「 漢字と日本語 」
高島俊男(たかしま としお 1937~)
株式会社講談社 2016年4月発行・より
ム は意味のない符号だから 「仏」 は中国人にはわからない。
「払」 や 「広」 と同様日本人がこしらえたナンセンスな字だと思う。
しかし実は、「仏」 は昔の中国人が作った字なのだ。
二十世紀の初め甘粛(かんしゅく)省敦煌(とんこう)の石窟寺院で、
イギリス人スタイン、つづいてフランス人ペリオが、おびただしい古写本を見つけてもちかえってた。
石窟の数四百八十、文書数万点というからすごい。
五世紀ごろから数百年にわたって集積されたもので、仏教関係が多い。
いいものは たいていロンドンやパリへ持って行かれたが、おくればせに日本人も駆けつけて持ち帰っている。
(略)
この敦煌文書に 「仏」 の字は何百も出てくる。
つまり、日本人が 「仏」 の字をこしらえたのではなく、奈良時代前後のころ中国から入ってきた仏教文書にあったから真似したのである。
その何よりの証拠が法華義疏だ。ちゃんと 「仏」 の字が書かれている。
ただしもちろん日本人は、「仏」 が正字だと思ったわけではない。
「佛」 が正字で 「仏」 は略字だとちゃんと承知していた。
ただ一般に 「仏」 を書くこともよくあったから、二十世紀半ばに日本政府が ホトケは 「仏」 と決め、「佛」 を追放したのである。
(略)
中国では唐代までは 「仏」 が用いられていたようである。
八世紀初めごろにできた開元寺という寺の門楼に 「敬造阿弥陀仏」 と彫ってあり、千年ほどのち清(しん)の学者がここを調査して、「仏は佛の古い字である」 と報告しているそうだ。
(略)
それでは昔の中国の仏教信者はなぜ 「佛」 を 「仏」 と書いたのか。
「佛」 の字はめんどうくさいから、と言ってしまっては身もフタもない。
それでは何ゆえなのかの説明にはならない。
以下は現代の学者張涌泉氏の 『漢語俗字研究』 によって申しあげます。
二千数百年もの昔から 「ム」 の字があった。
いや字というより △ マークと言ったほうがいいかもしれない。
「わからない」 「だれかさん」 の符号である。
人だけでなく、時でも場所でも何でも指す。
つまり後の 「某」 に相当する符号である。
わからない時、あるいはわかっているがハッキリ言うのをはばかる時、ハッキリ言いたくない時などに △ と書く。
今の日本語でも 「某月某日」 「都内某所」 「某女と」 などと書くことがありますね。
あれです。それを 「△日」 「△で」 「△と」 などと書いたわけだ。
いま日本人は文章の中で自分を指す語を漢字で書く際 「私」 と書くことが多い。
この字も古くは ム (△) であった。 ノギヘンは あとでついたのだ。
もっとも中国人は自分のことを ぼかしてへりくだって言う際 「私」 の字は使わない。「某」 を使う。 日本語の 「それがし」 に近いね。
「それがし」 も もとは 「だれであったか」 の意だが、へりくだった自称に用いられるようになった。
昔の中国の仏教徒が 「佛」 を 「ム」 「仏」 と書いたのも、「佛」 「佛陀」 と直称することをはばかって、「あのかた」 の意味で 「ム」 「仏」 と書いた。
避諱(ひき)心理のあらわれである、というのが張涌泉の考えです。
避諱(ひき)のことは前回申しました。上位の人、尊い人の名を指して言うのを避ける習慣、制度である。
この前は唐の太宗李世民のことを書いたが、これも唐代には 「李 Z △」 などと書いている。 「李ムニャムニャ」ですね。
こういうのを文化人類学の用語では 「実名敬避俗」 と言う。
4月9日 多摩森林科学園(東京・八王子)にて撮影