部イスラームであったものを

     ラテン化するんですから。

 

 

会田  ビザンティン*はもう厭やっていうわけで。(笑)

 

 

*ビザンティン      330年から1453年にかけて、中世東ヨーロッパに展開したビザンツ帝国すなわち東ローマ帝国の文化をさす。(略)

 

 

 

     イスラームの影響は大きいような気がしますが、実証できないんで

     困ってしまいますね。

 

 

原田  言葉なんかで若干ある程度ですか。

 

 

杉山  ええ、現在使われている言葉のなかにけっこう残っていますよ。

 

     (略)

     それにアラビア数字があるし、ゼロをふくむ十進法など、

     ヨーロッパに大きな影響を与えました。

 

 

     こうしたことは今まであまり問題にされなかったのですが、

     ヨーロッパがようやくイスラーム・コンプレックスから開放されて、

     正しい認識がおこってきつつありますね。

 

 

会田  戦後にやっと認めてきたんです。今までは絶対認めなかったんで

     すよ。人種的偏見によってイスラームは嫌いだから。

 

 

杉山  面白いのはドイツの観念論哲学をやってる連中が、

     最近はギリシャ・ラテンをやるよりも、アラビア語・ペルシャ語の

     学習を始めているのですね。

    (略)

     これからもうイスラーム文化はネグレクトすることはできませんよ。

 

 

会田  わざと無視してるわけじゃないかもしれない。

     気がつかないんじゃないですか。

 

 

原田  イスラームと知能程度に問題のあるというアラブとの関係はどうな

     んですか。

 

 

会田  そりゃイスラームは商業の旺盛な時には非常に頭が切れたんじゃ

     ないですか。

 

     あのころ、つまり中世ビザンツ帝国をしのいだころは。

 

     しかしあれは回教国ですからね。ああいう信仰がほねがらみにな

     り、形式化すると急速に落ちますね。

 

     (略)

杉山  信長の好奇心をそそった南蛮習俗や異国の珍宝には、

     ずいぶんイスラーム的なものがあったんじゃないでしょうか。

 

     たとえばワッペン的な紋章学の対象はもともとイスラームでしょう。

 

     (略)

杉山  イスラームはインドネシアには十二世紀の終りから入って十四世

     紀の末にはスマトラ・ジャワ・マライ半島などにおよび、十五世紀に

     はスールー・ミンダナオからフィリピン群島、いわゆる南洋にもその

     ころ流布したといわれています。

 

 

会田  それも日本にワァッといわゆる南蛮文化の中に入ってきてるんで

     しょう。

     まさに南蛮という通りやと思うんです。

 

     ヨーロッパのものかと思うと、何だか実体は南なんですよ。

 

 

杉山  ですから秀吉から家康へと統一国家ができあがってゆく過程で、

     法制史的な面とか経済史的な面でも、もう一度考えてみると、

     イスラームのいろんなものが投影しないとは断言できないんじゃな

     いかと思うんです。

 

 

会田  おそらく堺はイスラームから習ってますわね、

     商売の仕方でもみな。

 

     だいたいルネッサンス・イタリアが学びとった最大のものだってそ

     れでしょう。

 

     複式簿記はイスラームから入っていったわけです。

     まず数字がそうですものね。

 

 

原田  そして一方じゃ、ソロバンは明から入ってくるんだな、堺へ。

 

 

                                         

 

 

4月30日に 「西欧とアラブが逆転した1517年」 と題して山本七平の発言を紹介しました。コチラです。  ↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12339086187.html

 

 

 

 

 

                   朝霞(埼玉)市内   10月29日撮影