「対話 イスラムの発想 アラブ産油国のホンネがわかる本」
加瀬英明(かせ ひであき)/山本七平(やまもと しちへい)
徳間書店 昭和54年10月発行・より
<山本> 世俗的秩序と宗教的秩序、いわゆる肉の世界と霊の世界という二つの秩序を認めることは、宗教改革に出発点があるわけです。
なにもかも聖典が規定するという考え方は旧約聖書が基本ですが、
キリスト教にはこれを否定する一面もあったわけです。
それをルターが確認してわけで、宗教改革は1517年にはじまります。
(ママ)
ところがまことに皮肉なことに、トルコのスルタン・サリム、俗にいう冷酷王がアレッポの戦いで勝って中東を制覇したのがこの年なんです。
アラブの史家にはこれを中東の運命の転機とする人が多いようです。
たとえばフィリップ・フーリ・ヒッテイ、この人はプリンストン大学の名誉教授で、前東洋語学研究所で、レバノン生まれのアラブ人、ベイルートのアメリカン大学を出て、アメリカに留学した。
非常に優秀な人で、最後はプリンストン大学に招聘(しょうへい)されて市民権も取ったんですが、この人なんかは私などは穏健なアラブ史家だと思っていますが、こういう人でも、西洋に啓蒙時代(エンライトメント)の光が輝きはじめたそのときに、われわれは暗黒時代に陥ったという意識があるんです。
1517年が分岐点だったというわけです。
ですから、トルコは諸悪の根源だという論理にどうしてもなってくるわけです。
たしかにこのへんまでは中東と西欧の基本はあまり変わっていないし、
ルネッサンスぐらいまでは同じ水準かむしろ少し先んじて進歩してきた。
それがオスマン・トルコのため逆転したという意識がありますので、
トルコへは特別な感情になるんですが、たしかに、このへんで両者の
決定的な違いがでてきたと、ある程度いえるんです。
一方はここから発展して啓蒙主義となり、アメリカという啓蒙国家ができて、それがまたヨーロッパに舞いもどって現代の一つの体制ができた。
中東はそこをトルコに抑えられたと見るわけです。
いわばそこまで同じようにやっていきながら、
トルコに拘束されて停滞を招いたと見るわけです。
<加瀬> サラセン帝国のときは、東はインドの西部から東はイベリア半島まで広がる絢爛豪華な文明を築きましたが、歴史に”もし”は許されないとしても、トルコに支配されなかったら、ずいぶん変わりましたでしょう。
<山本> そういう見方もあるわけですから、アラブ人にとってトルコは諸悪の根源だということになってしまいまして、同時に自己の歴史を語る場合はそこを無視して、いきなりモハメットやサラセンの最盛期に心情的にもどってしまうんです。
同じことを加瀬英明が石平との対談で言っています。2016年2月25日に紹介しましたコチラです↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12130038210.html
国立劇場前庭の桜(東京・千代田区) 3月26日撮影