「 ことばと社会 」
鈴木孝夫 (すずき たかお 1926~)
中央公論社 昭和六十年八月発行・より
人間同士のあいさつでも、社会的に弱い方が、’さき’に口を切って
あいさつし、強者はこれに答えるのが通例であり、また弱者の方が、
あれやこれやと口数多く しゃべりかけるものである。
つまり進んで積極的に害意のないことを示すわけである。
態度の面でも、ひざを屈め、より深くおじぎをするなど、まさに 「なだめ行動」 をとる。
かぶりものや外套などをとるのも、結局は文字通り小さくなるわけである。
あいさつの社会生活における役割は、これから交渉が始ることを相互に認めると同時に力関係における両者の位置の確認をもあわせ行うことにある。
身分の上下が固定的である伝統的社会では、下の者が上の者に対して用いるあいさつや呼びかけが、反対に上が下に対して使用するものとはっきり違っているのも、相互の人間関係を無駄や支障なく保持して行くための儀式(ritual)として意味があったのである。
身分や階級の区別が一応表立っては問題にならない近代社会においてすら、任意の二人の人の間には、つねに現実的な意味での力の落差が存在する。
このような力関係が、挨拶言葉の非相称性に表れていることを実証した研究の一つに、ロジャー・ブラウン(Roger Brwn)のものがある。
彼は Good Moring という正式のあいさつと、Hi という親しいもの同士が使う略式のあいさつの二つについて、アメリカ人のあるグループについてしらべた。
その結果、目下は目上に対してほとんど Good morning というのに反し、目上は目下に向って Hi を多く使うという結果を得ている。
民主的とされているアメリカの社会でも、現実に存在する力関係は、はっきりとあいさつの形式に反映していたのである。
4月9日 多摩森林科学園(東京・八王子)にて撮影