ドイツの学問が傑出していた頃 | 人差し指のブログ

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「ハイエクの大予言」

渡部昇一(わたなべ しょういち 1930~2017)

株式会社李白社 2012年5月発行・より

 

 

 

 

 一九四三年の時点での話ですが、イギリスの進歩的な人々が見習うべきお手本としてスウェーデンを引き合いに出すようになったが、それ以前はどうだったかといえば、ドイツの社会主義政策が学ぶべき手本として進歩的な人々の広い支持を受け、第一次世界大戦に先立つ約三〇年の間のドイツの思想と実践が、そのころのイギリスの理想や政策に深い影響を与えたとハイエクは指摘します。

 

 

 

 ドイツにおける社会主義政策は非常に早く、十九世紀後半のビスマルクの時代から始まっています。

 

 

それが第一次世界大戦の敗戦後、いっそう強くなりました。

 

そのドイツを考えればイギリスの未来がわかる。

 

これは、学問・思想の面でドイツがイギリスやアメリカのアングロ・サクソン・文化圏より圧倒的に進んでいたということです。

 

 

 ハイエクは主として経済学のことをいっているのですが、十九世紀の終わりごろから二十世紀の第一次世界大戦ごろまでの間、ほとんどあらゆる分野においてドイツの学問が傑出していたといってもいいでしょう。

 

 

英語学にしても、まともな英語学の八割くらいはドイツで研究されていました。

 

 私の体験でいいますと、英文法がどうしてできたかを知りたくて参考になる本を探したのですが、イギリスでもアメリカでも英文法の発生や発達を書いた本が一冊もなかった。

 

 

ところが、ドイツに留学すると、そのテーマをドイツ語で書いた学者が一人いることがわかりました。

 

また古い英文法書に解説をつけて復刻版を出す学者もほかに何人もいました。

 

その研究をもとにして調べ直し、私の学位論文になったのですが、イギリス人にもアメリカ人にも自分の国の文法の歴史に興味を持ったり、書いた人は、一九五五年ごろまで一人もいなかったのは驚きでした。

 

 

 一事が万事で、極端なことをいえば、シェークスピア研究までドイツが先んじていました。

 

 

 

 

 

朝霞(埼玉)の花火大会 8月4日 中央公園にて撮影